深夜 渋谷第一触穢区、大手門
触穢区表層の正門は混沌を極めていた。
深夜の静寂を破った爆発音とともに、触穢区を囲む正門街壁を破壊され、そこから武装したSAT隊員が大挙として雪崩れ込んできたのだ。
突然の事に混乱する住人の半妖に、何の躊躇もなく発砲をするSAT隊員、八咫烏隊員達は対応に追われていた。
「クッ、アイツらまさか触穢区《ここ》を狙って来るなんて……!」
ユシーが瓦礫に隠れながら叫ぶ様に言う。
「向こうは本気で殺しに来てるのに、こっちは手加減しなくちゃいけないんじゃ持ち堪えられるわけが……」
ネプチューンは建物の壁から身を乗り出し、SATに向かって威嚇射撃を続けるが、反撃を喰らい遮蔽に隠れる。
「クソッ、キリが無い!アリスちゃん、他部隊の状況は?」
「現在横手門でも戦闘が激化中!」
「どこもいっぱいいっぱいか、自分たちで何とかするしか無いわね!」
同時刻、触穢区横手門
ノアは己が血を操り刃物を成型する、身軽さを利用しSATの懐に飛び込むと、成形した刃物で銃、手足を切りつけ次々とSAT隊員達を行動不能にしていく。
しかし物量に押され次第に疲れが見え始めた。
「クソッ」
多量の血液の使用と疲れからノアの動きが鈍る、その隙をつきSAT隊員はノアを狙う。
その時SATの腕が弾かれ、握られていたライフルがあらぬ方向へ飛ばされる。
その隙にノアは仲間のいる建物の影へ身を隠す。
「ありがとう、助かった、さすがの腕前ね」
ノアは先程の窮地を救ったアリサに声をかける。
「コイツの射撃補助機能のお陰よ、」
「謙遜もいいけど、少しは自分を誇ってもいいんじゃ無い?」
ノアはそう言うと、空になった血液袋を投げ捨て、ポケットから新しい血液袋を取り出す。
「これが最後の一袋、まるで紅茶のストックを切らしたような気分ね」
「紅茶ならいくらでも買ってあげるわよ、ここを乗り切ったらね」
「今は紅茶よりローストビーフの気分かしら」
「違いない」
そう言うとノアは再び前線へと赴く。
触穢区、大手門
ユシーは射撃を中断し瓦礫に隠れると、振り返り白波に問いかける。
「負傷者の状態は?!」
「バイタル安定しています!でもこのまま身動きが取れないと危険です……」
白波は医療器具を片手に返事をした、彼女の前には怪我を負い呻き声をあげる半妖の男性がいた。
護るべき市民だったはずの者にも、半妖というだけで躊躇なく引き金を引ける、もはや触穢区の住人は人間とすら認識していないのだろう。
ユシーは憤りに顔を顰め、正面のSATに向き直る、すると銃を瓦礫に乗せ射撃姿勢を取った。
血の上った頭を冷やし、冷静に展開するSATの足に照準を合わせる。
「ごめんなさい……」
そう呟くと引き金を引く。放たれた弾丸はSAT隊員の足を貫きその場に伏せさせた。
隣に展開していた別の隊員が負傷した隊員を引きずり交代していく。
その二人を援護する様に他の隊員が反撃をして来る。
再び瓦礫に隠れたユシーは震える手を強く握り瞳を閉じてつぶやいた。
「やっぱり、いつまで経っても慣れないな、人を撃つのは……」
ユシーは決意とともに瞳を開け瓦礫から身を乗り出す、その時だった。
何者かの影が彼女の前を横切り、SATの元へと突っ込んでいく。
影はその剛腕で横一閃に薙ぎ払い、SAT隊員達を弾き飛ばした。不意をつかれたSATは反撃をする隙を与えられず、なすすべなく吹き飛ばされる。
「俺の縄張りに土足で踏み入るたぁいい度胸してんじゃねぇか、当然、覚悟はできてんだろうなぁ?」
大男はポキポキと指を鳴らしながらSATに問いかける。
その体躯は逞しく、体は獣の様な体毛に覆われ、その顔はまさしく獲物を狙う狼だった。
