2023年9月7日 新会員のご挨拶
東京余市会会員 常磐 浩史 さん
名前:常盤 浩史(ときわ ひろし)
生まれ:昭和33年 現在65歳
趣味:鉄道全般(乗るのが好きです)
余市とのご縁
昭和52年から小樽に居住。アルバイトで余市に約半年通いました。
その翌年から、昭和56年3月まで三年間居住。借りていたアパ-トで中学生、高校生を
相手に、学習塾で教えながら、余市から大学に通学していました。
よって、余市は青春時代の思い出の街です。
住所
東京都八王子市元八王子町(ここが生まれた場所で、実家です。中央高速の元八王子バス停の近くです。高速道路渋滞で有名な場所です)
現在
昭和56年に就職して、今年春に再雇用定年で退職。(住宅不動産関係)
過去の仕事の経験から、今年会社を設立して、賃貸住宅管理会社の仕事を副業でやっています。
自宅近くにある畑で家庭用野菜を作りながら、副業を兼務。いわゆる『晴耕雨読』の生活です。
余市時代の思い出と雑感
➀学習塾での経験から、当時の中学生(おおむね昭和40年前後の生まれの人)や一部高校生との交流もありました。当時の写真を添付しています。
大川小⇒旭中、黒川小⇒東中、沢小⇒西中という組み合わせを久しぶりに思いだしました。
栄町小が数年前に廃校になったこともネットで知りました。
登にも小学校があったような記憶があります。
②余市町では、大川町7丁目29番地に家主『小路配管工業所』のアパ-トを借りていました。
家主はすでに逝去していますが、奥様は余市町内で昨年春に40年ぶりにお会いできました。
お嬢様は、ほぼ同世代ですが、いまどうされているのか不明です。
同地は、現在世壱屋というウニ料理のお店になっています。
当時の風景とは大きく変わっています。
③余市からは、毎日小樽まで列車での通学でした。朝7時13分発の倶知安発の旧型客車でした。在学中に50系と呼ばれる赤い新型の客車になったときは、新しい車両になったことも嬉しかったですが、古い風情ある客車がなくなり、少々寂しくなったことを覚えています。通学風景の写真も見つけました。
昭和55年10月に千歳空港に駅ができて、本州との連絡の列車ダイヤから、道内での移動を優先する列車ダイヤに変更になり、函館線の全盛期の最後を経験しています。
④出身地八王子への帰省は、すべて列車使用です。朝11時23分発の急行ニセコで函館、青函連絡船、急行十和田を利用して、実家につくのは翌日の午前中であり、ほぼ一昼夜かけての行路でした。
⑤在学中から、余市BBS会に所属していました。これは、非行少年更生活動支援の全国団体です。
例会を大川や黒川の町の施設で開催、7月には社会を明るくする運動のパレ-ド参加等ボランティア活動の思い出もあります。
そのときの会員三名とも、昨年春にニッカウヰスキー工場前の喫茶店でお会いできました。
皆さん余市町内や小樽市内に居住ですので、余市の近況を教えてもらえました。
昨年の訪問で、何か急激に建物がなくなって、空き地が増えたという印象です。
⑥余市生まれの方たちとは異なり、雪が降ると『楽しい』という土地で育っていましたので、いまもって雪が降ると、心が楽しくなります。学生時代の苦労も思い出されますが、とてもいい経験をできたと思っています。
特に昭和54年の成人式にも参加できています。降雪時期の成人式は大変だな、という印象です。当時受領した成人式の記念アルバムが、唯一の余市時代の記念品です。
成人式の名簿もあります。
⑦卒業のときには、余市駅で見送りしていただいたことが印象に残っています。
見送りしていただいた女性のことが今でも気になります。確か入舟町にお住まいで、町役場勤務であったと記憶しています。もう一人は、中学卒業時の女子生徒です。
お住まいは、大川6丁目のバス停付近になった金物店のお嬢様です。50台後半から60歳代になったと思われます。
1979年 余市高校文化祭
1980年 塾生徒・通学風景