いつもの仲良しグループ。
ユミ/【三浦有魅】とノンコ/【坂上紀子】とミリィ/【楢崎美鈴】と、そして、わたし/【朝倉杏子】の四人。みんなでわいわい騒ぎながら食べるのは、けっこう楽しいものだ。
でも、こんな楽しさもあと半年足らず。わたしたちの目の前にはそれぞれの未来が待っている。このままずっと一緒にいられればいいけど……。
「ノンコの卵焼きって、どうしても真似できないんだよね」
ユミは、隣のノンコの弁当箱から卵焼きを一つ自分の口へと放り込み、その味をかみしめながら首を傾げる。
そう。ノンコが作る卵焼きは、普通のものとはひと味違う。見た目は変わりないのだが、その美味しさはわたしたちの真似できるようなものではないようだ。
「そうそう。わたしとかが作るとさ、絶対甘くなっちゃうんだよね」
わたしもノンコの卵焼きを一つちょうだいする。
「砂糖と塩の加減が難しいのよ」
ノンコはそう言って人差し指を口にあてる。真面目に考える時のこの子の癖。
「ノンコって卵焼き一つとってみても、その道を極めてるからね」
わたしは半分ジョークでそう呟く。
「それは確かに言えるかも。ミリィもそう思わない?」
ユミは向かいに座るミリィをこづく。
「……へ?」
ミリィはわたしたちの話など、うわの空って感じで間の抜けた返事をする。
「だめよだめよ。ミリィのオツムの中は憧れの人のことでいっぱいなんだから」
事情をよく知るわたしは、ミリィの顔を見ながらついつい笑ってしまう。
「ああ、例のあの人ね。ミリィも一途だからね」
ユミも事情を知っている為、クスクス笑い出す。
「え? ミリィに好きな人ができたの? ねぇ、どんな人?」
ワンテンポ遅れて、ノンコが口を挟む。
そういや、ノンコは一緒に城高の学園祭行けなかったもんね。
「それはね、ミリィの口から直接聞いたほうがいいかもよ」
わたしは思わず吹き出してしまった。
「そうそう、素敵なお姉さまらしいわ」
ユミもクスクス笑いだす。
「やだぁ、ミリィったらそっちの気があったの?」
ノンコは苦笑いしながら、ミリィを見つめる。
「……綴さん」
ミリィは空を仰ぎながら憧れの人の名を呼ぶ。
「だめだこりゃ。完全に自分の世界にはいちゃってる」
あきれたようにユミがつぶやいた。
☆
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
8つ離れた姉を呼ぶわたし。
記憶の断片に映るは7才のわたしと15才の姉/晶子。
「どうしたの杏子?」
優しい声で問いかける姉の笑顔はとても心地良かった。隙間だらけのわたしの心を包みこんでくれるようなそんな感じだった。
「あゆみちゃんたちがいじわるするの」
その頃、近所に住んでいた市川あゆみちゃんは、おとなしい性格だったわたしをことあるごとにいじめた。だけど、今考えてみればわたしにも原因はあったようだ。
7才の頃のわたしは、かなり内向的で、他人からみればかなり無愛想な子だった。
親からもかわいくない子だと、半分冗談まじりで言われていたぐらいだ。
「あゆみちゃんが……あゆみちゃんが……」
涙で曇る視界。そこでわたし記憶は途切れた。
目が覚めた時、わたしは布団の中でうっすらと泣いていた。
お姉ちゃんのことを思い出すのは久しぶり。3年前に関西の方に就職してからそちらへ行ったっきり。仕事の都合なのか、帰ってくるのは正月を過ぎた1月の下旬。
よほど向こうが気に入ってらしく、電話すらたまにしかこない。
しかし、夢に見るなんてどうしたんだろう。
まだ、完全に目覚めない頭でそう考える。
「なんか忘れてる気がする」
わたしは誰もいない部屋でそうこぼした。
☆
「おはよう」
ぽんと肩を叩いてユミが姿を見せる。
「あ、おはよう」
わたしは気の抜けたような返事をする。
「どうしたの?元気ないじゃん」
「そっかなぁ?単に寝起きが悪いだけよ」
「なんか悪い夢でも見たの?」
ユミがわたしの顔を覗きこむ。目鼻だちはキリっとしていて、女の子らしいかっこよさを持つ子である。とはいっても、わたしはミリィのような趣味はない。恋愛に関してはノーマルなはず。
「うーーーーん」
ユミの顔を見ながら考え込む。
「なにうなってるのよん」
ちょっと首を傾げるおちゃめなユミ。
「久しぶりにお姉ちゃんの夢みたんだ」
「それで?」
「泣いちゃったの」