獣人である彼は以前ある事件で八咫烏に助けられた後、この渋谷第一触穢区怪異自治領を運営している。
「ヴェアヴォルフ!」
ネプチューンが驚き声をかける。
「よう!ネプの姉御!助太刀に来たぜ」
ヴェアヴォルフは鋭い牙を見せニカっと笑う。
「遅いぞ!馬鹿野郎!」
「悪い悪い!準備に手間取ってな、なぁ!お前ら!」
「「「おう!」」」
そこには大小様々な姿形をした半妖、妖怪など、行き場を失い触穢区で暮らしていた住人が集まっていた。
「俺たちの居場所は、俺たちが護る、いくぞお前ら!」
おぉ!と声を合わせてSATに立ち向かっていく住人達、住人の援護によって、八咫烏隊員達も士気を取り戻し始めた。
触穢区 横手門
なんとかSATの攻撃を抑えていた八咫烏隊員達だったが、長時間の戦闘と、加減による消耗で皆疲弊していた。
前線でSATを抑えていたノアとアリサも、もはや継戦は困難であった。
「参ったね、血液袋のストックが切れた」
「こっちも弾切れだ」
「潮時だろう、退却の指示を……」
その時だった。
「芳しくない様ね、助けてあげようか?」
天羽 千鶴の静かな声が響くと、張り巡らされた織布がまるで意思を持つように蠢き、SAT隊員の銃を絡め取った。銃器は次々と弾き飛ばされ、隊員たちは慌てて距離を取る。
「千鶴、助かるよ」
ノアは疲労の色を滲ませながら、それでも不敵な笑みを浮かべる。
「あら、素直に礼を言うなんて珍しいじゃない?」
千鶴は軽く微笑みながら、しなやかに布を操る。SAT隊員の一人がサイドアームを抜き、応戦しようとしたが、千鶴の指先がわずかに動くと、まるで蜘蛛の巣に囚われた獲物のように、その手が制圧される。
「さぁ、畳み掛けるわよ」
「言われなくても!」
ノアは手のひらを切りつけ浅い傷を作る、その切り傷から滴る血を即座に血刃へと変質させる。
アリサも弾切れのライフルを放り捨て、腰に下げていた短剣を抜く。
「撃てないなら、叩き潰すまでよ!」
二人はSATの隊列へ飛び込み、千鶴の織布が抑えた隙を突いて隊員たちを一気に制圧していく。
ノアの血刃が銃を弾き、アリサの蹴りが隊員を地面へ叩き伏せる。
圧倒的な連携により、SATの前線は崩壊し始めていた。
「さて、そろそろ仕上げの時間ね」
千鶴が反物を大きく広げると、織布が夜闇に溶け込むように拡がり、次の瞬間、SAT隊員たちの体に巻きつきその動きを封じた。
「これでしばらくは大人しくしてくれるでしょう」
「助かったわ、千鶴」
アリサが息を整えながら、ホルスターへ短剣を戻す。
「ふふ、礼ならあとでお茶でも奢ってくれたらいいわ」
「とっておきを用意しておこう」
千鶴が涼しげに笑うと、横手門の戦闘は決着を迎えた。
触穢区 大手門
「おい、ネプの姉御、そっちは任せたぜ!」
ヴェアヴォルフが咆哮とともに突撃する。
「勝手なこと言ってんじゃないわよ、こっちも手一杯なんだから!」
ネプチューンが舌打ちしながら、隙を突いて前線を押し返していく。ネプチューンは銃を警棒に持ち替え、格闘戦へ切り替えていた。
「俺たちの縄張りに土足で踏み入るたぁいい度胸してんじゃねぇか!」
ヴェアヴォルフはその剛腕でSAT隊員を薙ぎ払い、まるで暴風のように戦場を蹂躙していた。彼の拳を受けた者は吹き飛び、壁や地面に叩きつけられて戦闘不能になる。
「こっちも終わりが見えてきたね……!」
ユシーは瓦礫の陰から顔を上げ、残存するSAT隊員を見据える。
だが、SATも最後の抵抗を試みた。
「グレネード来るぞ!」
SAT隊員の一人が閃光弾を投擲した。
爆発とともに閃光が弾ける。
ユシーは一瞬視界を奪われ、耳鳴りがする中で身を伏せた。
