第3部 数字で観る仏教

お寺を巡礼していると、巡礼するお寺の数や、仏を表す数などに何か法則めいた謎が隠されている事に気づきます。この事は、仏教が論理的な教えであるとこを示しています。そんな話を次に書いてみます。 

①2乗の法則

私が「西国薬師四十九霊場」を回り始めて気付いたことがあるのです。不動明王霊場は36箇所、観音菩薩霊場は三十三箇所あり、これでも大変なのに、薬師は四十九箇所です。その時、妙な事に気づきました。それは「2乗の法則」です。2×2=4、3×3=9、4×4=16、5×5=25、6×6=36、7×7=49。数を2乗した数字に、何か気づきませんか。全て仏が居るのです。

 4は「四天王」、9は「九体阿弥陀」、16は「十六羅漢」、25は「二十五菩薩」、36は「三十六童子」、49は「四十九薬師」と摩可不思議。一説では、東西南北を正方形と考えた時、縦の一辺を「2」「3」「4」「5」「6」「7」とし、横の一辺も同数として、掛け合わせた升目に仏を当て嵌め、仏法を守護した形を表したのではないかという事です。つまり、四方八方を仏で固めた磐石なフォーメイションを表している事になります。曼荼羅もそうですね。四方八方に対称に配置された仏の図には安心感、安定感が感じられます。数字を持って、「仏教の教えの頑強さ」を示しているのです。では、西国愛染明王は十七箇所の霊場、観音菩薩は三十三とか四国八十八は何でしょうか? 仏教と数って面白くないですか。

② 「7」掛けるの法則(四十九日)

仏教では人が死んでからの49日間は、あの世でもこの世でもない世界を漂っている「中陰」(ちゅういん)という期間があり、49日目にあの世に旅立つと考えます。それまでに、十王(じゅうおう)によって様々な審判を受けるとされます。十王とは、閻魔さんに代表される10人の裁判官的な尊格です。初七日(しょなのか)=7×1。二七日(ふたなのか)=7×2。三七日(みなのか)=7×3。四七日(よなのか)=7×4。五七日(いつなのか)=7×5。六七日(むなのか)=7×6。七七日(なななのか)=7×7とあり、この七七日目,49日に行き先がほぼ決まるのです。行き先とは、輪廻すると言われる6種類の世界で、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六道の世界です。しかし、まだ最終ではありません。百か日。一周忌。三回忌とまだ3つの王の審判が残っていると言われます。ところで、この「7」を掛ける日にちに審判する王は、様々な優しい仏様が姿を変えて裁判官となっており、救うチャンスを作っているとされます。代表的な仏は、初七日は不動明王、五七日は地蔵菩薩。地蔵菩薩の化身が閻魔さんです。ですので、この35日目が閻魔さんが審判する大切な日とされる訳です。そして、七七日、49日目が薬師如来です。つまり、薬師如来がこの世から送り出す役割なのです。おっ!ここで気づきませんか。西国薬師霊場が49カ所あることを。それは、七七日=7×7=49だったからなのです。ちなみに、49日目の薬師如来は、冥途に旅立つ私達に、道中の怪我や病を案じて薬を渡してくれると言われています。この様に、十王と仏が割り当てられたのは、図に示すように仏教がインド→中国→日本と伝来する中で、道教や日本仏教と融合して来たことからなのです。また、「7」という数字は、月の満ち欠けの周期が28日であり、その半分が14日、その半分が7日となり、それ以上割切れない「7」を一つの単位として、古代インドから用いられていた数字なのです。 

