東多田地区

●(岩崎)八幡神社

 旧県社。創立時期は不詳で、鎌倉時代末期の文永11年(1274)に大分県の宇佐八幡宮を勧請し八幡神社となりました。

 嘉元元年(1303)に下木城主、宇都宮永綱が現在地に神社を移設し氏神としました。

 戦国時代の中頃までは42ケ村という広い地域が氏子だったそうです。

 室町時代に書き写された「八幡愚童訓」の下巻を所蔵しており、近年には、お神楽の道具や占いに使う筮竹(ぜいちく)などが発見されています。

●下木城跡

 鎌倉時代末期から安土桃山期まで多田宇都宮氏(東多田殿約3,400石)の居城。北側の「通称ヒノキダン」と南側の丘陵からなっており、南側が本城と見られています

※近年の調査で、南側丘陵の北半分にしか遺構が存在しないことが確認されました。


 最後の城主は「宇都宮石見守宣綱」で、宣綱は天正16年(1588)に当時の領主「戸田勝隆」に反抗し伊延で討死したと云われています

●抱石山大梅寺

 臨済宗の寺院。かつては龍松寺と称していたが、江戸時代に「抱石山大梅寺」

と改称しました。御本尊は観音像で、現在の本堂は明治15年に改築された

ものだそうです。

寺の名前の由来となった梅の木は平成6年に枯れてしまい、現在は2代目が

枝を広げています

●宇和島藩東多田番所跡

 宇和島藩の番所跡、多田小学校の前身のひとつである旧立本小学校跡でもあります。

 江戸時代には東多田番所があって、前の街道を行き交う旅人やお遍路さんに目を光らせていました。

 なお、石垣の上には塀があったと思われます。

※私有地なので勝手に立ち入ることのないようにしましょう。

●東多田の道標

 戦前に建てられた道しるべ。

「(手印)北南 へんろ道 菅生山へ 十八里二十丁 明石寺へ二十丁」

「左 県社八幡神社 二丁 大窪観音 半里 八幡浜へ 三里 のぶつな公 十丁」

「北 大洲町 四里 南 宇和町 二里」

「山田やくし 二里 きん高公 七

●八坂神社

 室町時代の文安2年(1445)3月、当地に流行った疫病を鎮めるために創建

された神社です。

 明治42年、近くにあった神倉神社と拝高神社を合祀。

 現在の本殿は昭和2年(1927)に新築されたもので、終戦後に拝殿、中殿が

解体され、本殿のみが残っています。

●磯崎茂市石碑

磯崎茂市(1860〜1937)

 東多田村出身の関取。秋祭りなどの奉納相撲で名を馳せた。

 引退後は「四国大頭取磯崎」の名跡を継ぎ、地域の相撲発展に力を尽くしました。