久保地区
★大洲藩口留番所跡
旧大洲藩口留番所跡(現住友邸)、江戸時代に鳥坂峠を越える旅人や遍路
を取り締まっていました。
旅人は厳しく取り締まったが、お遍路さんには寛容であったそうです。
鳥坂番所ははじめ鳥坂峠にありましたが、江戸時代後期に現在地へ移転
しました。
西予市指定有形文化財。
●瑞雲山竜光寺
曹洞宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来。近年本堂と六地蔵が改築された。
度重なる火災により記録が焼失したため詳細は不詳。
境内には喜多郡南久米村の村会議員や鳥坂区長を務めた「清水儀三郎」
の頌徳碑も建っています。
●久保の道標
鳥坂峠への遍路道入り口にある道標。
「手印(北南) へんろみち」
「徳島懸美馬郡江原村阿事」
「大正十二年(1923)五月」
●恵雲山常明寺
臨済宗の寺院で本尊は聖観音菩薩。
江戸時代の中頃に開山された寺院のようです。
無住の寺ですが、立派な本堂が残っています。
●ぼう示石
大洲藩と宇和島藩の境界に建っていた石碑。
かつては大洲藩口留番所跡の前に建っていましたが、道路工事の際に
現在地へ移設されました。
「従是(これより)北大洲領」
●鳥坂城跡
大洲藩口留番所の裏山が城址。主郭(本丸)跡には石仏と石碑が建っている。
城主は来島村上氏の一族「来島吉継」
戦国時代の永禄10年(1567)〜11年にかけて河野、毛利の軍勢と土佐の一条、
大洲の宇都宮の軍勢との合戦があった。
●鳥坂峠
大洲市稲積と宇和町久保の境にある峠。
戦国時代には何度か戦場にもなりました。
街道の要所であり、戦前までは茶店などもあって多くの旅人、お遍路さんが行き交っていました。
峠の石垣遺構は江戸時代後期まで番所があった名残だそうです。
明治16年に建てられた普賢延命菩薩もあります。
●旧久保小学校跡(現久保集会所)
明治9年(1876)に立本小学校(後に松南美)として設立され、明治20年に久保簡易(後に尋常)小学校と改称。
久保地区が宇和町へ編入後、多田小学校分校となり昭和37年に閉校となっています。
大正9年(1920)落成の古い校舎が近年まで集会所として使われていましたが、現在は取り壊されて、新しい集会所が建っています。
※写真は2010年1月撮影の旧久保小学校校舎。