Bye-Bye!
Bye-Bye!
振り返ってみると、ほんとにわずかな時間なんだけど
あんなにも甘やかで豊かな年月を彼女たちと過ごせたことは
一番のたからものなんだと思う。
「えーー!! ユミもノンコも城高行かないの?!」
ふとしたことから、ユミが音大付属への進学をもらし、それにつけ加えるかのようにノンコが親の転勤で福島に行ってしまうことを言い出した。
「わたしの場合は、音大付属が落ちちゃったら城高の方へ行くわけだから、完全に決まったわけじゃないんだよ」
ユミが苦笑いをしながらそう答える。ソノウさんとのちょっとした事件があってから、彼女の態度に何かを感じていたのだが、ぎりぎりになっての進路変更はあたしをびっくりさせた。
「それにしても急だよね」
すでにここの付属高への進学を決めているアンコは、余裕の表情を見せながらも少しだけ悲しそうな声でそう呟いた。
「そうだよそうだよ、急すぎるよぉ。ユミだけじゃない! ノンコも!」
あたしはやり場のないじれったさを言葉にのせる。
「わたしの場合はさぁ、ほんとうに急だったんだよぉ。こればっかりはわたしのせいじゃないからね」
ノンコはいつものゆっくりしたペースであたしに言い訳をする。だけど、急な話なんだからに、絶対に本人も堪えているはず。
「もう! みんなバラバラになっちゃうなんてさびしすぎるよ」
あたしまで、だんだん悲しくなってくる。別れは突然やってくるとは言うけど、それにしたってホント、急すぎるよ。
「会おうと思えばいつでも会えるんだよ」
アンコの笑顔が胸を締め付ける。
そんなのわかってる。
でも、理屈じゃないんだよね。
四人の中で一番の泣き虫と言えばミリィだろう。
わたしたちの仲間の中では特に感情の動きが激しくて、それだけによく泣いたり怒ったりまるで秋の空のようにころころとよく変わる子。その性格にどれだけわたしたちが振り回されたか。とはいえ、根っからの正直な子で多少のわがまま言われても憎めないところがある。
わたしなんかみたいに無理な作り笑いしなくても、この子は周りを幸せにしてくれる。思いこみが激しくて城高の女の先輩を「お姉さま」と慕ってはいるが、将来本当の恋に目覚めたとき、きっと素敵な人を見つけるだろう。
「アンコ、パーティの幹事やってよ」
そんなミリィのいきなりの提案。ほんと、立ち直りというか、気持ちの切り替えが早い彼女。
「ちょっと待った。まだお別れまで三カ月もあるんだよ。それになんでわたしなの」
「こういうのは早めに決めといた方がいいのよ。それにアンコは付属でそのまま上がるわけだから、厳密にいえばここに残ることになるでしょ。普通は残る者が去る者に対してお別れパーティ開くんじゃない」
ミリィはやや強引な理屈をわたしの通す。まあ、いいか。
「でもさ、わたしが付属高受かるかは分からないよ。第二志望はミリィと同じ城高だし、また一緒になれるのかもよ」
「そんときはそんときよ。残念会に切り替えればいいわけじゃん」
「ミリィちゃんキツイんでないかい?」
ぐさっとミリィの言葉が心に刺さる。でも、それほど怒る気にもなれない。彼女に悪意はないわけだし、わたしも同じ過ちを繰り返したくはない。
「わたしも落ちたら残念会してもらおうかな、ミリィに」
ユミがちょっと意地悪げにミリィの顔を見る。
「みんないいよね。結局、東京に残れるんだもん」
ノンコがぼそりとそう呟く。
「福島なんて電車ですぐだよ、会いに行ってあげるよ」
暖かみのあるユミの声。
「そうそう、ノンコの事を忘れるはずがないよ」
ノーテンキな口調だが、どこか優しげなミリィ。
「まだ、3カ月もあるでしょ。今から悲しんでてどうするの?」
わたしは、にかっとノンコに微笑みかける。笑顔の魔法はインチキなんかじゃないよと、彼女に教えてからもう7年も経っていた。今じゃ一番付き合いの長い親友。
