発掘された様々な道具

鹿児島大学郡元キャンパスは、縄文時代以来、連綿と受け継がれてきた遺跡の上にある。発掘によって、古くから川が流れており、その周辺には人々が住んだ住居の跡や、水田の跡など、人々の活動があったことが分かっている。さらに、そうした遺構だけでなく、郡元キャンパスからは、当時の人々が使用した様々な道具が出土する。それらを見ていくと、私たちの先祖の生活・暮らしがよりリアルに見えてくる。

■土器

郡元キャンパスで最も多く出土する道具の一つが土器である。土器は、食料を貯蔵するための壺、煮炊き用の甕、食べ物をのせる高坏など、主に人間の食を支える上での重要な道具であり、人々の生活には欠かせない道具であった。また、その用途によってさまざまな種類の土器がつくられ、郡元キャンパスからも様々な形、大きさの土器が出土する。


郡元キャンパスで最も古い土器は縄文時代前期のものであるが、最も多く出土するのが弥生時代・古墳時代の土器である。特に、成川式土器(なりかわしきどき)と呼ばれる南九州の古墳時代土器は、弥生土器の特徴を残した在地性の高い土器である。郡元キャンパスでも多量の成川式土器が出土する。図 1 は、中央図書館の増築工事に伴う発掘調査の時に出土した古墳時代の甕である。ここでは、住居跡と溝が検出された。溝からの出土が特に多く、人々が廃棄したためと考えられる。図2は同じ溝から出土した古墳時代の壺である。

図1 成川式土器(甕)(鹿児島大学埋蔵文化財調査室2005より引用)
図2 成川式土器(壺)(鹿児島大学埋蔵文化財調査室2005より引用)

■石器

石器も多数出土する。特に、理学部 2 号館地点の発掘調査では弥生時代から古墳時代の様々な種類の石器が出土した。


石包丁(図3)は稲穂を刈るための道具と考えられる。表面の光沢は、当時の人々が使用してできた痕跡と考えられる。また、横刃形石器も出土する。イネ科植物草本類の株刈り具であると考えられ、この道具から当時の人たちが稲作をしていたことが分かる。また、土堀り具として使われた打製石斧なども出土する。

図3 石包丁(鹿児島大学埋蔵文化財調査センター2019より引用)

■木器

郡元キャンパスでは工学部から学習交流プラザの方向に河川が流れていたことが分かっており、その河川跡からも様々な種類の道具が出土する。特に、郡元キャンパスの中では集中的に木器が出土する地点として特異である。


図4は耕作のための農工具として使われる木製の組み合わせ式鋤で、弥生時代前期から中期前半のものと考えられる。ただし、幅が狭いこと、先がとがっていること、さらに河川跡から出土したことなどから、組み合わせ式の櫂であったと当初は想定した。しかし、農具でよく使われるカシではあるが割れやすい根本部分を使っていること、農具にしては薄いことから、実用品ではなく、鋤形儀器(祭祀具)であると現在は考えている。興味深い資料である。


また、弥生時代中期後半の木杭も出土する。その数は約 560 本にものぼり、大量の木杭列があったことが分かる。この地点では、北西から南東方向に川が流れており、木杭列の方向と平行になっている。そのため、この木杭列は護岸施設として機能していたと考えられる。  

図4 木製鋤

■陶磁器

郡元キャンパスでは、陶磁器類も出土する。時代は中世から近世、近代のものが見られる。


陶磁器は、その種類の豊富さが特徴の一つで、郡元キャンパスでも用途や生産地などの違いによってさまざまなものが見られる。例えば、用途別では甕、壺、鉢、杯、皿、碗などが見られる。さらに、生産地を見ると、中世の陶磁器の生産地はすべて鹿児島以外の地域である。例えば、この時期の磁器・青磁はすべて中国産のものである。また、備前焼など国内で作られた陶磁器も多く出土する。近世に入ると、薩摩焼が登場する。薩摩焼は、朝鮮出兵後に薩摩に連れてこられた朝鮮陶工が窯を開き、つくられた陶磁器である。苗代川系のものや、加治木・姶良系のものが出土する。また、肥前系や京信楽系陶磁器が出土している。


図 5~7はいずれも保健管理センター北側地点で出土した近世の陶磁器 である。図5は京信楽系陶器の碗である。図 6は、肥前系染付の輪花皿である。図 7 は薩摩磁器の碗である。いずれも、外面・内面に文様が施されている。図 5・6 は草花文、 図7は花文が施される。

図5 京信楽系陶器(鹿児島大学埋蔵文化財調査センター2020より引用)
図6 肥前系染付(鹿児島大学埋蔵文化財調査センター2020より引用)
図7 薩摩焼(鹿児島大学埋蔵文化財調査センター2020より引用)

■装飾品や祭祀具

郡元キャンパスでは、生活用品としての道具が数多く出土するが、中には必ずしも生活の道具として使われるとは限らないようなものも出土する。


図8は、古墳時代のガラスで作られた小玉で、図9は勾玉である。中心に穴が開いていることから、糸を通して装飾品として使用していたと考えられる。


また、甕や壺などの土器を縮小したサイズのミニチュア土器も出土する。当時の人々は、生活に必要な土器だけでなく、祭りに使うための祭祀具としての土器も使用していたのである。

図8 小玉
図9 勾玉

[参考文献]

鹿児島大学埋蔵文化財調査室1999『鹿児島大学埋蔵文化財調査室年報13』

鹿児島大学埋蔵文化財調査室2007『鹿児島大学構内遺跡郡元団地Q-10区、K・L-5・6区』鹿児島大学埋蔵文化財調査室発掘調査報告書第3集

鹿児島大学埋蔵文化財調査室2009『鹿児島大学埋蔵文化財調査室年報19

鹿児島大学埋蔵文化財調査センター2019『鹿児島大学構内遺跡郡元団地H・I8区』鹿児島大学埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書第15

鹿児島大学埋蔵文化財調査センター2020『鹿児島大学構内遺跡郡元団地I-9区、F-6F・R~T-7~9区』鹿児島大学埋蔵文化財調査センター発掘調査報告書第16

山田昌久編2003『考古資料大観8 弥生・古墳時代 木・繊維製品』小学館


[図版出典]

図4、8、9は鹿児島大学埋蔵文化財調査センターの許可を得て執筆者撮影。

(担当:M、I)