③ 素数の法則

「1」より大きい数のうち,自分自身以外の数では割り切れない数を「素数」といいます。2、3、5、7、11、13、17、19、23 ・・・・がその数字です。「2」は「「而二不二」(ににふに)に代表される言葉で「二つにして、二つではない」という仏教の究極の教え。「3」は、三尊仏に代表される安定感。「5」は、五智に代表される聡明感。「7」は、七福神に代表される幸福感。「11」は、十一面観音に代表される安心感。「13」は、13仏に代表される人気仏。つまり、西国愛染明王の霊場が「17」あるのも、素数としての頑強性、安定性の表しなのでしょう。そして、「23」と「53」も不思議な素数です。「23」は、有名な「光明真言」の文字数が23。「おん あぼきゃ べぃろしゃのぅ まかぼだら まに はんどま じんばら はらはりた や うん」ですが、梵字で書くと23文字なんです。23文字と短い真言ですが、とても力のある真言です。「53」は、善財童子(ぜんざいどうじ)が仏教を学ぶ為に旅をして訪れた人の数が53。善財童子は、インドの長者の子に生まれましたが、ある日、人は何のためにこの世に生まれてきたのか疑問に思います。そして、文殊菩薩の勧めにより、様々な指導者53人を訪ね歩いて悟りを開いた童子です。素数は、数学的に自分の数字と「1」以外に割れない数字で、「1」を万物の頂点に立つ「大日如来」または「毘盧遮那仏」とするなら納得がいきます。他の数字には影響を受けない素数を用いる事から、仏教が如何に不動なる教えであるかが感じ取れますね。 

④ ゾロ目

おおぉ~出た!「1」のゾロ目! 2つのサイコロを振って、「1」のゾロ目が出るとなんだか興奮しますよね。なんてったって36分の1の確率で、サイコロの「1」の数は赤色ですからね。さて、こんな興奮が仏教にもあります。四国八十八、観音三十三などの霊場はゾロ目が使われます。この連続性に、力強さと大きさを感じると共に、幸運を呼ぶと言われる左右対称のミラーナンバーなのです。ギャンブルでも「777」、値札でも「999円」を見るとハイテンション。このようなリズム感以外にも、「3」、「8」という数には魅力があります。数霊(かずだま)という言葉も聞きますが、古くから数には不思議な力が宿るとされています。「8」は日本では末広がりの漢字ですから幸運の数字と言えます。四国八十八には色々な説があるようですが、末広がりの数字のゾロ目のミラーナンバーで、最高の幸運を頂けるっていうのが私は一番しっくりきます。みなさんはどう思いますか。 

⑤ 「3」という数字の魅力

観音菩薩は三十三か所の霊場があります。「3」のゾロ目の「33」。観音さんは33の化身となり、この世で苦しむ人を助けると言われます。本当に33種類の化身なのでしょうか。「3」という数字には魅力があり、世界三大※※とか、三種の神器、三人寄れば文殊の知恵、現在→過去→未来、心→技→体 等々、なぜか3つにまとめようとする習慣があります。インドでは「3」という数字は「∞」の無限という意味と捉えるのです。インドの神は、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三神です。ブラフマーは創造神、ヴィシュヌは維持神、そしてシヴァは破壊神で、創造→維持→破壊→創造→維持→破壊が無限に繰り返していく世界観がそこにあります。そのことから「3=無限=∞」となったようです。となると、観音の三十三は、「無限×無限」ということで超無限という意味になります。つまり、観音さんは、三十三種類の化身に限らず、何にでも無限に変身できるという意味なのです。ちなみに「3×3=9」の「9」は永遠を意味する数字です。結婚式に「三々九度」を交わしたのは「永遠の愛」を誓ったことを意味しているのです。 

⑥煩悩の数

煩悩の数と言えば「108」。この数の有力説は、六根から計算された数だと言う事です。六根とは、人間の五感に第六感の意識を加えたもの。眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識)で、外部の環境の変化を取り込むセンサーみたいな根です。そのセンサーから変化を取り込むと、それぞれ「好(いい)・悪(わるい)・平(どちらでもない)」の三つに大きく分類すると考えます。そして、分類した結果を、さらに「浄(きれい)・染(きたない)」に分けて自分の判断とします。このプロセスは過去の記憶や未来にかけても実施することから、「前世・今世・来世」にも煩悩があると考えます。つまり、煩悩は、6(感覚器官)×3(感じ方)×2(程度)×3(現在・過去・未来)=108となり、この掛算から108つの煩悩があるとされるのです。人間は六根から入力される変化に一喜一憂して生きる生き物です。般若心経にも、「無眼耳鼻舌身意」、「無色声香味触法」と書かれています。この世の中は諸行無常であるから、六根から入る変化に執着する必要はないと言う意味です。でも、難しいですよね。ですから、六根から入る変化に右往左往しないように毎日を精進しなさいって事ですね。