2023年97  新会員のご挨拶   

   東京余市会会員 常磐 浩史 さん

名前:常盤 浩史(ときわ ひろし)

生まれ:昭和33年 現在65歳

趣味:鉄道全般(乗るのが好きです)

余市とのご縁

昭和52年から小樽に居住。アルバイトで余市に約半年通いました。

その翌年から、昭和56年3月まで三年間居住。借りていたアパ-トで中学生、高校生を

相手に、学習塾で教えながら、余市から大学に通学していました。

よって、余市は青春時代の思い出の街です。

 

住所

東京都八王子市元八王子町(ここが生まれた場所で、実家です。中央高速の元八王子バス停の近くです。高速道路渋滞で有名な場所です)

 

現在

昭和56年に就職して、今年春に再雇用定年で退職。(住宅不動産関係)

過去の仕事の経験から、今年会社を設立して、賃貸住宅管理会社の仕事を副業でやっています。

自宅近くにある畑で家庭用野菜を作りながら、副業を兼務。いわゆる『晴耕雨読』の生活です。

 

余市時代の思い出と雑感

 

➀学習塾での経験から、当時の中学生(おおむね昭和40年前後の生まれの人)や一部高校生との交流もありました。当時の写真を添付しています。

大川小⇒旭中、黒川小⇒東中、沢小⇒西中という組み合わせを久しぶりに思いだしました。

栄町小が数年前に廃校になったこともネットで知りました。

登にも小学校があったような記憶があります。

 

②余市町では、大川町7丁目29番地に家主『小路配管工業所』のアパ-トを借りていました。

家主はすでに逝去していますが、奥様は余市町内で昨年春に40年ぶりにお会いできました。

お嬢様は、ほぼ同世代ですが、いまどうされているのか不明です。

同地は、現在世壱屋というウニ料理のお店になっています。

当時の風景とは大きく変わっています。

 

③余市からは、毎日小樽まで列車での通学でした。朝7時13分発の倶知安発の旧型客車でした。在学中に50系と呼ばれる赤い新型の客車になったときは、新しい車両になったことも嬉しかったですが、古い風情ある客車がなくなり、少々寂しくなったことを覚えています。通学風景の写真も見つけました。


昭和55年10月に千歳空港に駅ができて、本州との連絡の列車ダイヤから、道内での移動を優先する列車ダイヤに変更になり、函館線の全盛期の最後を経験しています。

 

④出身地八王子への帰省は、すべて列車使用です。朝11時23分発の急行ニセコで函館、青函連絡船、急行十和田を利用して、実家につくのは翌日の午前中であり、ほぼ一昼夜かけての行路でした。

 

⑤在学中から、余市BBS会に所属していました。これは、非行少年更生活動支援の全国団体です。

例会を大川や黒川の町の施設で開催、7月には社会を明るくする運動のパレ-ド参加等ボランティア活動の思い出もあります。

そのときの会員三名とも、昨年春にニッカウヰスキー工場前の喫茶店でお会いできました。

皆さん余市町内や小樽市内に居住ですので、余市の近況を教えてもらえました。

昨年の訪問で、何か急激に建物がなくなって、空き地が増えたという印象です。

 

⑥余市生まれの方たちとは異なり、雪が降ると『楽しい』という土地で育っていましたので、いまもって雪が降ると、心が楽しくなります。学生時代の苦労も思い出されますが、とてもいい経験をできたと思っています。


特に昭和54年の成人式にも参加できています。降雪時期の成人式は大変だな、という印象です。当時受領した成人式の記念アルバムが、唯一の余市時代の記念品です。

成人式の名簿もあります。

 

⑦卒業のときには、余市駅で見送りしていただいたことが印象に残っています。

見送りしていただいた女性のことが今でも気になります。確か入舟町にお住まいで、町役場勤務であったと記憶しています。もう一人は、中学卒業時の女子生徒です。

お住まいは、大川6丁目のバス停付近になった金物店のお嬢様です。50台後半から60歳代になったと思われます。

1979年  余市高校文化祭

1980年  塾生徒・通学風景


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