2022年4月15日 余市川の桜並木の歴史  

東京余市会会員 大谷覚さん

余市川の桜並木の歴史


昭和22年:坂本角太郎氏が戦後の民選が始まっての初代余市町長に就任。

昭和26年ごろから、全町公園化を提案。余市商工会議所初代会頭竹鶴政孝氏とタイアップし、余市川の両岸の整備を始める。

以後、右岸はニッカ工場の周辺整備、桜木の植樹。左岸に自由広場、野球場、陸上競技場等町民の憩いの場と健康増進を進めてきた。長いこと、花火大会も行われました。

昭和36,37年:余市川の大洪水が発生。大川橋の崩落、災害復興に坂本町長大奮闘。これを機に再び余市川水害対策と周辺環境整備が始まる。

しかし、坂本町長退陣後、余市川の上流(赤井川村常盤)から小樽市への上水道の水利権譲渡したことにより、水がれが起こり、河川敷の汚れが始まった。

平成5年:町内の有志が浄化運動に立ち上がり、「川は心のシンフォニーの会」を設立。また、JCによる「いかだのぼり大会」等、川に親しむ催が開かれた。

さらに、小生や中村裕之氏(現国会議員・当時JC道南ブロック長)等有志が陳情し、川の改修に合わせ、堤防の補強を兼ねた、「桜堤」事業を採択してもらい、「マッサン」の植えた桜を保存してもらった。

平成7年:水道水に豚の糞尿が混入する事故が発生。これを機会に、余市町、仁木町、赤井川村の住民参加が参加して「余市川の清掃」が毎年開かれて、「きれいな川」を守っている。

また、余市町の流域は毎年観光協会等がリーダーとなって、4月中旬に剪定や周辺整備を行っております。

今年も4月19日、町内の有志50人ほどで剪定、清掃を行います。

現在、「マッサン」「角さん」が植えた桜約30本は樹齢70年を超えても元気です。

また、平成10,11年に新しく植えた桜も立派な成木になって、「ゴールデンウイーク」には素晴らしい桜街道になります。

さらに、それぞれの桜木と桜木の間には、余市の《町花:リンゴの花》の原種「ズミ」と「はなかいどう」が植えられています。開花時期は6月初旬です。こちらは「可憐な乙女」を思わせます。

コロナがおさまって、賑わいが来ることを願っています。