社会論・論文06

新しい医療システムへの移行

2023.03.07.




1.論文05に続き(キーワードは「(予算の)ムダ遣い」)、予算」の使い方に関連して、今回は、「医療」について論じます。


国家予算 ー 医療費をどうするか?


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2.これについては、私たちが抱いている「常識」というものを、今一度、注意深く疑ってみることが必要になります。その点は、論文05の16~19節で示した「マスク騒動(何百億円もかけてマスクを配布した)」の件一つ見ても、この意見が的外れなものではないことは明らかでしょう。もちろん、それは、政治家の判断に関してでしたが、同様に、「医療」に関しても、医学界の「誤ったプライド」や、また、製薬会社等の「金儲け主義」が原因で、盲目になっていることがままあるです。


3.例えば、明治時代に、国民の間で、「脚気」が大流行しました。当時の医者は、原因が分からず、軍隊でも大勢の患者を抱えて困っていました。そのような中、一人の軍医が、民間療法に基づいて、主食を白米から「麦飯」に替えたところ、劇的な改善が見られたのです。それで、「麦飯療法」を推奨したのですが、当時の医学界のエリートは、当時、彼らが絶対視していたヨーロッパ医学で説明ができないと否定し、「麦飯」などで治るはずがないと見下して一蹴しました。これにより、脚気流行からの脱却が遅れました。つまり、その遅れの分だけ、苦しまなくてもよい人たちが大勢苦しみ、死ななくてもよい人たちが大勢死んだということです。医学界のエリートたちの「誤ったプライド」によって・・・。


4.最終的に、脚気の原因はビタミンB1不足であることが判明しました。確かに、その軍医は、病理こそ正しく説明できなかったものの、「麦飯療法」そのものは間違っていなかったわけです。実際、それにより、脚気が激減したという事実がありました。しかし、医学界のエリートはそのメカニズムが解明されていないとして否定・・・。うーん。患者が治っているという事実さえあれば、そこに、重大な副作用とか、莫大なコストのような、メリットを覆すほどの大きなデメリットがあるのでない限り、それを一つの現象、事実として認めるべきではないでしょうか。


5.医学の究極の目的は、患者を治すということであって、一方、そのメカニズムを解明するということは、(もちろん、最終的に患者を治すという第一目的に資するゆえに必要であるとは言え)、二の次でよいはずです。つまり、この「脚気」の例で言えば、「麦飯」で治ったというデータが現に存在していたのですから、それを一つの事実として認め、勝手に見下して一蹴するのではなく、研究の対象としてきちんと検証すべきだったのです。もちろん、これは、100年も前の話ですが、しかし、その傾向は、今でも治っておらず・・・。全く、医学者は、人の病気を治す前に、自分たちの、そういう「病気」をこそ、まず、治すべきなのではないのか・・・。


6.この点は、科学者もそうですが、ある提唱された説を、検証もせずに、「そんなことがあるはずない」と勝手に決め込んで、頭ごなしに否定することがよくあります。そうではなく、その説をきちんと検証して、「これこれは、こうこうだから、間違いである」ときちんと研究データに基づいて論証すべきなのです。それを怠るのは、科学的手法に反しており、それによって、人類は、多大な勘違いをし、また、その勘違いに基づいて社会設計などをしていくために、さらに多大の損失を被っている・・・、しかも、それに気付いてさえいない・・・。


本当に、今の医療が、

私たちが受け得る最良・最高の医療なのか?


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7.以上を踏まえて、今、抱いている、医学に関する「常識」を今一度、疑うことをしなければなりません。上記のような事柄は、現代でも起きているからです。例えば、新型コロナウイルスの大流行に対して、大阪府知事が、うがい薬「イソジン」を使って予防できると発表したものの、大々的に批判されて、その「芽」を摘まれたということがありました。