「だってぇ、みんなしてお別れの話なんかするんだもん。わたしはみんなみたいに、さらっとそんな話に加われないよぉ」
おっとりしてはいるものの、その内に秘めた情熱はわたしたちの中で一番だろう。小さい頃からこだわりを持っていて、四人の中じゃ一番芯が強いかもしれない。
ポケットのことを自慢げに話していたノンコ。
幼い頃、内向的な性格が災いして友人に恵まれなかったわたしに、初めてできた親友。それが彼女だった。
別れなんてつらすぎる。ほんとはずっとみんなと一緒にいられればいいと思う。
時の流れってすごい残酷。せっかくの友達とも別れを告げなければならない。
「ばかねぇ、しめっぽく話してたら悲しくなるにきまってるじゃない」
アンコの暖かみのある笑顔に少しだけ励まされる。悲しいとき、楽しいとき、いつでも彼女が一緒だったような気がする。いつも鈍いわたしを見放すことなく、付き合ってくれた親友の一人。特上の微笑みの秘密を教えてくれた彼女。
感謝してるよ、アンコと会えて。
「そうそう、しめっぽいのはよくないのだ。えへへへっ」
ミリィのいつもの明るい口調がその場をぱっと明るくする。
「あんたが、最初にしめっぽくしたんでしょ!」
ユミのお約束のツッコミ。他の人から見ればたわいのないおしゃべりなんだろうけど、わたしたちにとっては大切な時間。
トモダチというかけがえのない宝物。振り返ればこんな特別な宝物が、わたしの心のポケットにいったい幾つ入っているだろう。
まだ、小学校に上がる前、仲良しだったミカちゃん。いつも一緒に遊んで楽しみを分け合った。次にアンコと出会って、わたしたちはお互いの魔法の秘密を教え合う。
アンコはとってもあったかい子で、いつも笑顔でまわりを和ませる。そんな彼女と一番のトモダチというのがわたしの自慢の一つだったりする。
中学に入って、ミリィとユミと出会って仲良しグループみたいなのを作って、みんなで遊びにいったり、くだらない話をしたりして楽しい時間を過ごして、時には喧嘩なんかあったりして友情にヒビでも入りそうになるんだけど、みんなやっぱりみんなのことが好きだから大したことがなく終わって……アンコは忘れっぽいところがあってそれが玉に瑕だし、ミリィはお調子者ではしゃぎすぎると手に負えないし、ユミは四人の中で一番落ちついていて大人っぽいだけに、いつも悩みとか抱えていて……でもそんなみんなの欠点さえもわたしは好きであったりする。
やだなぁ、みんなと別れるなんて。
やだよぉ。
隣にいたノンコがぽろりと涙をこぼした。
それはわたしたちの隙をついたもので、ミリィの涙目を気にしていたわたしは、彼女の涙に一瞬ドキリとしてしまった。
ノンコはマイペースな性格だけに、それほど涙もろい方ではないはずだ。よっぽどのことがない限り泣いたりしない子であった。
わたしが最初にノンコと会ったときに感じたのは、ミリィとは違った純粋さであった。ミリィの場合は悪く言えば思春期独特のナルシズムを持った純粋さで、わがままな意味でとられがち。だけど、ノンコの純粋さはある意味で心の広さを感じさせ、与えるというアンコの笑顔とは対の、なんでも受け入れるという意味での純粋な優しさを持っている。わたしは、そんなものを彼女から感じとっていた。
だから、涙もろいわたしなんかよりも先に涙を流したノンコには、今回のことは一番堪えているのだと思う。それだけ、友情というものを宝物のように思っているのかもしれない。
まったく、わたしなんかの場合、友情さえも犠牲にして何かを始めようとしてるんだから冷たい奴だわな。
みんなの事は絶対忘れない、という自信がそうさせているのかもしれないけど。
まあ、自分で決めたことだしね、今さら後悔したくはなかったりする。
「ノンコ、ふぁいと!」
ぽんっとノンコの肩を叩き、そして自分自身にもその一言を言い聞かせる。
ふぁいと!