その隙にSATは態勢を立て直し、再び攻勢を仕掛けようとする、だが、
「そうはさせない!」
視界が回復した時、ネプチューンは既にSAT隊員の前に立っていた。
閃光にも怯むことなく、彼女の瞳が鋭く光る。
負けじとユシーも警棒に持ち替え、ネプチューンの加勢に加わる。
「背中は任せたわよ!」
「了解です」
「お前ら続け!俺たちの居場所は、俺たちが護る!」
ヴェアヴォルフが吠えると、それに呼応するように触穢区の住人たちが一斉に駆け出す。
半妖や妖怪たちが最後の力を振り絞り、SATを包囲していく。
「撤退しろ!!」
指揮官らしきSAT隊員が叫ぶ。
次々とSATの隊員が撤収していき、大手門前に静寂が戻る。
「おとといきやがれ!、ここがどこだかわかってんのか? ここは俺たちの居場所なんだよ!」
「……ったく、最後まで派手にやってくれたわね」
ネプチューンは肩を回しながら、ヴェアヴォルフに目を向ける。
「ははっ!まぁ、勝ったからいいじゃねぇか」
「……そうね」
その時だった。
唐突に、周囲の空気が重く沈んだ。
まるで霧が立ち込めるように、視界がぼやけ、息苦しさが胸を圧迫する。肌にまとわりつく瘴気のような不快感が、ネプチューンたちの体を硬直させた。
人気のない廃墟に迷い込んだような、雨に濡れる墓地に一人取り残されたような、名状しがたい閉塞感がこの場を支配する。
「……何、これ……?」
ネプチューンが眉をひそめる。隣のユシーも、頭を抱えながら震える声で言った。
「……なんか、気持ち悪い……まるで頭の中を無理矢理いじりまわされている気分……」
ネプチューンとユシーを含む八咫烏の隊員たちは、全身を駆け巡る異様な感覚に身構えた。これはただの霊的な気配ではない。もっと根源的で、暴力的な何か、まるで理性を押し流す悪意そのものが、目に見えぬ形で押し寄せているかのようだった。
そして、触穢区の住人たちもまた、それを感じ取っていた。
最初はただ周囲を見回し、不安そうな表情を浮かべるだけだった。だが、次第にその様子が変わり始める。
突然、怒りを露わにする者、恐怖にうずくまる者、虚ろな目をして立ち尽くす者、それぞれの心の奥底に潜む感情が、増幅されて暴走し始めた。
まるで”何か”が彼らの精神を侵食し、理性の均衡を崩しているかのように。
その時だった。
突然、視界の端で何かが動いた。
次の瞬間、闇の中から、無数の禍人の群れが姿を現した。
「クッ……こいつら一体どこから……?!」
ネプチューンが忌々しげに舌打ちし、即座に振り向く。
「ヴェアヴォルフ!応戦を!」
だが、返事がない。
「……ヴェアヴォルフ?」
違和感を覚え、後ろを振り返ったネプチューンは、思わず言葉を失った。
そこにいたのは、今にも泣き崩れそうなほど弱々しいヴェアヴォルフの姿だった。
普段の勇猛さは影も形もなく、彼はただ呆然と立ち尽くしていた。
ヴェアヴォルフの全身は、小刻みに震えていた。
「……そんな……まただ、また俺は、何も守れずに終わるのか……?」
彼の口から、譫言のような声が零れる。
「ヴェアヴォルフ!しっかりして!」
ネプチューンは必死に彼の肩を揺さぶる。だが、その声は彼の耳には届かない。
その間にも、禍人の群れは次第に迫っていた。
バンッ……!!
突然、乾いた銃声が響く、続けざまに、連続する銃撃音。
撃ち抜かれた禍人たちが、霧散しながら倒れていく。
呆然とするユシー。
その直後、頭上から、銃を乱射しながら一つの影が降ってきた。
着地と同時に振り向く影、愛莉だった。
「みんな、無事ですか?!」
その瞬間、愛莉の脳裏に奇妙な違和感が走る。この感覚……さっき感じたものと、似てる……?