8.いろいろな批判を読んでみたのですが、ある批判では、イソジンで、口の中のウイルスが死ぬのは当たり前で、そのような消毒した検体をPCR検査にかけるのは不適切である・・・とのことでした。うーん。私たちは、手指消毒でも、それが予防に効果があるとして励行しています。ましてや、口の中にウイルスがいて、それを殺菌することには・・・本当に意味がないのでしょうか??? 例えば、口の中に100のウイルスがいるとして、それをそのまま放置するのと、一方、うがい薬で50でも、70でも、減らせるだけ減らすのとでは、明らかに、後者の方が有利ではないでしょうか。


9.それで、特に、イソジンを使うと、重大な副作用があるとか、莫大なコストがかかる等の決定的なデメリットがあるのでない限り、理屈ではなく、結果がすべてなのですから、「じゃあ、実際にやってみればいいじゃないか」というのが、私の意見です。もちろん、一度に、全国民に全面的に・・・とではなく、検証のために、一部の希望者に協力してもらい、データを取りつつ・・・、そして、うまくいくようなら、逐次、広めていく・・・という堅実なやり方で、ですが。


10.そうではなく、現実には、否定され、叩かれて、実際に試すこともなく、ただ、理屈だけで、「没」にされてしまったのです。(ところで、あるデータでは、イソジンうがいは、何もしないよりも少し成績が良い程度で、水うがいの方がはるかに効果的であるとのことでしたが、それは逆に言えば、イソジンうがいには、特段、放置以上の、つまり、イソジンを使えば、放置の場合以上に感染率が高まる・・・というような重大なリスクはない、ということでもあるのです)。うーん。PCR検査とか、ワクチンとか、特効薬とか・・・、それらには莫大な費用(コスト)がかかっており、また、特に、ワクチンなどには重大な副作用(リスク)が伴うこともある・・・というのに、それらには盲目的に頼っているのでは・・・??? もし、これは仮にの話ですが、もし本当に、イソジンで予防というか、私の意見では、正確には「重篤化防止」に役立つというのであれば、コストもリスクも低いのですから、まずは、「ダメ元」ででも、やってみればよかったのです。実際、私の場合、イソジンではなく、薄めたアルコール水で、口だけでなく、鼻うがいをして、新型コロナを凌いできました。


※以下のサイトは、私が、「新型コロナ対策」として、コロナ渦の2021年12月に書いたものです。参考までに。

https://sites.google.com/view/yangmask-kagaku/%E6%96%B0%E5%9E%8B%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E5%AF%BE%E7%AD%96


はっきりと重大なリスクがあることが

明らかでない限り、

実際に、やってみればよい


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11.この事例は、上述した「麦飯療法」の時と似ていると思いませんか。学者も、医者も、そして、製薬会社も、「ワクチン」とか「特効薬」とかが大好きです。もし、本当に、「イソジン」(ごとき)で、治るのであれば、彼らの存在意義は吹っ飛んでしまうでしょう。しかし、国民にとっては、ワクチンであれ、特効薬であれ、イソジンであれ、とにかく予防・治療ができれば、それでいいのです。これらのうち、一番、コストもリスクも低いのは、イソジンであるはずなのに、それは没にされ、あえて、コストもリスクも高い方を優先的に選択するとは・・・。


12.ところで、批判する人たちというのは、ある新しく提唱された説(今回の例なら、「イソジン予防説」)について、何か一つでも欠陥等があれば、その説すべてが無価値であり、それゆえに、採用すべきではない・・・というように論じることがあります。


13.しかし、すべてが完璧で、100%メリットしかないというような方法は、あまりないかもしれません。それよりも、多少のデメリットがあっても、それから得られるメリットとを比較して、総合的に判断するものではないでしょうか。この点で、「イソジン予防説」に関する問題は、その方法を不採用にしなければならないほどのデメリットというものが、本当にあったのか?と疑問を抱かずにはいられません。しかし、実際には、「イソジンなんかでコロナが治るなら苦労せんわ」というような批判者の見下した思いが根底にあるように思え、それは、「麦飯なんかで脚気が治るなら苦労せんわ」と侮った過去の事例と符合するわけです。


