河内地区
●塔満山福楽寺
平安時代に創設された寺院。かつては大窪山上に七堂伽藍を備えた寺があったが、昭和20年代後半に現在地へ移設された。天台宗の寺院。
本尊は十一面観音像で、薬師如来像、毘沙門天像、十二天画幅など多数の寺宝を所蔵している。
山門、本堂、庫裏、観音堂など。
※写真は境内の観音堂。
●福楽寺奥の院(旧福楽寺跡)
大窪山の山腹にある福楽寺の跡。昭和20年代後半に現在地へ移設されました。
かつては福楽寺以外に山上十二坊、山下十二坊があり、末寺も多数あった
と伝えられています。
跡地には平成元年頃にお堂が新築され奥の院として整備されました。
※写真は本堂跡の石垣。
★木造薬師如来坐像
福楽寺の仏像で本堂に安置されている。
鎌倉時代の中頃の作と推定され、高さ61.2cm、台座の高さ71.5cm。
光背と呼ばれる部分が欠損。
西予市指定有形文化財。
★木造毘沙門天立像
福楽寺に安置されています。
高さ56cm、江戸時代の作と伝えられています。
西予市指定有形文化財。
★十二天画幅
福楽寺の所蔵している書画。
十二天はインドの古代神が仏教に取り入れられ神となったもので、方角や
地水火風などがそれにあたります。
室町時代前期の作と伝えられています。
西予市指定有形文化財。
●千日様
時期は分かりませんが、奥の谷で食事を取らずに修行をしていた人が、3月21日に土を掘った穴の中に入ったまま亡くなり仏様に(土中入定)なられた。
千日の間修行をしたことから「千日様」としてお祭りされています。
修行者は生前「願い事をすれば何でもかなえよう」と言われていたので、昔は願い事をする人が絶えなかったそうです。
●災害伝承碑
昭和18年(1943)7月下旬にあった豪雨によって奥の谷で土石流が発生。幼児1名を含む5名の犠牲者と多数の負傷者を出し、家屋や田畑にも甚大な被害が出たそうです。
観音像と犠牲者の氏名を刻んだ石碑は平成12年に建立され、鎮魂と共に被害の歴史と教訓を未来に伝えています。