「隊長!」
ネプチューンの呼びかけで、愛莉は意識を戻す。今は考えている場合ではない。
「……この禍人たちは、おそらく操られています。通常の禍人とは違う……警戒してください!」
愛莉は銃を構え、禍人の群れと対峙する。
その背後で、隊員たちが次々と銃を構え、立ち上がる。
「もう一踏ん張りです……生き残りましょう、みんなで!」
隊員たちの表情に、再び闘志が灯る。
触穢区を守る最後の戦いが、再び始まる。
数分前、神祇省庁舎
深夜、職員の誰一人いなくなった神祇省庁舎は、静寂に包まれていた。
人気のない大広間に、一人の男が佇んでいる。
照明は最低限のものしか点いておらず、床に伸びる男の影は闇に溶け込むように淡く滲んでいた。
男は微動だにせず、まるで祈りを捧げる神官のように、ただそこに立っていた。
その静寂を破ったのは、彼の低く響く声だった。
「そこにいるんだろう、津守」
突如として発せられた言葉は、大広間の隅々まで静かに響く。
その声に呼応するように、部屋の隅、柱の影からゆっくりと人影が現れた。
暗闇から浮かび上がるのは、一人の男、津守だった。
「単刀直入に言おう」
男は振り返らず、低く問いかける。
「虚見《よみ》に会いに来たんだろう」
津守は、躊躇なく答えた。
「あぁ……」
短い返答、その瞳には揺るぎない決意が宿っていた。
「彼女たちは囮か?」
男の問いに、津守は何かを言いかける。しかし、すぐに言葉を飲み込み、代わりに静かに呟いた。
「……鬼嶋の使役する怪異の居場所を突き止めるには、この方法しか無かった」
絞り出された言葉には、後悔とも覚悟とも取れる感情が滲んでいた。
男はその言葉を聞き、静かに目を伏せる。そして、津守に背を向けたまま言葉を紡ぐ。
「……一ヶ月ほど前から所在が不明になっていた第一級要監視特定霊的干渉怪異・禍愚羅。その所在は未だ不明のままだ」
言葉に込められた重みを、津守はじっと噛み締める。
「やはり、鬼嶋は禍愚羅の力を?」
「あぁ……先程、一度目の使用を確認した」
津守の拳がギリッと音を立てるほどに握りしめられる。
「鬼嶋は、必ずもう一度使う」
津守は顔には出さないが、滲み出る怒りは隠しきれなかった。
その様子を見届けた男は、無言で懐から何かを取り出すと、津守へ向かって投げた。
津守が受け取ったのは、鍵だった。
「禍眼院《かがんいん》へアクセスするエレベーターの鍵だ」
男は淡々と告げる。
「“神祇大臣”の私の権限で、一刻限りの使用を許可する。
津守は鍵を見つめ、静かに息を吐く。
「すまない……迷惑をかける」
「こういう時は”ありがとう”と言うもんだろう?」
男は僅かに口角を上げ、皮肉混じりに笑った。
津守は罰の悪そうな顔で小さく「ありがとう」と呟くと、踵を返し、足早にその場を去る。
男はその背中を見送りながら、低く呟いた。
「……必ず帰って来い、津守」
禍眼院直通エレベーター内
金属の壁に囲まれた密室の中、津守は手にした鍵をじっと見つめていた。
エレベーターの静かな振動が、彼の思考をさらに研ぎ澄ます。
禍眼院。
それは神祇省が収集した霊的情報を解析・蓄積し、未来を予測する高度な知能を持つK.A.I.N.T.の中央演算システムである。
津守の目的は明確だった。
このシステムの中枢を利用し、鬼嶋の使役する禍愚羅の正確な所在を割り出すこと。
エレベーターが最下層へ到達する。
静かな電子音とともに、重厚な扉がゆっくりと左右に開かれた。
そこに広がるのは、薄暗く広大な空間。
天井は見えないほど高く、かすかな光源が壁面に点在し、神秘的な紋様を照らし出している。