☆
『除夜の鐘がこんなにせつなく聞こえるなんて……』:美鈴
『おセンチになるには早すぎるよ』:杏子
『年越しソバが食べられないなんて……せつなすぎる』:紀子
『……(^^;) ノンコがボケてどうすんのよ』:有魅
☆
今日は、あたしとユミの合格発表日。
すでにアンコは、うちの付属高への推薦ではない一般入試に合格している。
余裕の表情を見せながらも、やはり悲しそうな雰囲気。心の中はきっとフクザツなのかもしれない。
「まあ、ミリィの場合は城高受かるのは当然だし……わたしはユミの発表についていくよ」
アンコの少しだけうわずった声、そしていつもの笑顔があたしに向く。
こんな時まで無理して笑顔作んなくなっていいのに。みんなに気をつかって泣くのを我慢するのはよくないよ。
あたしはそう言ってやりたかった。でも……。
「じゃあ、ノンコもーらい」
ノーテンキにそう言いながらノンコを引っ張る。アンコがあんな一生懸命に笑顔でみんなを悲しませないようにしているんだもん。あたしだってそれに応えなきゃ。
「ミリィ、ひっぱらないでよぉ」
「ほれほれ、ノンコはやるから早くわたしとあんたの合格を確認しておいで」
そう言ってあたしの腕に触れたユミの手が、わずかながら震えているような気がする。
合格率じゃ、ユミの音大付属の方が低い。いくら滑りどめに城高を受けているとはいえ、本当に行きたいのは音大付属の方だろう。いつも悩みを抱えながらも強気な彼女は、今までで最大のターニングポイントを迎えようとしている。
無理をするという意味じゃアンコと同類のユミ。自然体過ぎて変なことを言い出しそうなあたしより、アンコが付いていくのが正解かもしれない。
もし……万が一……あー、ばかばかばか。あたしったら何考えてるんだか。
「アンコ。ユミのお守りをお願い」
「わたしゃお子ちゃまでちゅか?」
「はいな。合格して、はしゃがないように見張っときまっせ」
アンコはわたしの言いたいことを見抜いているだろう。
頼んだよ、アンコ。
02 POCKET GIRL [ノンコ] 【坂上紀子】
「ねぇ、ノンコ。覚えてる? あたしがノンコに最初に出会った日のこと」
城高へ行く途中の道のりで、ミリィがそんな事を聞いてきた。
「覚えてるよぉ。入学式の十日ぐらい前だっけ、入学する前に見学行こうってアンコに誘われて校門の前から学校を眺めてたら、制服姿のミリィとユミが現れて」
「そうそう。たまたま学校指定の洋品店でサイズ合わせしてて、ついでだから制服着たまたま学校見学行こうってあたしがユミを誘ったんだ。ちょうど校門の前でノンコたちに会って……そしたら、ノンコったらあたしたちのこと先輩だと思って、挨拶してくるんだもん」
「だってぇ、ミリィはともかくぅ、ユミってけっこう大人っぽいし背だって高いでしょ。間違えてもおかしくないよぉ」
「あたしとユミって悪ガキなとこあるから、そのまま先輩のフリしちゃったんだよね。あとで大笑いしちゃったけど」
「それで入学式の日、クラス分けが発表されてその教室に行ったらミリィとユミがいるんだもん。びっくりしたんだよぉ」
「ノンコったら真顔で『留年したんですかぁ?』なんて聞いてくるから、吹き出しちゃったのよね」
「だって、あの時はほんとうにそう思いこんでたんだもん」
「お詫びにってあたしとユミがお茶とケーキおごってっさ。それからよね、一緒に行動するようになって仲良くなっていったのは」
「うん、仲良くなるのに時間もかからなかった」
「ある意味じゃ、あたしとノンコって似てるからね」
『似てるよね』と言われて、多分、他人にはわたしとミリィとの共通点なんて簡単にはわからないと思う。基本的には性格は違うわけだから。
でも、『マイペース』という意味ではすごく似ていると思う。
「わたしもミリィも、自分のペースがあって、それを何があっても守り続けてるもんね」
「あたしの場合、それがときどきわがままとして面に出ちゃうんだけど。そこがノンコとの違いなんだ」