結局、「麦飯」の件も「イソジン」の件も根は同じ

昔も今も変わらない

だから、一旦、疑ってみるべき


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14.以上、くどくどと述べてきましたが、要するに、医学界というのは、時として、「間違ったプライド」により、本当は有用なのに、彼らの求め、考えている方向性・イメージと異なる説を真っ向から否定することがあるということです。(「地動説」を否定した教会のように)。自分たちがすべてを知っていて、完全無欠であると勘違いしているようです。また、それとは別に、そういう有効な方法というのは、大抵、非常に素朴であったりするので、そういうもので病気が治っては「儲からない」という理由から、その説を潰しにかかる・・・ということもあります。


15.・・・ということを考える時、「今」、「常識」と言われている事柄を、今一度、よくよく疑ってみるべき理由が十分にあると、賢明な読者なら気付くに違いありません。つまり、裏を返せば、「本当は有用なのに」、医学界や製薬会社によって、握り潰され、闇に葬られた、そういう「優れた療法」が、実は、たくさん存在している・・・ということではありませんか。


16.例えるとこうです。ある目的地まで直通できる質素な道があるとします。しかし、権力者は、その道を通行禁止にし、その近道よりも、ぐるーっと大回りする、しかし、きれいで整備された道路を、しかも、高い通行料を取って、市民に通らせる・・・という感じです。本当は、ほぼタダで楽して通れる近道があるのに、高い料金を取られて大回りさせられている(でも、道路はすごく豪華でハイテク!)・・・。


17.これが、現在、私たちが置かれている医療事情の実態であると私は見ます。本当なら必要のない治療や手術を受けさせ、必要のない薬を飲まされ・・・。それもそのはず、病院も、製薬会社も、そうしないと「経営」ができなくなるからです。彼らにとっては、常に「病人(=金づる)」がいなければ困るのです。そういう人たちに、私たちの命と健康を預けてもよいと、本気で考えますか。


病院や製薬会社は、

病人がいないと「困る」


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18.そもそも、「病人がいなくなると困る(経営できなくなるので)」というような医療システムを組んでいることそのものが「おバカ」です。そうではなく、病人がたとえ減っても(これ自体は嬉しいこと)、医療従事者が生活に困るようなことのないシステムに組み直すべきです。


19.ところで、これは余談ですが、このように、社会に一定の役割を担うシステムを組む時、それを組む人は、そのシステムと国民の行動傾向とが相まって、最終的に、それがどういう状況に収束していくのか・・・ということをきちんと予見して組むべきです。例えば、論文01~03でも述べたように、年収や保有財産の上限が定められていない(経済システム)ために、かつ、特に富裕層が、飽くなき富の追求に走り、一般労働者からの搾取をやめない(国民の傾向)ために、その結果、富裕層と貧困層の「二極化」が進んできました。しかし、これは、すでに、その経済システムを組んだ時点で、理論上、十分、予想できる収束結果であったはずです。


20.同様に、現行の医療システムが、「病人がいなくなると困る」というおバカなシステムであるゆえに、病院や製薬会社が、経営第一で、患者の真の福祉は二の次(つまり、低コスト・低リスクの「優れた療法」(無料の近道)があっても、それを握り潰して、自分たちの利益になるような本来なら不必要な療法(高い通行料を取る遠回りの道)をあえて推進してきた)・・・というような状況になるのは、まさに必然であったと言わざるを得ません。


21.ですから、何のシステムであっても、それを組む場合には、その最終的な収束結果をよく考えてそうすべきなのです。


システムを組む時は、

その最終的な収束結果を予測した上で

そうすべき


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22.ところで、これは、そのような医療システムを組む前の段階の話なのですが、上述したように、闇に葬られてきた、低コスト、低リスクの「優れた療法」を見直していく・・・ということが必要でしょう。その点を、国が積極的に支援し、そのような「優れた療法」の開拓・再発見・研究を、大々的に行なうべきです。そして、そのような「優れた療法」を早急に確立し、かつ、全国的な普及に努めます。例えば、説明さえすれば、国民が、各個人で実行できるものなら、インターネットや広報等で公表し、また、ある程度、講義・実習を受ける必要のあるものは、各地でセミナーを開催するなどできるでしょう。