中央に続く道には、数えきれないほどの鳥居が、規則正しく並んでいる。赤黒く染まった木製の鳥居は、奥へ進むほどに陰影を深め、まるで別世界へと誘う結界のようだった。
その中心には、五本の巨大な柱。柱は白い紙垂の括られたしめ縄で繋がれており、その中枢には無機質な機械の箱が鎮座している。
津守は鳥居の並ぶ道を静かに進み、中央のコンピューターへと歩を進めた。
機械に取り付けられた端末を操作すると、箱の中央が、ゆっくりと開く。
静寂の中、内部からせり出すように現れたのは、カプセル状の装置。
透き通ったカプセルの中には、人型の存在が静かに横たわっていた。
津守はその姿をじっと見つめ、低く呟く。
「……久しぶりだな、虚見」
その言葉に応えるように、カプセルの中の存在が、ゆっくりと瞳を開いた。
同時刻・警視庁司令センター
鬼嶋は司令室の中央に立ち、煌々と光る無数のモニターを険しい表情で睨みつけていた。ディスプレイには、触穢区で展開されている戦闘の映像が映し出されている。
先の戦闘では、八咫烏の隊長・愛莉をあと一歩のところで取り逃し、その後の触穢区襲撃作戦でもSATの主力部隊は撤退を余儀なくされた。さらに、第二波として投入した禍人部隊も、いまだ敵の激しい抵抗に足止めされている。
「まだ落とせないのか?!」
苛立ちを隠しきれず、鬼嶋は怒鳴るように問いただした。
「戦力では明らかにこちらが優っているはずだ!」
「……ですが!」
部下の一人が緊迫した声で報告する。
「触穢区に不法居住している住人たちの抵抗が予想以上に激しく、我々の進軍が押し戻されつつあります! これ以上の強行突破は困難です!」
「クソッ! 使えないゴミ共が!」
鬼嶋は苛立ちを爆発させるように、机を拳で強く叩いた。その目は血走り、呼吸は荒い。
作戦の長期化は想定外だった。ここまで来て計画が頓挫するわけにはいかない。
「……仕方ない」
鬼嶋は静かに呟くと、次の手を打つために動き出した。
手元の符を取り出し、緻密な呪文を織り込みながら術式を展開する。
これは、より強大な怪異の力を引き出すための儀式。
しかし、その瞬間だった。
「グッ……!」
鬼嶋は突然頭を押さえ、膝をつきかけた。
「……誰だ?! 私の頭に入り込んでくるのは……!」
術式を使い禍愚羅に使令を送ろうとしたその瞬間、繋いだ縁に何者かの思念が割り込んできた。
脳内に響くのは、己の意識とは別の何か、異質な存在が鬼嶋の精神を侵食していく。
背筋を冷たい悪寒が走る。
(この感覚……まさか?!)
心臓が嫌な鼓動を刻む。
「津守……貴様なのか?」
そう呟いた瞬間、鬼嶋の表情は一気に険しくなった。
すぐさま拳を握りしめ、怒りを爆発させるように近くの机を思い切り殴りつける。
「奴に居場所がバレた……!」
沈黙に包まれた司令室。部下たちはただならぬ鬼嶋の様子に戸惑いながらも、声をかける。
「課長、いかが——」
「黙れ!」
鬼嶋は声を荒げ、鋭い視線を向ける。
「作戦は中止だ。私はここを発つ。後の処理は任せる」
それだけ言い放つと、鬼嶋は司令センターを足早に後にした。
白く長い廊下を、焦るように歩きながらスマートフォンを取り出し、素早く電話をかける。
コール音が鳴る。
「……禍愚羅が奴に見つかった。このままでは計画が終わる!」
『あららー、見つかっちゃいましたか』
電話の向こうから、やけに軽い声が返ってくる。男の声は、どこか他人事のような響きを帯びていた。
『あなたならもっと上手くやれると思っていたんですが、とんだ見込み違いだったようですね』
「貴様……何を言って——」
『申し訳ない、鬼嶋さん』
ふいに、男の声が冷え切ったものへと変わる。
『貴方はもう用済みです。せいぜい最後まで醜く足掻いてください』
ツー、ツー、ツー——。