ミリィはきゃははと明るく笑う。
「わたしだってわがまま言ってるじゃん」
「ノンコの場合は素直な感情の表れで、そこに贅沢が入ってない。あたしなんか理想高いから、もろわがままなのよ」
「そうかなぁ」
ミリィはわがままだと他の二人はよく言う。だけど、わたしはそれほどわがままには思えない。だってそれがこの子のかわいさなんだから。
「ノンコの心のポケットの広さが、そのままあんたの優しさなのよ。わがままなんて言ったらバチがあたる」
優しいのはミリィの方だ、今までのトラブルのもとだって、ほとんど彼女のおせっかいからきている。他の人を想う心が過剰すぎるのが欠点なのよね。
人よりも感情の波が激しくて、それだけに人を好きになるという気持ちがものすごく純粋で、ときどきうらやましくなる。
仲間うちでの一番のムードメーカー。
ミリィと過ごした時間、楽しかったよ。わたし、絶対忘れないからね。
しばらく無言で目的地へと歩くわたしたち。
やっぱ、ユミったら緊張しまくっているのだろう。何か気の利くような言葉を言いたいのだが、下手に何か言うのも考えものだ。
なにせ、わたしの方はすでに合格していて、のほほんと余裕をかましているのだから。
「アンコ寒いね」
いきなりのユミの言葉にドキっとした。差し障りのない言葉の中に緊張感が漂う。
「そ…そうだね。帰りにお茶して行こうね」
かなりひきつった笑みをユミに向けてしまった。わたしとしたことが、不覚を。
「アンコもつらかったでしょ。合格見に行くの」
「う……ん」
冷や汗もんだよこれは。
「ひゃ!!」
いきなりユミが、わたしの背中に冷たくなった手をつっこむものだから、思わず気の抜けたような悲鳴をあげてしまった。
「な……なによ!」
「アンコ、寒さで笑顔が凍りついてるよ。んふっ」
「うー、ユミのいじわる」
ユミはわたしの心の中はお見通しって感じで軽く笑った。
「わたしはさぁ……けっこう平気っちゃぁ平気なんだよ」
「……ユミ」
かなり無理してるように聞こえるけど気のせいなの?
「結果がどうあれ、後悔するようなことにはならないだろうと思ってるからさ。ただね、ちっとばかりフクザツな気分なんだわ」
「わたしもそうだった」
冷や冷やしながらぼそりと呟く。だって、すでに結果の出ているわたしの言葉でいつユミを傷つけないともかぎりらない。
「アンコの方が大変だったんだよね。今になってわかるなんて……ゴメンね」
「な…なに謝ってるのよ」
「けっこう、わたしも無責任なこと言ってるじゃん。アンコ傷つけちゃったりしたこともあったし」
「あのことはいいのよ。わたしだって悪かったんだから」
「だからさ、そんなに気を遣わなくてもいいんだよ」
「気遣ってるかなぁ」
「がちがちに緊張してるくせに。アンコはただの付き添いでしょが」
あーあ、なんてことだ。逆にユミに気を遣わせてしまうとは、今日のわたしはどうかしてるな。
「あー、アンコちゃん反省。ユミお姉さまにはかないませんわ」
「アンコ、だんだんミリィに似てきてるぞ」
「やだなぁ、わたしはノーマルだってばさ」
あー、まだ顔がひきつってる、困ったな。
ほんと、ユミにはかなわないわ。
ひきつりながらも笑顔を維持するアンコ。
それでも、けっこうかわいいと感じられるのが羨ましいところ。
でも、本人にとっては大切な心の魔法なのだろう。
彼女の笑顔が、彼女自身の強くなりたいという願望の表れであることを、いつの頃からかわたしは気づいていた。そしてそれが、アンコにとってもまわりの者にとっても良い方向へとプラスになることも。
『昔はかわいくなかった』なんて過去を悔やんでいる彼女だけど、わたしは一番の笑顔を見つけたアンコにたまに嫉妬する時もある。でも、それは醜い嫉妬ではなくて純粋に憧れている部分の表れなのかもしれない。
彼女と出会ってわたしが一番変わったと思うことは、前よりクヨクヨしなくなった事だろう。ミリィのノーテンキさには、たまに疲れて気分が滅入ってしまうが、アンコといると逆に勇気さえ湧いてくる。たぶん、あの特上スマイルにそんな魔法が宿っているのかもしれない。わたしには真似ができないけど、あの子と仲良くなれたことはちょっとした幸せにつながっている。