23.その上でですが、もちろん、事故などで大ケガをして、外科的な処置が必要だとか、大病院でなければ対処できないようものについてのみ、病院で処置すべきです。恐らく、上述した「優れた療法」の普及によって、病院の利用率はぐんと減ります。それでは、病院の経営はどうするのか・・・。国営にするしかないと思います。これは、警察や自衛隊、消防署などと同じ考え方です。彼らは、犯罪や外敵からの攻撃や、火事や救急患者が、あってもなくても、日々、任務に就いています。それと同じく、国営の病院も、たとえ病人がいてもいなくても、立ち行くようにしておかなければなりません。国民の命と健康を守るために。


・「優れた療法」への移行を進める

・病院を国営にする


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24.ところで、予算を抑えるために、市に一つある大病院ではなく、町単位で、「町医者」を設置するのはどうかと考えます。普通、医師になるには、医大を卒業し、免許を取得しなければならず、それは、並大抵のことではありません。しかし、「町医者」がすることは、大病院の医師と違って、手術をするわけでもなく、基本的には、健康指導と軽い応急処置を施すレベルに過ぎません。その「健康指導」の内容には、前述した、低コスト・低リスクの「優れた療法(もちろん、政府公認)」も含まれます。


25.それで、その範囲内でのみ診療可能な資格を新たに設けて、講習・試験を開催します。もちろん、若い学生だけでなく、意欲的な多くの人が「町医者」の資格を得ることができるでしょう。たとえ、国から給料をもらう「町医者」になれない場合でも、その資格を取る人が多ければ多いほど、「『家』医者」として、その人本人とその周辺の人々の病気予防・健康管理に大いに資するに違いありません。こうして、短時間・低コストで、「町医者」を大勢育成できます。(例えば、学校の保健室の先生と同じぐらいのレベルの資格でよいはず)。


26.「町医者」は、警察官と同じで、病人がいようといまいと、毎日、「診療所」で待機します。もちろん、給料は国から出ます。そして、患者からは、原則、診察代を取りません(!)。こうすれば、「病人がいなければ困る」というような、今ある医療事情とは異なるシステムを構築できます。(つまり、病人が少なくなればなるほど、国も病院も国民も助かる、ということ。ゆえに、そのシステムは、最終的に、「病人の減少」という方向に向かうはず)。そして、また、このようなシステムは、ますます、低コストな「優れた療法」の必要性を喚起させるものともなるでしょう。


27.また、「町医者」は、普段から、町内の人々に健康指導を行ない、病気の予防に努めます。私の意見では、カゼ、虫歯、また、生活習慣病、ガンなどは、この町医者レベルでその大半をカバーできると見ています。もちろん、それは、前述した「優れた療法」もあってのことです。実際、私は、そういう有効な療法をいくつか知っています。


28.もちろん、この「町医者」では対応できないケース(事故などによる外科手術など)については、市に一つ単位で大病院を温存しておき、いつでも診療できるようにしておくべきでしょう。


・「町医者」を設置する

・診察代を取らない!

そのシステムの最終的な収束結果は・・・。


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29.具体的な試算としては、仮に、市民1200人当たりに「町医者」を一人と考えて、全国に10万人の「町医者」を設置するとします。(比較対象として、例えば、郵便局は、全国で2.5万局、セブンイレブンは2.1万店舗とのこと)。専属の「町医者」一人に、給与として、月20万円を支払い、また、薬品等の消耗品に月10万円かかった場合、一つの診療所につき、月30万円。それが、全国に10万か所あるので、月300億円。つまり、年間3600億円。(2023年の自衛隊の予算は6.8兆円。令和4年の東京消防庁(もちろん、東京のみ)の予算は2500億円)。国民一人当たり、月々250円の負担となります。もちろん、大病院の負担は、これとは別です。


30.もちろん、「診療所」も要りますが、わざわざ、何百、何千万円もかけて造るような「おバカ」なことはすべきではありません。(それ、全部、国民の負担となるわけで・・・)。基本的に、「町医者」の仕事は、治療よりも予防、または、自己対処(患者が自分でケアする)の仕方を「指導」することが主なので、公民館か、あるいは、その敷地内に、6畳ぐらいのスーパーハウスを設置すれば、機能としては、それで十分なはずです。


