第2部 漢字で観る仏教

仏教の教えは緻密で論理的です。しかし、時に難解な教えもあり、なかなか腹落ち出来ない事も多々あります。そんな時、仏教に用いられる「漢字」の生い立ちを知ると、仏教の心が分かる事があります。そこで、漢字で観る仏教と題して、仏教の心が分かる漢字を紹介したいと思います。 

①「仏」を観る

 仏教は言うまでもなく「仏の教え」です。仏とは、仏教を開いたお釈迦様を示します。

お釈迦様は、悟りを開いた事から「ブッダ」と呼ばれました。ブッダは、インドの古い言葉サンスクリット語で、「目覚めた人」と言う意味です。この仏教がインドから中国に渡った時、そのブッダの音写から漢字の「仏陀」が割り当てられました。この「仏」が面白いのです。

「仏」は「佛」の略字。「佛」は、「人」+「弗」と書きます。「人」は言うまでもなく人間の事を指します。「弗」は、否定の意味の「非ず」という意味を示します。つまり、「佛」は「人間に非ず」という意味を表していたのです。では、お釈迦様は人間ではなかったのでしょうか。お釈迦様は、インド釈迦族の王子として生まれた人間ですよね。では、人間に非ずと、なぜ表現されるのでしょうか。それは、悟った人という意味なのです。お釈迦様は、瞑想で心の活動を止め、苦行で体の活動を止めて悟りを得ました。つまり、佛の人間に非ずの意味は、人間を超越した人という意味なのです。言い換えれば、「佛」という字は、人間なら誰でも悟れるという事なのです。悟るなんで人間では出来ないと思うのではなく、人間だから出来るというポジティブな字なのです。では、「悟」とはどういう事でしょうか。この漢字も次に見てみたいと思います。

②「悟」を観る

 では、悟るとはどういう事でしょうか。「悟」という漢字を「佛」と同じように分解して観てみましょう。「悟」は、「」+「吾」と書きます。「」は、心を意味します。

「吾」は、「吾輩は猫である」の「吾」で、自分を意味します。つまり、「自分の心」という意味なのです。「悟」とは、実は「自分の心を知る事」だったのです。人は、外部の変化を目、耳、鼻、舌、肌で感じながら、意識的、かつ無意識的に反応して生きています。ですので、心も体も意識は外に向きがちなのです。お釈迦様は、なぜ自分は苦しむのかを解明する為に、自分が実験台となり、瞑想で心の活動を止め、苦行で体の活動を止めました。そして、自分の心のメカニズムを知ったのです。その心のメカニズムが、原因と結果の因果の関係にある事を知り、悟りを得たのです。その真理が「縁起」です。この「縁起」は心のメカニズムばかりではなく、宇宙の法則にも当て嵌まる仏教の核となる教えとなります。では、次に「縁」という漢字にアプローチしてみましょう。


③「縁」を観る

 「佛」と「悟」と同様に、「縁」という漢字も分解してみましょう。「縁」は、「糸」+「彖」と書きます。「糸」は、言うまでもなく自分で紡いできた糸の事です。そして「彖」(たん)は、端っこという意味なのです。「彖」は、豚が子供に乳を与えている姿の象形文字と言われ、子供達が並ぶ姿から「端っこ」という意味になったようです。つまり、「自分で紡いできた糸の端っこ」を意味しているのです。良縁、悪縁と色々ありますが、それは自分が紡いできた結果なのです。

「縁には偶然はなく全て必然」と言いますが、この事も漢字の生い立ちから分かりますね。さて、自分が紡いてきたとは、どういう事でしょう。それは、自分の「心のメカニズム」が造り出してきた積み重ねなのです。つまり、今からの未来を良縁で過ごそうと考えるなら、自分の心を知ることなのです。自分の心を知るとは前述した「悟」ことですね。そして、「悟」ことは人間なら誰にでもできる事を「佛」という字が表しています。私は、「佛」、「悟」、「縁」のこの3つの漢字が仏教の心を表していると思います。


④「私」に隠されたシークレットコード

 「私」という漢字にはシークレットコードが隠されています。「私」は、稲穂が垂れている稲を表す「禾」と、それを取り囲む様子を表す「ム」で構成されています。つまり、稲を自分のものにするという事から、「私」という漢字が出来ました。さて、「私」という漢字を、よーく観てください。何かが見えてきませんか。見えてきましたね。「私」という漢字から、「一」と「八」の字を消すと「仏」という字になります。つまり、私達には、元々仏になる能力「仏性」があることを漢字は示しているのです。まさに、シークレットコード!私達はそもそも仏性を持つのですから、「私」の漢字が示すように稲を自分のものにするという意識を消して、「一」と「八」の字を消すと、「仏」になれるという事なのでしょう。前から、旧字「佛」と新字「仏」の2文字がなぜあるのか不思議でした。「佛」は、前述したように人間なら悟れることを、「仏」は人間にはそもそも仏性があることを示していたのです。活かすも活かさないも自分次第。漢字で仏教を観るだけで、随分勉強になりますね。