「ユミ、校門が見えるよ」
ふいにアンコが立ち止まる。
「うん、大丈夫だから行こう」
わたしを気遣ってくれるアンコ。やっぱりしょうがないのかな、気を遣われるのは。今のわたしの状態って『壊れ物注意』そのまんまかもしれないし。
「ユミ……」
「やだなぁ、ほんとに大丈夫だってば」
言葉では余裕を見せながらも、心の中では緊張感が漂う。
合格すれば、アンコやノンコばかりかミリィともお別れ。不合格ならば、いままでの想いが崩壊してしまう。どっちにしたって、それなりの覚悟は必要。
しばらくその場で悩み込むが、『ふぁいと』と自分自身に言い聞かせながら、一歩踏み出す。
「アンコ、ここで待ってて。ちょっくら見てくる」
「うん」
アンコはいつもの優しい特上スマイルをくれた。
☆
『ここのナポレオンパイがまた格別なのよねぇ』:美鈴
『そっかな、わたしはあっさりしたチーズケーキの方が好きだよ』:杏子
『わたしはどっちも好きだなぁ。
でも、スペシャルパフェの方が食べごたえがあるよ』:紀子
『わたしゃ、お茶とお煎餅の方が……』:有魅
『……生クリームの嫌いな乙女なんてあんただけよ(^^;) 』:美鈴
☆
卒業式を終えたあたしたちは、そのまま帰らずに再び校舎へと入った。
パーティ幹事のアンコが選んだ会場は、思い出のいっぱい詰まった3-Cの教室だったのだ。
「ユミったら目が真っ赤よ」
あたしは真っ先にユミの涙目を指摘する。四人の中で一番大人びていながら、一番の泣き虫なんだから。
「ミリィだってそうじゃない」
「あたしの場合はもう条件反射的なもんが多いから、ユミより立ち直り早いのよ」
…なんて、わざと強がって見せる。ユミとは付き合いが長いから見透かされているかもしれないけど。
「ノンコもアンコもけっこう落ちついてるね」
ユミはそう言いながら、涙目をごしごしとこする。
「わたしはねぇ、前の日に一人で泣きはらしちゃったから」
ノンコはいつものマイペースな口調。
「わたしの場合はさ、もしかしたら涙が枯れちゃってるのかもしれないんだ。ちっちゃい頃大泣きしすぎたからね」
アンコは照れたような醒めたような、それでいて悲しいようなよくわからない微笑みをあたしたちに向けた。彼女自身は付属でこのままあがるわけで、すぐ隣の高等部へ移るだけ。残る立場が一番つらいのかもしれない。フクザツすぎる心境の百分の一くらいはわかっているつもりなんだけど。
「それはアンコが強くなったからよ。涙なんてそうそう流しちゃいけないんだから」
ユミのいやに大人びた言葉。泣き虫っていう意味じゃ、あたしと同類なのだが、こうも性格が違うとはね。
「そうね……わたしの場合、泣いたら最後、どんどん、どんどん弱くなってしまうもん」
アンコがしみじみとそう話す。
なんか、言葉を交わすごと過ぎていく時間が、痛いくらいに心に突き刺さる。別れの時を前に敏感な心が悲鳴をあげそう。
「そういや、よく教室なんか使わせてもらえたよね」
ユミが話題を変えようと、何事もなかったようにそうアンコに問いかける。みんなの声から、ぼろぼろと思い出がこぼれてるのを感じる。
せつなすぎるこの想い、やっぱりあたしって幼いのかな。
-「担任の市原センセが校長センセにかけあってくれたのよ。ほら、わたし以外みん
な他の学校へいくわけだからさ」
-「市原先生って優しいもんね。わたしの進路のことでも親身になって相談にのって
くれたし」
-「そうよねぇ。ユミの進路変更ってわたしの転校よりフクザツな事情だったし」
-「わたしもさ、出来も良くないのに付属へ上がるなんてわがままいちゃって迷惑か
けたんだよね」
-「同性からも好かれるよね、あの先生。ねぇミリィ」
-「ねぇ、ミリィ」
-「ミリィちゃんたらどうしたのかな?」
あれっ? 誰かあたしのこと呼んだの?