無表情でそうつぶやく。
「そのお姉ちゃんに、いじめられたの?」
「ううん」
夢の出来事を思い出しながら首を振る。
「じゃあ、なに?」
ユミはじれったそうにわたしを見つめる。
「んーとね……あれ? どういう夢だったっけな?」
記憶の断片に靄がかかって、説明できなくなっていく。
そんなわたしにあきれたのか、ユミはさっさと歩き始める。
「そこで一生悩んでなさい。あたしゃ、遅刻に付き合わされたかないからね」
カツンカツンといい足音をたててユミは先を行く。
「ちょっと……待ってよ! ユミ!!」
☆
わたしたちの教室からは高等部の校舎が見える。が、そのままストレートに高等部へ進学できる生徒は全体の半分にすぎない。成績順に分けたCクラス以上の生徒しか推薦はとれないのだ。わたしたちのDクラスは、ぎりぎりの線で切り落とされる。
あとは、一般受験で再びチャレンジするしか手はないのだ。
だけど、ユミもノンコもミリィも付属の高等部へと進学するのをあきらめているようで、このまま四人で仲良くいられる時間もあとわずかしかない。
いつまでも一緒にいたいけど、わたしはどうしても付属の高等部へ行きたいのだ。
それはもう、意地を越えた憧れがそこにある為である。
「ねぇ、お昼食べよう」
ノンコが甘ったるい声でわたしに擦り寄ってくる。
「え? あ、うん」
4時限目に配られた模試の結果用紙を見ていたわたしの声はちょっと暗い。わたしの夢の実現率40%。憧れにはほど遠い。遠すぎてめまいさえ起きそうである。おまけに食欲はあまりないし、大好物のマロンパンも食べる気になれず購買部へ行く気力さえない。
「アンコ。最近、元気ないね」
いつもはマイペースなノンコでも、わたしのことは気にかけてくれる。うれしいんだけどね、それに応える元気が今はない。
「ハーイ! お弁当いきませう」
ユミがわたしの背中にのしかかってくる。……う、重い。
「アンコ、食欲ないみたいなの」
ノンコが心配そうにユミに告げる。
「模試の一つや二つ、気にしていてもしょうがないって。たとえ結果が悪くても」
う、グサっときたぞ。
「そうよ。お腹が減ってると、どんどん気分が滅入っちゃうよ」
ノンコもユミに同調して気楽に言う。
「もう、このさいあきらめてみんなで城高いこうよ。あたしたちの学力ならみんな入れるしさ」
ユミの、そのなにげない一言にわたしはカチンときた。
「そりゃ、このままみんなと離れるのは嫌よ。でもね、わたしは進学したいの。せっかく付属の中学に入れて、一般の人より有利なんだから、そのチャンスを無駄にしたくないの。ユミみたいに、気楽に進路変更できるほど、わたしはノーテンキじゃないのよ!」
わたしは感情の高ぶるまま言葉を吐き出した。後で思えば、この時のわたしがどれだけ醜いものだったか。
「ごめん。ちょっと軽はずみな意見だったわね」
ユミは素直に謝る。この子は自分が悪いと思えば正直にそれを訂正する。わたしみたいに変に意地になったりしない。とってもいい子なんだけどね。
でも、わたしの感情は治まらりきらず、言葉はどんどんエスカレートしていく。
「謝るくらいなら、そんなこと言わないでよ。わたしだって一時期すごい迷ったんだから……迷ったすえの解答なんだから」
机をバンと叩いて立ち上がると、わたしはそのまま教室から出ていった。
泣いてはいなかった。涙なんかこぼれなかった。
ただ、感情の高ぶるまま、それを悪い意味で素直に行動に移すだけだった。
泣けなかった。
自分に悔しくて。
☆
-『おまえはかわいくない』
昔、そんなことを言われた記憶がある。
鏡を見ながら、ふと、そんなことを考え始めた。
「かわいくないよね?」
と、自問する。前髪が少しうっとおしい。
右手で前髪をかきあげると、あまり自信のないオデコが見える。
そういや、お姉ちゃんってオデコを出すのが好きだったな。
『髪の毛で隠すのって好きじゃないの。自信があるわけじゃないけど、わたしの顔は純粋に人にさらしたいからね』
お姉ちゃんはたしかそう言ってた。笑顔が映えるのもその為だったかも。
そういや、わたしはなんでもお姉ちゃんとは正反対だったな。性格も、趣味も、髪型も。
前髪垂らす方がわたしは好きだけど、時々うっとおしくなることもある。
人見知りが激しくて、泣き虫なわたしを変えてくれたのは、やっぱりお姉ちゃんだったのかな?