鬼嶋が何かを言い返す間もなく、電話は一方的に切れた。
しんと静まり返る廊下。
「……畜生が!」
鬼嶋は歯を食いしばり、スマートフォンを強く叩きつけた。
同時刻 : 触穢区 大手門
激しい銃撃音と金属の衝突音が夜闇を切り裂く。
火花が飛び散り、爆ぜる硝煙が鼻を突く。
触穢区の大手門周辺では、八咫烏の隊員たちが無数の禍人を相手に死闘を繰り広げていた。
地面には既に無数の倒れた禍人の屍が転がり、その異形の姿を月光が照らしている。
だが、それでも終わらない。
「数が減らない……!」
ネプチューンが息を切らしながら銃をリロードし、手の甲で額の汗を拭った。
弾倉を確認し、苦々しく舌打ちする。
「これが最後の弾倉……無駄遣いはできないわね……」
彼女は慎重に最後のマガジンを銃に装填すると、チャージングハンドルを引き、弾丸を薬室に送り込んだ。
指に伝わる硬質な感触が、これが最後の戦いになるかもしれないという現実を突きつける。
ネプチューンは深く息を吸い、狙いを定めた。
禍人の歪んだ顔に照星を合わせ、一発ずつ確実に撃ち抜いていく。
ヘッドショットを決められた禍人が、のけぞるように倒れていった。
一方、ユシーは既に銃弾を使い果たし、ナイフ一本で戦い続けていた。
近づいてくる禍人を相手に、彼女の細身の刃が素早く閃く。
喉を裂き、手足を斬り落とし、確実に仕留める。
しかし、息が切れ、体力の消耗も激しい。
「キリがないね……」
ユシーは僅かに眉をひそめ、前方を見据えた。
しかし、何かがおかしい。
「でも、少し動きが鈍くなってる……?」
いつの間にか、禍人たちの動きが鈍り始めていた。
まるで将軍を討ち取られた足軽兵のように、一貫性のない動きになっている。
統率が崩れ、それぞれがバラバラに動き出していた。
先ほどまで隊員たちの頭を支配していた異様な圧迫感も、いつの間にか消えていた。
その変化を見逃す愛莉ではなかった。
「好機です!全員、一気に押し返します!」
愛莉の声が戦場に響く。
隊員たちは疲れを押し殺し、一斉に反撃を開始した。
ネプチューンは冷静に狙いを定め、弾丸を無駄なく敵の急所に叩き込む。
禍人たちの額や喉を正確に撃ち抜き、確実に戦力を削いでいった。
ユシーは短く息を吐き、足元の屍を蹴って体勢を崩した禍人を一息に斬り裂いた。
飛沫が舞い、闇夜に霧散して消えていく。
そして、愛莉は両手に握った拳銃を構え、軽やかに戦場を駆け抜けた。
まるで風のように動きながら、確実に敵を仕留めていく。
隊員たちの猛攻により、次々と禍人たちは倒れ、ついに大手門周辺に、静寂が訪れた。
ユシーが肩で息をしながら、辺りを見回す。
「……終わった、の?」
まだ警戒を解けない。
しかし、今のところ、新たな敵の気配はない。
ネプチューンも銃を構えたまま、周囲を見渡す。
耳を澄ませるが、聞こえるのは自分たちの息遣いと、風の音だけだった。
ようやく、戦いは終わったのだ。
「どうやら、撃退できたようですね」
愛莉が銃を収め、静かに隊員たちを見渡した。
倒れている禍人たちの屍は、もはや動く気配はない。
守り抜いた。
張り詰めていた緊張の糸が切れた瞬間、愛莉の体から、ふっと力が抜けた。
足元がふらつく、視界が揺れ、地面が傾いたように感じた。
しかし、咄嗟に踏みとどまり、なんとか体勢を立て直す。
荒い息を整えながら、胸の奥に滞っていた空気をゆっくりと吐き出した。
熱を帯びた呼吸が、冷えた夜気に溶けていく。
ふと、顔を上げた。
暗闇に包まれた空には、わずかに朝の気配が訪れる。
静かに瞬く星達はその存在感を薄め、淡い光が滲み始めていた。
黒く染まった空の向こうに、微かに朝焼けの光が姿を現していく。