みんなきょとんとした顔であたしの顔を見ている。
何か考えごとをしてたかのように、ぼんやり歩いていたミリィ。
「ほらほら、ぼんやりしてないでパーティ始めるよ。お祭り娘!」
教室を目の前にして、ユミがびしっとミリィのお尻を叩く。ムードメーカー役の彼女が落ち込んでいては、こちらまで滅入ってしまう、とそんな感じ。
「いったーい! なにすんのよ」
すかさず悲鳴をあげ、もとのノーテンキ娘に戻るミリィ。
「ぼんやりしてる時間なんてないよ」
ちょっときついが実感のこもったユミのお言葉。なんだか、胸にしみる。しみすぎて痛いよ。
「早く入ろう。この教室とも今日で最後なんだよぉ」
ノンコも実感しているのだろう。刻々と過ぎていく時間を。
わたしたちが共有したわずかな時間。四人で過ごした時間なんて、一生のうちのわずかな瞬間。それでも、あとで振り返ってみればきっと光輝いているはず……そう思いたい。
「あ!」
教室と戸を開けたミリィが小さく叫んだ。
「うん、きれいだよねぇ」
ノンコが見とれるように教室内を見渡す。
わたしが二人の後から教室へと入ると、そこはセピア色の写真の中にでも迷い込んだかのような茜色の空間があった。
西の窓から夕陽の朱が滑り込んで、教室全体を暖かく包み込んでいる。
委員会や部活で遅くなった時、たまに見たこの色合い。卒業式の後ということもあってか、朱色のフレームの中を詰め込まれた思い出たちが流れていくようだ。
「けっこうきれいでしょ、ミリィ。わたしも初めて見た時感動したもんだよ」
と、ユミは得意げに言う。
そういや、ミリィは帰宅部だったから夕方まで学校にいたことないもんね。
「あたし、なんかすごい感動……」
ミリィが感動しすぎてそれ以上言葉にならないらしい。そういえば、この子は夕焼けとか好きな青春娘でもあったんだっけ。
「ねえ、お腹空いちゃったぁ。アンコ、お菓子ちょうだい」
茶化しているわけでもないノンコの素直なお願いに、誰もツッコミを入れる気はない。
「はいはい、袋の中にポテチとかチョコビとかあるから好きなだけお食べ」
わたしは隣にいたユミと顔を合わせくすりと笑った。
「ミリィも食べる?」
そうユミが聞く。が、そんな言葉もミリィには聞こえていないようで、窓辺にたたずみながら一人夕陽を仰いている。
「わたしらも浸ろうかぁねぇ」
ユミの提案にノンコとわたしは頷く。
この雰囲気、嫌いではない。時間が飽和したような空間……ミリィがそう言っていたのだが、そんな夕刻の中でぼんやりするのも悪くはない。
時間がほんとに止まればな、と思いながらわたしは夕陽を身体いっぱいに浴びた。
夕陽の光でみんなの顔がセピア色に染まっている。
まるで色あせた写真のよう。
やだよ、みんな。写真みたいに色あせていくのは。
「アンコ」
「え?」
「ミリィ」
「へ?」
「ユミ」
「ん?」
「離ればなれになったって、みんなと出会えたことは忘れないよ」
「もう、ノンコったらなに言い出すと思ったら、めちゃいじらしいんだから。おもわず抱きしめたくなっちゃう」
アンコのちょっとした茶目っ気を含んだ言い方。
「ア・ン・コ。やっぱりあんた、ミリィに似てきたよ」
目を細めてアンコを見るユミ。わたしもちょっとだけユミの意見に同意する。
「どういうことよ? あたしに似てるって」
「そ、それはね……」
「でも、わたしノンコのこと好きよ」
と、アンコに言われてわたしは素直に嬉しかった。それが恋愛感情ではなく、純粋な友情であることを知っているから。
「みんなもね」
予想通りアンコがそうつけ加える。
「きゃー、恥ずかしいアンコったら。……で? あたしに似てるってどういうこと?」
ミリィのちょっと微妙な怒りのお言葉。
「そういや、わたしとミリィって似てないようでいて、実は似ているのかもしれないね」
すかさずフォローのアンコ。さすがにごまかしがうまい。
「そうそう、ムードメーカーっていう意味じゃ一緒かもしれない。ま、ミリィはかなり強引なムードメーカーだけど」
「びしっ!」
ユミの言葉に、ミリィは少しふくれっ面をしながら彼女を叩くフリをする。
