第1部 蓮に観る仏教 

神秘の花」と言われる蓮。蓮は、その一生を通して仏教の深い教えを観ることができます。また、仏教のみならず様々な神話にもこの蓮にまつわる話が残されています。この蓮に何が隠されているのかを探ってみたいと思います。 

①迷いの世界に美しく咲く栄養分がある

  蓮根料理。コリコリ感がたまらなく、大好きな方も多いかと思います。孔が空いていることから、遠くがよく見え、先見性のある一年を祈願する料理と言われ、おせち料理にも良く用いられます。この蓮根は、「神秘の花」の蓮の根ですね。古代より神秘に包まれた花と言われています。

 蓮は、泥の中から這い上がり、そして美しい花を咲かせます。この姿が、仏教の教えを表すと言われ、蓮の花「蓮華」は悟りの世界、蓮の根「蓮根」は迷いの世界に例えます。蓮の姿は、迷いの世界を一生懸命に生きれば、必ず悟りの世界に花を咲かせるという仏教の教えを示しています。そして、忘れてはならないのは「泥の中の栄養分」。蓮の花は蓮根から栄養をもらって、最後に美しく咲く訳ですから、迷いの世界の中に美しく咲かせる栄養分があるということになります。つまり、今、苦しくて辛くて迷って生きているのは、最後に美しく花を咲かせるために一生懸命に栄養を付けていると言う事なのです。この世は一切皆苦と言われますが、泥の中に美しく咲く栄養分があることを忘れてはならないと蓮は教えてくれています。

②花も枯れるが・・・

 蓮は泥の中から栄養分を吸い上げ這い上がり、そして美しい花を咲かせます。花は枯れても、実はここで終わりではないのです。蓮は多年草。蜂の巣のように種を成し、水面へポツリポツリと種を落としていきます。最後は、葉や花が枯れ、褐色化した茎は折れ、また水面に伏してしまいます。池に朽ち枯れる蓮の姿を見ると少し悲しくもなりますが、それは再び泥の中から戻ってくる為なのです。これは、輪廻転生の姿。「えっ、また泥の中から」と思う方も多いかと思います。蓮は多年草。水の中から次の年に再び美しい花を咲かせる永遠性を表す「神秘の花」なのです。言い換えれば、次に花を咲かせるときは、泥の中からの栄養分の取り方を上手になって育てばいいのです。まさに今、私達は泥の中から様々な栄養の取り方を学んでいるのです。無駄などないのです。 

③蓮華笠に託した思い

   蓮華笠をご存知ですか。千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)で有名な阿闍梨(あじゃり)が頭に被る笠です。比叡山廷暦寺の千日回峰行は荒行中の荒行。千日といっても通算7年間をかけて1000日の間、修行が行なわれ、1日30Kmを歩いて255ヶ所の霊場を巡拝します。そして、最後の9日間「断食、断水、不眠、不臥の行」に入り、座したまま不動明王の真言を十万回唱え続けると聞きます。この修行を終えた僧は、生きた不動明王と言われる「阿闍梨」という位が与えられます。この時の荒行に僧が被る笠を「蓮華笠」と呼びます。長いカウボーイハットみたいな形で、ヒノキを左右から巻き上げて編み、流線形となっています。この形は、実は丸まった蓮の葉の形。蓮の葉は、水面から出たばかりは、まだ丸まっており、これは修行中の身を表していると言われています。修行僧は、蓮華の花を咲かせる前の丸まった葉であり、葉として開くまでの状態にもなっていないという志の表れなのでしょう。仏教では、蓮の状態で今どの段階であるかを示している場合が多いのです。 

④ 蓮と神話

    蓮は仏教のみならず他の宗教や神話でも聖なる花として現れてきます。「インド神話」では、宇宙の創造主ブラフマーは、水上で眠る神ビシュヌの臍(へそ)から生えた蓮華から生まれたとされます。また、ビシュヌ、シヴァ、ブラフマーのインドの三大神も蓮の花の上に座っており、あのゾウの顔をしたガネーシャも蓮華を手に持っています。「古代エジプト神話」の太陽神ホルスも蓮から生まれたと言われます。夕方に花を閉じ、朝に花を咲かせる睡蓮が、死んでも地下世界で復活を待つ太陽神の象徴だった様です。「ギリシャ神話」では、トロイア戦争からの帰途、オデュッセウス達を乗せた船は、蓮の実を常食にする人々が住んでいる島に上陸します。その後、3名の部下を先発隊で調査に行かせますが帰ってきません。蓮の実を食べて、甘美な味の魅力に取りつかれて使命を忘れて帰ってこなかったという話があります。「仏教」においては、釈迦は生まれるとすぐに立ち歩き、歩いた足跡から蓮が咲き、七歩目の足跡から大輪の蓮の花が咲いたとされます。そして、蓮の花の上に立って「天上天下唯我独尊」と第一声をあげたと伝えられています。この「天上天下唯我独尊」は、世界中の人々皆尊い存在であるという宣言です。このように、蓮は世界各地で聖なる花として扱われています。泥の中に根を張りながら、栄養分だけを吸い上げ美しい花を咲かせる「蓮」。全世界的にも神秘の花だったのです。 

⑤ヨガと蓮

 ヨガのヒーリングでは、チャクラ(輪)を活性化させるために、ビージャ(種)マントラを唱えながら、蓮の花を連想させると言います。チャクラとは、人間の体にある「エネルギー」の出入口と考えたら良いでしょう。お尻の辺りの第1のチャクラから頭上の第7のチャクラへ昇るに連れて、花びらが4枚から千枚まで増えていくイメージを連想します。まさに、現世界の泥の中から栄養素だけを波動として吸い上げ、全身を構成する細胞を活性化するようにイメージするのです。つまり、蓮が天高く、美しく咲くように瞑想するのです。このように神秘的なヨガの世界でも蓮は必要不可欠な植物なのです。ヨガ自身は仏教の原点といっても良い瞑想法であることは言うまでもありません。

 以上、泥の中から栄養をつけて這い上がり、美しい花を咲かせる蓮について記してみました。蓮の一生は、仏教の原点と言えます。この世は泥の中で「一切皆苦」。すべて苦である事を認識することが仏教の理解を深める第一歩です。しかし、全てを苦と捉えることは決してネガティブな思考ではありません。遅かれ早かれ気づく事で、早期発見と考えて、ポジティブに捉える事が大切なのです。そして、一番大切なのは「迷いの世界にも美しく花を咲かせる栄養がある」と言う事です。この思考こそが毎日を楽しく過ごせる秘訣なのです。