西予市宇和町東多田を中心とする地域は街道筋にあったことから、宿場、あるいは木材など物資の
集積場として栄えました。
宇和町内で最初に縫製(ほうせい)工場が出来るなど、かつては卯之町に次ぐ繁栄をしていたのです。
産業としては米作、養蚕、木材などがあり、縫製も盛んでした。
※明治44年、 多田村に商家49軒、東多田には宿屋兼料理屋2~3軒、宿屋2軒。
昭和25年、多田村人口:3055、世帯数:616、人口密度189
●地域の略歴
・宇和郡東多田村(信里、瀬戸) 河内村 伊延村 岡山村(宇和島藩領 多田組)
※多田村:1,196石余、伊延村:1,025石余、河内村:862石余、岡山村:691石余。
・明治11年に東宇和郡の一部となり、明治22年には合併して「多田村」となった。
・昭和29年には中川、石城、下宇和、田之筋、宇和町と合併して「宇和町」となる。
・昭和33年には大洲市の一部(旧喜多郡南久米村の一部)であった鳥坂、正信を編入。
・平成16年、宇和町が野村町、三瓶町、明浜町、城川町と合併し「西予市」となった。
大洲藩鳥坂口留番所 (久保) ぼう示石(信里) 木造阿弥陀如来立像(伊延) 陣旗(伊延) 熊野本地懸仏(瀬戸)
十二天画幅(河内) 木造毘沙門天立像(河内)木造薬師如来坐像(河内)
※グレーの文化財は写真がありません。
大梅寺を発願とし瀬戸公会堂(開創当時庵寺があった)を結願とする新四国
八十八ヶ所霊場(地四国)のことです。
大梅寺の馬頭観音の奉納年月から明治時代中期頃の開創と思われます。
各札所(霊場)には本尊と弘法大師の石仏が設置され、要所には道しるべも
建てられています。
開創以後、札所の石仏は移設、修復、新設が繰り返され、現在は多田老人
クラブが保存、清掃活動を行っています。
明治30年頃、宇和町内で初めて縫製(ほうせい)工場が設立された。
東多田 那須金次郎 伊延 伊延縫製
縫製工場と同時期に銀行も設立された。 東多田銀行 伊延銀行
明治13年、東多田に郵便局が開設
昭和39年に四国で初めて農村集団電話、通称「農集電話」が引かれた。
「便利になったものの、普通の家では1本の電話回線を5〜10の共同電話
になっていたので、誰かによく聞かれているからうっかり内緒話も出来にくく
またとかく使用中で思うように利用できない一面もあった。」
※宇和町誌より抜粋。
令和5年(2023)12月18日更新