みんないつもと同じように、いつもの自分をさらけ出す。まるで、このままずっと一緒にいられる時間が続くかのように。
そんな中に突然ピアノの音が響いてきた。
「あ、ピアノの音」
思わず声をあげてしまうほど、激しく情熱の込められたメロディ。はっと驚くわたしの心に響いた。
別れの曲にしては激しすぎるよ。何か挑戦のようなものが込められたメロディだ。
嵐のような激しさの中に、計算しつくされたかのような技巧が込められた左手パート、そして情熱的な感情の流れが表現された右手主旋律。一度聞いたら忘れるはずがない。
「ショパンの練習曲<エチュード>。たしか『革命』ってやつかな」
わたしは心の震えを抑えながら、わざと笑みを浮かべてひとりごちた。
「よくわかるよね。あたしなんかなんも考えず唄うだけだから、クラシックとか疎いし」
「わたしだってそれほど詳しいわけじゃないよ。これけっこう有名な曲だよ」
ミリィの問いに、わたしはわざとさらりとそう答えた。
「ユミ。ピアノ弾いてるの園生さんでしょ?」
勘のいいアンコがわたしを見る。
「まったく、最後まで自己主張の強い人だよ。ま、彼女らしいお別れの仕方なのかもしれないけど」
「どういうこと?」
「『優れた技巧を持たない音楽家の手には届かないし、たとえ優れた技巧の持ち主でも、優れた音楽性を持たなければ到達できない世界』ショパンの曲によくいわれる言葉よ。この練習曲<エチュード>はね、ピアニストの技巧を極限まで要求する曲なの。だけど、その技巧にばかり目を奪われて音楽の流れそのものが霞んでしまうこともないの。つまり最高の技巧と最高の音楽性は両立するってこと。どちらかが欠けた音楽なんて二流でしかないの」
「つまり、ユミへの最後の『忠告』ってわけ?」
ミリィの疑問の眼差しにわたしは思わず顔をそらす。
「そういうことになるね」
忠告なんて、そんな大げさなものではないだろうが、わたしのことをそれだけ意識してくれているのだろう。
「ふーん、それは厳しいねぇ」
ノンコがほんわりと呟く。
「わたし自身の音楽が二流以下になるのもわたし次第ってこと。埋もれた才能を伸ばせるか、それともはじめっから才能なんてないのか」
「ユミ。『迷い』はなくなったんじゃなかったの?」
無邪気にノンコが問う。
「完全には無理だってば。とりあえず、できることは全部やってみるんだからさ」
「ユミはいいよね。やりたい事がちゃんとあるから、大人になるのも楽でしょ。あたしなんか、考えちゃうよ」
ミリィが頬に手をあててちらりとわたしを見る。
「そんなに大人になるのが嫌なもんかな?」
「できればこのままでいたいよ」
ミリィはほっとため息をもらす。
そんな彼女を見てアンコが優しく口をだした。
「お姉ちゃんが言ってたんだけどね。大人になってみれば、子供の時の方が大変だったんだって。知らないだけに怖いことの方がたくさんあったって。だから、そういう無知の怖さを知るのが一番の大人への近道なんじゃないかって」
「知ることのほうが怖い場合もあるよ」
と、やや不満げなミリィ。
「知っていた方が楽な場合の方が多いってば」
わたしもアンコのお姉ちゃんの意見に賛成。
「そうかなぁ」
「憶病すぎるのも考えものよ」
と、わたしとミリィが深刻な議論をしてるものだから、やや悲しげな表情でノンコがこちらを見る。
「せっかくのお別れパーティなんだから、もっと楽しくやろうよ。」
「いやぁ、悪い悪い。園生さんの挑発に刺激されたわたしが悪うございました」
そう言ったところで、曲が変わっているのに気づく。もともと『革命』は短い曲。 今度はがらりと変わって、軽やかなテンポの曲がながれてくる。さっきとは対照的な穏やかな感じ。これはたしか『幻想即興曲』。
あくまでも園生さん流のお別れの仕方を貫くみたい。ま、あの人にセンチメンタルは似合わないもんね。素直に『別れ』の曲なんて弾かないだろう。
そんなふうに考えていてふと、自分の中に熱く沸き上がってくる思いに気がつく。
「ね、みんな」
思ったことを、そのまま口にだすことにした。今さら仲間内で照れもあるまい。いまなら、素直になれそうな気がする。
