多摩丘陵では、やきものづくりに適した性質の粘土が採れました。
斜面地では粘土層が地表から近いため、採掘もしやすく、さまざまな時代の粘土採掘坑が見つかっています。
丘陵ではこの恵みを活かし、縄文土器や古代の瓦などのやきもの生産が活発に行なわれていました。
TN No.248遺跡(町田市小山ヶ丘)では、全国でも例を見ない大規模な縄文時代の粘土採掘坑が見つかっています。
2,405平方メートルの調査範囲からは少なくとも635トン(オスのアフリカゾウ約100頭分)にも及ぶ粘土が1,000年以上にわたり採掘されたと見積もられています。
広い斜面に粘土採掘坑がいくつも掘られています。
粘土層をねらって採掘しています。
打製石斧
この石器は土を掘る道具と考えられています。
基の部分がTN No.248遺跡の粘土採掘坑から、刃の部分がTN No.245遺跡の住居跡内から出土したことで、TN No.248遺跡の粘土は、土器作りのムラであるTN No.245遺跡の人々によって掘られていたことが証明されました。
土器は粘土で形作られ、最後に焼くことで完成しますが、TN No.245遺跡の51号住居の床からは、焼く前の土器(未焼成土器)と土器の製作台(器台)が並んで出土しました。
前者は模様付けまでされており、あとは焼くだけの状態でした。
未焼成土器は倒れて割れたような状態で見つかっているため、もとは隣の器台の上で焼成前の乾燥を行っていたのかもしれません。
縄文土器づくりの一場面をとらえた、貴重な事例です。
未焼成土器
器台
TN No.245遺跡 51号住居 未焼成土器と器台の出土状況
もしも完成していたら...
ここに示した2つの縄文土器はどちらも「曽利式」と呼ばれるもので、縄文時代中期後半に作られたと考えられています。
模様などの特徴から未焼成土器も曽利式と考えられるため、こちらも縄文時代中期後半に作られたと推定できます。
奈良時代には、多摩丘陵の各地に瓦や須恵器を焼くための窯が造られます。
やきものや窯を作るための「粘土」、窖窯を造るのに適した「斜面」、焼成に必要な「木材資源」というように、
多摩丘陵にはよい条件が揃っていたのです。
他国にも流通した丘陵の須恵器
平安時代に操業を始めた御殿山窯跡群(八王子市・町田市)の須恵器は、南武蔵のみならず、相模国、そして甲斐国でも使われていました。
須恵器 坏(御殿山窯跡群産)
国分寺創建を支えた瓦窯
稲城市大丸地区の窯では、奈良時代に創建した武蔵国の国府・国分寺に提供する瓦を焼いていたことが明らかになっています。
瓦
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国土地理院 陰影起伏図を加工