いつからだろう? わたしに人並みに友達ができたのは。
☆
「おはよう」
挨拶をかけてくるユミに向かってわたしは不機嫌に挨拶を返す。頑固に意地を張りつづけてもしょうがないことはわかっている。だけど、感情がうまくコントロールできない。無愛想な顔で彼女の横を早足で通り過ぎる。
無責任な話だけど、わたしの感情はわたし自身の制御を離れてしまっている。自分でもどうしていいかわからない。暴走し続ける感情を止めるすべはないようだ。
ただ、時間が解決してくれるのを待つしかない。しかし、時間と引き換えにもっと大事なものを失ってしまうかもしれないが。
校門の前まで来て、わたしは校舎を見つめる。一瞬、エスケープという言葉が脳裏をかする。だが、それは現実を前に完全に打ち消された。
休むわけにはいかない。感情を越えた何かがわたしの身体を動かしていたのだ。
教室に入る。いつもの雰囲気。
でも、何かが違う。
わたしに気を使っているのか、わたしを恐れているのか、ユミとノンコとミリィは近づこうとしない。それはそれで正しい選択だと思う。わたしはこれ以上醜い姿をさらけ出したくないから。
もう何も考えたくない。
嫌なことは忘れて勉強に集中したい。
たとえ、何を失っても、わたしは……………………
雨が降る。
食欲のないわたしは、教室を出て階段の踊り場の窓から一人静かに雨を眺めていた。「硫化硫黄物……だっけ……試験に出るかなぁ、酸性雨のこと」
わたしはひとりごちた。
しばらくぼんやりしていたわたしは、ふと人の気配を感じて後を振り返る。
「アンコ。……らしくないよ」
微笑みながら優しい声でそう語りかけてきたのはノンコだった。
「ノンコ」
わたしはぼーっとしながらノンコを見つめる。人懐っこい瞳。ちょっととろい所もあるけど、気はいい子。
「笑ってよ、アンコ。そんな不機嫌な顔似合わないよ」
ノンコの口調はあくまでも優しさを保ち続ける。
「ほっといてよ」
口から勝手にこぼれてしまう。ほんとは言いたくないのに。この子に八つ当たりしても何も解決しないことはわかっているのに。
「ユミも反省してるみたいだし、わたしも謝る。ゴメン」
なんでノンコに謝らせてしまうのだろう。悪いのはこの子じゃないのに。
「関係ないの」
それでもわたしは、意地を張りとおす。
「関係ないなら、元のアンコに戻ってよ」
「元も何もないわ。これが本当のわたしよ。無神経でかわいげのない嫌な奴よ。いままでのわたしの方が偽りだったのよ。本当はもっと醜くて、いやしくて……」
わたしは自分で言った言葉に落ち込んでいく。今までの自分は偽りだったということを証明するかのように、自己非難の言葉はあとを絶えない
「そんなことないよ。アンコはあたしたちの知ってるアンコよ。それが偽りだなんて……そんなことないよ」
「わたしはもうだめよ。もう」
なんだかやるせない気持ちでわたしはノンコに背を向けた。
どうしてこんなに意地になるのか、自分でもよくわからない。どうして、感情が制御できなくなったのか。
もしかしたら、みんなへの甘えの裏返しなのかもしれない。優しさに甘えて、それで何かを紛らせようとしている。
そう。
みんなとはもうすぐお別れ。
いつかはみんなバラバラになるって、わかってたつもりなのに。
「ごめん、ノンコ。……でもね、今はほっといてほしいの」
やっと出た言葉。
ほとんど素のままの、感情すら込められない冷たい科白。
「なんか嫌なことがあったんなら、いつもみたいに愚痴にしてあたしたちこぼしていいんだよ。みんなさぁ……」
「ほっといてって言ったでしょ!」
ノンコのいつもの口調がわたしの感情を逆撫でする。思わず振り向きざまに彼女をにらむ。
「アンコ。忘れちゃったんでしょ?」
泣きそうな顔をしてノンコがそうつぶやく。でも、わたしにはなんのことだかわからない。何を忘れているのだろう。
「アンコが教えてくれたんだよ」
泣き顔にするまいとわざと作り笑いを見せるノンコの姿はけなげでもある。
でも、わたしなんか教えたっけ?
……わからない。もう、どうでもいいそんなこと。
わたしは無言でノンコの脇を駆け抜けていく。
☆
一人寂しく家路を歩くわたし。
いつもはミリィが一緒なんだけど……そういや、彼女も少し前までは進学組だったんだっけ。わたしなんかと違って、親に付属高への進学を決められていた。
かわいそうなぐらい抑圧されちゃって、一時期ノイローゼ寸前までいってたみたい
でも、憧れの人が現れたことで、それが強さにつながっていったのよね。
今じゃ、親を説得して城高を受験するらしいけど。
安易だとは思わなかった。わたしだって付属高への進学は城高を受験するミリィと似たようなものだもの。
わたしが付属高へ行きたいのは、お姉ちゃんへの憧れ。
お姉ちゃんが卒業した付属高へ通うことがわたしの第一の目標。
わたしを変えてくれたお姉ちゃんに……あれ?