31.また、有給で専属の「町医者」を一人設置しますが、例えば、地元の消防団員と同じで、有志の「町医者」の資格認定者たちに、ボランティアで手伝ってもらうこともできるかと思います。また、そのような有志で、町内の「医療委員会」を作り、「優れた療法」等の市民への普及・浸透を図ることもできるでしょう。


32.ところで、基本的に、有給の「町医者」の勤務時間は、平日(月~金)の朝8時から夕方5時までとして、その他の休日・夜間の急患については、より広域でカバーする、つまり、例えば、何十地区かの「町医者」で当番制にするか、あるいは、有志のボランティアにカバーしてもらうかすることができるでしょう。


国民一人当たり、月250円の負担で、

全国10万人の「町医者」が設置できる


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33.以上で、私の案の概要を述べてきました。これらの案を実施する段階としては、まず、前述した「優れた療法」の確立が必要です。そのためには、現在、「(医学の)常識」とされている思い込みを一旦リセットすることが求められます。判定基準としては、(1)その療法により、一定数の患者の治癒実績があること、かつ、(2)その療法により、重大な副作用とか、莫大なコストなどという深刻なデメリットが認められない・・・ということを基本とすることができるでしょう。確かに、その療法の背後にある治癒のメカニズムを解明することを怠るべきではありませんが、それは、飽くまで研究者の仕事であり、医療従事者の仕事ではありません。それに、例えば、納豆や清酒、また、日本刀などは、その科学的なメカニズムが解明されるよりもはるか昔からすでに実用化されていたでしょう。それと同じく、患者と医療従事者にとっては、「治癒」という結果こそが重要であって、現状、(1)(2)をクリアしている療法であれば、何であれ、積極的に活用するべきです。


34.そして、その「優れた療法」が確立され、だいたいの見通しが立った時点で、全病院の国営化、また、「町医者」の設置等の、私が述べてきた案を全面的に実施できるかと思います。もし、その新たな医療システムへの移行に不安があるという場合は、いきなり全国的な改革とではなく、とりあえず、ある一部地域をモデル地区として、試験的に、また、現行のシステムと並行しながら、新たなシステムも実施してみる・・・ということもできるでしょう。


35.ところで、この案が、もし、本当に全面的に実施された場合、多くの医師や医療従事者、そして、多分、製薬会社の関係者や薬剤師等が、職を失うことになると見込まれます。それで、彼らは、この改革案に反対するかもしれませんが、それは、どういう理由による反対なのでしょうか。自分の生活を守るため・・・でしょうか。彼らの生活を守るために、今よりも優れた医療システムへの移行を自重せよ・・・ということですか。では、そもそも、彼らの使命とは一体、何なのか・・・。それは、患者を病気から解放するためなのか、それとも、単に、患者を金づるとして、自らの生活を成り立たせていくためなのか・・・。もしも、前者であれば、今よりも優れた医療システムへの移行を歓迎すべきなのではありませんか。もし、彼らが、この案に反対する時、それは、結局のところ、患者のためなのか、それとも、単に、自らの保身のためなのか、その点を、見守る国民すべては、よく注意を払うことが必要でしょう。


36.この案が実施されるなら、確かに、政府が負担する医療費は、ぐんと抑えられます。それは、政府というよりも、その元となっている税金を支払っている国民の負担が、それだけ軽くなるということでもあります。治療よりも予防を重視し、できるだけ低コスト、低リスクの「優れた療法」で、病気予防・健康維持を図るのです。ここでは、具体的な例を挙げませんでしたが、その「優れた療法」が確立された日には、「今までの治療法は、一体、何だったのか??」と唖然とするに違いありません。しかし、「絵にかいた餅」では、全く意味がありません。私としては、一日も早く、そのような「優れた療法」の確立が成ることを願うばかりです。


まずは、「優れた療法」の確立

その後に、国営の「町病院」の設置


それらにより、政府の負担する「医療費」は、

大幅に削減できる