旧大洲藩口留番所跡(現住友邸)、江戸時代に鳥坂峠を越える旅人や遍路
を取り締まっていました。
旅人は厳しく取り締まったが、お遍路さんには寛容であったそうです。
鳥坂番所ははじめ鳥坂峠にありましたが、江戸時代後期に現在地へ移転
しました。
西予市指定有形文化財。
曹洞宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来。近年本堂と六地蔵が改築された。
度重なる火災により記録が焼失したため詳細は不詳。
境内には喜多郡南久米村の村会議員や鳥坂区長を務めた「清水儀三郎」
の頌徳碑も建っています。
鳥坂峠への遍路道入り口にある道標。
「手印(北南) へんろみち」
「徳島懸美馬郡江原村阿事」
「大正十二年(1923)五月」
臨済宗の寺院で本尊は聖観音菩薩。
江戸時代の中頃に開山された寺院のようです。
無住の寺ですが、立派な本堂が残っています。
大洲藩と宇和島藩の境界に建っていた石碑。
かつては大洲藩口留番所跡の前に建っていましたが、道路工事の際に
現在地へ移設されました。
「従是(これより)北大洲領」
大洲藩口留番所の裏山が城址。主郭(本丸)跡には石仏と石碑が建っている。
城主は来島村上氏の一族「来島吉継」
戦国時代の永禄10年(1567)〜11年にかけて河野、毛利の軍勢と土佐の一条、
大洲の宇都宮の軍勢との合戦があった。
大洲市稲積と宇和町久保の境にある峠。
戦国時代には何度か戦場にもなりました。
街道の要所であり、戦前までは茶店などもあって多くの旅人、お遍路さんが行き交っていました。
峠の石垣遺構は江戸時代後期まで番所があった名残だそうです。
明治16年に建てられた普賢延命菩薩もあります。
明治9年(1876)に立本小学校(後に松南美)として設立され、明治20年に久保簡易(後に尋常)小学校と改称。
久保地区が宇和町へ編入後、多田小学校分校となり昭和37年に閉校となっています。
大正9年(1920)落成の古い校舎が近年まで集会所として使われていましたが、現在は取り壊されて、新しい集会所が建っています。
※写真は2010年1月撮影の旧久保小学校校舎。