瀬戸地域

★熊野本地懸仏

 この懸(かけ)仏3面(阿弥陀・薬師・千手)は銅製で室町時代中期の

文明2年(1470)に奉納されたものです。

 熊野権現社の社宝で、普段は瀬戸の権現組が保管しています。

 西予市指定有形文化財。

●飛鳥城跡

 西園寺氏の出城と言われており、城代は上甲光康。

 弘治2年(1556)大洲の宇都宮豊綱勢が鳥坂峠に進出、その知らせを狩り場で受けた西園寺実充の嫡男公高はすぐさま戰場へ駆けつけ、鎧もつけずに奮戦するが、弓によって狙撃され討ち死にした。

 公高の死を目の当たりにした上甲光康も敵に切り込んで討ち死にした。

※その後、「実充」の援軍に蹴散らされ宇都宮勢は敗走した。

●西園寺公高記念碑

 弘治2年の鳥坂峠の戦で討ち死にした西園寺公高の記念碑。

公高の死により、一族で宇和島の来迎寺の僧であった「公次(後に公広)」

が「実充」の跡を継いだ。

●道泉(道仙)寺跡

 お日切観音堂と大師堂がある。

 この付近の地名を道泉寺といい、西園寺公高、上甲光康の墓があったと伝えられる道泉寺があったそうです。

 今はもうありませんが、かつては道泉古墳群や道泉尋常小学校など地名の付いた施設や史跡がありました。

●接待所跡

 現在の瀬戸集会所辺り。新四国八十八箇所霊場の石仏やお地蔵さん、手水

鉢などがあります。

 昔は庵寺があったようで、前の道を通る旅人やお遍路さんをお接待する

場所でもあったそうです。


●熊野権現社

 室町時代の文明3年(1471)に多田の領主宇都宮氏が祈願所として瀬戸

下木に「下祇坊」という寺院を開基、その鎮守として熊野神社を勧請して

祀ったと伝えられています。

 昭和10年(1935)に現在地へ移転、現在の祠は昭和62年に再建されたも

のだそうです。