信里地域

●関地池

 西予市内でも最大のため池。

 江戸時代の寛永21年(1644)に竣工、その工事のときに、お関という巡礼

が人柱になったという伝説があります。

 その後、何度か改修工事があり、現在の規模になったのは昭和37年です。

 春はサクラ、秋はモミジの名所としても知られています。

★ぼう示石

 宇和島藩と大洲藩の境界に建っていた石碑。

 かつては宇和島藩東多田番所跡前に建っていましたが、道路工事の際に

現在地へ移設されました。

 西予市指定有形文化財。

「従是(これより)南宇和嶋領」

●常夜灯(金比羅道標)

旧道の平野橋近くに建っている常夜灯。竿石に「金毘羅江四十六り」

「安政二年(1855)」と刻まれています。元からこの場所にあったのか

など詳細は不詳です。明かりを灯す火袋は欠損。

※1里(36丁)=約4km 1町(丁)=約109m

●平野橋

 大正11年(1922)3月竣工の古いコンクリート橋。

 南予地方では最古級のコンクリート橋です。

近年、工事によって親柱1基が失われました。

●徳右衛門道標

 江戸時代後期に越智郡朝倉上之村の武田徳右衛門が建てた道標。

「梵字(大師像)是ヨリ菅生山」「願主 武田徳右衛門」

 旧道沿い、信里庵の前に建っている。

※武田徳右衛門早死した子どもたちの供養のために四国霊場を

何度も回り、四国全体で130基以上の道しるべを建立した。

●柳天王神社

 昔、信里の人がお伊勢参りに行った際に持ち帰った不思議な石をご神体

としてお祀りしたのが始まりだそうです。

 明治時代の末頃までは悪病除けのハヤリガミとして参拝する人が数多く

いたそうです。

※祠の隣には東多田にあった「宇治城」城主一族のお墓もあります。