「わたしは、もしかしたらこのまま成長してその過程で変わっちゃうかもしれない。でもね、いつかまたみんなとどこかで出会ったとしても、今の瞬間の輝きみたいなものだけは失わないでいたいと思うの」
「ユミったらいつになくおセンチになっちゃってさ」
ミリィのいつもの茶化しかたにも、少しだけ悲しみをひきずっている気がする。
「さっきまで浸ってたのは誰だったかな」
ミリィとの付き合いはアンコやノンコよりも長い。彼女のお天気的性格にも振り回され続けていたが、やはりしばらく会えなくなるのはさびしいものだ。お互いにそんな部分を、今しみじみと感じ取っているのだ。
「あのさ、そろそろ暗くなってきたし、二次会行こう。『えんじぇる・べる』のパーティー・コースにしたから」
アンコが雰囲気を一転しようと、明るい口調でみんなを見る。
「さっすがぁ! 名幹事」
「そうだね、行こっか」
「よーし、お楽しみはこれからよ!」
再び元気ハツラツになったミリィのかけ声で、わたしたちは教室に別れを告げる。
薄暗くなった校舎に残されたのは、シャーペンの先で文字が刻まれたわたしたちの机と、新学期が始まったら消されるであろうたくさんの悪戯書きのされた黒板と、校舎に残響する園生さんの未来への挑戦が込められたピアノの音と、そしてミリィとノンコとアンコと四人で過ごした放課後の匂いの残る空間だった。
わたしたち四人の永遠に続くかと思われた時間は、時の流れに逆らえずひっそりと忘れ物としてこの場所に置き去りにされる。
『Bye-Bye!』
☆
『たのしい時間なんて一瞬だね』:美鈴 ☆
『でも、たのしかったじゃない』:杏子 ☆
『そうそう、楽しめたことに感謝しなくちゃ』:有魅 ☆
『楽しんだことは一生忘れないよ、わたし』:紀子 ☆
☆
まだ、春と呼ぶにはまだ心細い気温の中、別れを告げる友のもとへと集まる仲間たち。
楢崎美鈴、朝倉杏子、三浦有魅、そしてその友に送られる坂上紀子。
「ノンコ。落ちついたら手紙だすね」
美鈴の元気な声、それとは対照的な涙目。常に自分に正直に生きる分、複雑な感情の波は時に表情にも矛盾を起こすのだろう。
「夏休みになったらみんなで遊びに行くからさ」
有魅もまた少し泣き顔である。四人の中では一番しっかりしているものの、大人びていながら感受性だけはまだ子供のまま。だが、人一倍成長したがっている彼女。
「元気でね」
たった一言の中に最上級の優しさを込めながら、笑顔で紀子の顔を見る杏子。
言葉にすればたった一言の笑顔の中にも、百通り以上の感情の色が隠されている。
どんなに悲しいときも笑顔を絶やさない彼女は、相手の心に少なからず安堵感を与える。どんな作り笑いでも、彼女はいつの間にかそれを本当の笑顔に変えてしまう。
強い憧れが、一つの想いまでも凝縮させる。強さは力ではなく、優しさだということを信じさせてくれるような微笑み。
「みんなのことは絶対忘れないから……」
紀子の、かみしめるかのような一言。大事なものは大切にしなければならないのだと、幼い頃から本能的に悟っていた彼女。
芯の強さは、四人の中で一番だろう。
「うん、わかってる。元気でね」
即座に答える杏子。やはり紀子と一番付き合いの長い友であるからであろう。しっかりと彼女の言葉を受けとめる。
「じゃあ、ほんとに元気でね。ばいばい」
有魅の涙まじりの声が美鈴の悲しみを素直に引き出させる。
「ユミ、『ばいばい』なんて……子供じゃないんだから」
美鈴らしい一言。きっとそれには、別れを惜しむ気持ちが目一杯、込められているのかもしれない。
「ミリィ、『ばいばい』でいいよぉ。いつものようにお別れしよ」
紀子の素朴な感情。
「そうだね。下手に意識しないほうがいいかもね」
「そうよ。放課後、みんながそれぞれ帰るときみたいにさ」
それぞれの心の中に輝き続ける一つの時代。そして、永遠に失わないという約束を込めて想いが凝縮する。
「ばいばい、みんな」
杏子ゆずりの、素直な笑顔を向ける紀子。
『ばいばい』
そして、美鈴、杏子、有魅の純粋な声が駅のホームにこだまする。
今、一つの世代の仲間たちに別れを告げる四人の少女たち。
そして時は、新たな世代を育て始める。
(了)