このような文章を執筆するということは、私が今とても忙しい状況にあるに違いない。
村上友哉さんという新進気鋭の若手数学者がおられます。彼のウェブサイトに「私の数学研究における夢」という素晴らしい文章が掲載されています。「他の方々がこの話題について語るきっかけにでもなれば嬉しいです。」とあります。きっかけになりましたよ!村上君!
私の頭から特に離れない、2つのとても大きな有名未解決問題があります。「リーマンゼータ値の代数的独立性予想」と「正則素数に関するジーゲルの予想」です。これら2つの予想の証明が載った本を両手に抱えてこの世を去ることができるならば(『グリーン・タオの定理』も抱えよう)、それを超える幸せはないでしょう。
リーマンゼータ値の代数的独立性予想
リーマンゼータ関数の正の偶数における値は円周率と結びつきます。ζ(2) = π^2/6
これがもし ζ(2) = 1.6 とかだったら私は数学をしていなかったと思います。
ζ(4) = π^4/90
ζ(6) = π^6/945
ありがとう、オイラー先生。
ζ(12) = 691π^12/638512875
この691が、味がいい。
円周率と結びつくこと。そして、正の偶数におけるリーマンゼータ値たちが代数的に結びついていること。
若き日の私の心を、そして世界中の数学少年・少女の心をときめかせてくれたことでしょう。
このように正の偶数における値が全て結びついているのに、どうして正の奇数(ただし、ζ(1) = ∞ なので 1 は除きましょう)における値(と円周率)は全て代数的独立なのでしょうか。
本当に不思議でなりません。いや、解けていないのですが。
ζ(3), ζ(5), ζ(7), ζ(9), ζ(11), ζ(13), ...
これらがそれぞれ孤高の存在だというのです。数の世界では、どうしてそうなっているのでしょう。
Apéryの次の勇者はいつ現れるのでしょうか。
正則素数に関するジーゲルの予想
フェルマーの最終定理に関する研究で、19世紀中頃、クンマーが正則素数(奇素数 p であって、円のp分体の類数を割り切らないもの)とよばれる素数を考察しました。正則素数の場合にフェルマーの最終定理を解決したことはクンマーによる偉大な成果ですが、彼は正則素数の分布も調べています。フェルマーの最終定理はその後ワイルズによって解決されていますが、正則素数が無限に存在するかどうかは未解決のままです。非正則素数(奇素数であって、正則素数ではないもの)の無限性が証明されていることとは対照的です。正則素数の無限性はフェルマーの最終定理と結びつく歴史だけを見ても魅力的な問題ですが、これもクンマーが証明したことですが、関・ベルヌーイ数と関係することも魅惑的です。私が尊敬してやまない自由亭関孝和が辿り着いた関・ベルヌーイ数の未だ解き明かされざる謎と密接に結びつくのです。そして、今世紀に研究され始めた「有限多重ゼータ値」との結びつきも、正則素数の無限性の重要性を現代に再認識させてくれます。そんな正則素数について、「無限性」という定性的予測の先には、定量的な予想である「ジーゲルの予想」が聳え立っています。いわく、素数全体における正則素数の占める"密度"は e^{-1/2} である。ここにネイピア数 e が現れることも神秘的ですが、予想の根拠となる論法に不思議さが詰まっています。すなわち、関・ベルヌーイ数 B_2, B_4, B_6, ... , B_{p-5}, B_{p-3} のそれぞれがpで割り切れる確率が 1/p であるような独立事象であるとみなして確率計算を実行すると、この予想に辿り着くのです。でも、関・ベルヌーイ数は決まった有理数なのですから、それらがpで割れるか割れないかは最初から確定しているはずです。それに、各番号の関・ベルヌーイ数は定義漸化式によって互いに関係しています。だから、こんな論法に基づく予想が成り立つとは思えないのですが、昔の教科書に載っていた数値データと、その後更新された最新の数値データを見比べると、予想される値により近づいているのです。ジーゲルの予想が正しいとして、数の世界では、どうしてそうなっているのでしょう。(もっと言うと、このような確率的 heuristic argument に基づく成立が期待される素数の予想は他にもたくさんありますが、それらを一網打尽にするような "確率論的整数論" はあるのでしょうか?)