結局、昔のように嫌な子に戻っちゃったのよね。
みんなに嫌な思いをさせちゃって。
ノンコのこと傷つけちゃっただろうな。
なんで、あんなこと言ったんだろう。
やだ。
わたしがお姉ちゃんに憧れていたのは何のため?
いまさら自問しなくてもわかってるはずでしょ?
でも、どうしてみんなに優しくできなくなっちゃったの?
いままで、少しくらいの傷なんて苦痛に感じなかったのに。
お姉ちゃん。
わたし、どうすればいいの?
☆
多分、夢の中だと思う。
わたしの目の前にわたしがいる。
まだ幼い、かわいくないわたしが。
「お姉ちゃん。お姉ちゃん」
いつものように泣きながら家の中をさまようわたし。
「杏子。そんなに泣いたらきれいな顔が台無しよ」
優しい声が背後から聞こえる。
「お姉ちゃん」
幼いわたしの涙をハンカチで拭きながら鏡台の前へと連れていく。
もうかなり古びた三面鏡。祖母が使っていたという由緒あるもの。
鏡に映る幼いわたしはどこか無愛想で、かわいげがない。
幼いわたしはそんなことを自分でも承知してか、下を向いたまま鏡を見ようとしない。
「杏子。お姉ちゃんが、幸せになれるおまじない教えてあげる」
ふわっと、わたしの頭に手をのせるお姉ちゃん。
「おまじない?」
幼いわたしは好奇心まるだしでそうつぶやく。
「そうよ。これを毎日繰り返せば、今よりずっと幸せになれるのよ」
お姉ちゃんの語り口は、幼いわたしにしてみればとても魅力的で、なんでも叶えてくれる魔法の呪文のようにも感じていたのだろう。
「ねえ、教えて教えて」
さっきの泣き虫はどこへやらって感じで、幼いわたしはすっかりお姉ちゃんの魔法の虜だ。
「教えてあげるから、鏡に映った自分の顔をよく見て」
幼いわたしは、ためらいがちにちらりちらりと鏡を見だす。
「そんなんじゃだめよ。真正面向いてちゃんと見なさい」
「わたし、お姉ちゃんみたいにびじんじゃないから」
幼いころから、自分に負い目を感じていたわたし。
「あら、杏子はお姉ちゃんの妹でしょ。姉妹なんだから杏子も美人に決まってるじゃない。さあ、鏡を見て笑ってごらん」
「できないよ」
「何か楽しいことを思い出して、笑ってごらん。一番いい笑顔を鏡に映してごらん」
幼いわたしは不器用にニッと笑う。だが、あまりいい笑顔とはいえない。
「無理してなんか笑えないよ」
「初めは作り笑いでもいいのよ。そのうちだんだん、心の底からいい笑顔が作れるようになるの。一種のイメージトレーニングなんだけど……あ、杏子にはちょっと難しかったかな」
「いめえじとれいにんぐ?」
「簡単に言えば、お・ま・じ・な・い」
お姉ちゃんは茶目っ気たっぷりにそう説明する。
「わたしもお姉ちゃんみたいになれる?」
幼いわたしの目は輝いてた。理想そのものであるお姉ちゃんを見ながら育ったわたしは、ずっと憧れを抱いていたのだ。
「なれるよ。うん」
お姉ちゃんの笑顔には偽りはなかった。この笑顔は本物で、今までずっと追い続けていた理想なのだ。幼いわたしと心がシンクロする。
うれしい時だけじゃない。悲しい時だって、とっておきの笑顔を持ちつづけていたい。そう誓ったあの日。
そうだ……忘れてた。
急激に目覚めたわたしは、ベッドからばさっと起き上がる。
「……思い出した」
記憶の断片をつなぎ合わせながら、ひとりごちた。
わたしが変われたのは、あのおまじないのおかげ。
こんな大事なことを忘れてしまうなんてどうかしてる。
心に余裕がなくなる時こそ、あのおまじないが役に立つのに。
憧れを変形させて意地になって固執していたわたしは、その本質さえ忘れていた。
付属高に入れなくたって、お姉ちゃんへの憧れは達成できるはず。
もう少し、余裕を持たないとね。
そうだ。明日、一番でノンコたちに謝らなくちゃ。
いつかはバラバラにならなくちゃならないけど、わたしにとって大切な友達だもん。
こんなかたちで失いたくない。
ごめんね、ノンコ。
ごめんね、ユミ。
ごめんね、ミリィ。
みんな大好きだよ。
(了)