歳の近い数学者や院生と食事していると、必ずと言っていいほど上がる話題があります。
「俺はこういう数学が好きなんだ」
「私はああいう研究をやりたいんです」
好きな数学や、やりたい研究の話です。
僕自身、この手の話を聞くのが大好きです。その人の核のようなものを知ることが出来るし、自分との差異を比べるのも楽しい。
ですがこの話題はオフィシャルな場では語られることが少ないと思います。そこで、ここでは私がどう考えているかを書いてみます。他の方々がこの話題について語るきっかけにでもなれば嬉しいです。
自分がどういう研究をしたいか、ということをオフィシャルな場で語ることは稀ですが、学振の申請書だとか公募書類だとか、書く必要に迫られることは意外に多いです。「研究計画書」という形で。
ここで話したいのはそういう形式ばったものではなくて、もっとその手前にある、心の中で渦巻く情念のようなもの、言うなれば「夢」です。
数学を研究する動機は人によって様々ですが、僕の場合は「夢」に突き動かされている部分が大きいです。
そんな「夢」を三つお話ししたいと思います。
第一の夢は、
人類のモジュラー形式に対する理解をより深める研究をしたい
です。
モジュラー形式というのは整数論の中心的な対象で、例えばフェルマーの最終定理の解決はモジュラー形式の非常に奥深い性質を解き明かすことが決め手だった、そのくらい重要な対象です。
「一番好きな数学の対象は何か?」 と問われたら迷わず「モジュラー形式」と答えてしまう、私にとってはそのくらい愛着があります。
ですので
モジュラー形式を深く理解したい!
というのが私の研究の大きな原動力になっています。
モジュラー形式の魅力の一つに、「非常に様々な分野と交錯する」ということが挙げられます。このことを象徴するのが
モジュラー形式は万物に宿る
というザギエの言葉です。
「異なる分野を繋げる数学」に私は非常に心を惹かれます。
数学とは異なるものを同じものとみなす技術である
とはポアンカレの言ですが、まさに数学のそのような部分に私は魅了されています。
そんなモジュラー形式と他分野の接触で、近年めきめきと発展を遂げているテーマがあります。
量子モジュラー形式。私の研究のメインテーマです。
この量子モジュラー形式という対象、モジュラー形式論が属する数論との関係はもちろんですが、トポロジーや数理物理、表現論と深く関係することが分かりつつあり、まさに私の
モジュラー形式 × 他分野との接触
という興味にぴったりのテーマなのです。
しかも量子モジュラー形式の研究はまだまだ発展途上。やれることはいくらでもあります。何せ2010年に発見されたばかり、生まれたてホヤホヤな対象です。確定した定義さえまだ無く、個々の具体例の研究を通して定義を模索する段階と言えるでしょう。
私の第二の夢、それは
量子モジュラー形式の理論を構築したい
ということです。
現在、量子モジュラー形式の研究は概ね具体例の追究に注力されている印象があります。私のこれまでの研究もそうです。
ですが、私が究極的にやりたいのは理論の構築なのです。
私はモジュラー形式という対象が好きだと上で述べましたが、負けず劣らず数学理論の構造も大好きです。
緻密な論理に基づく証明が織り成す数学理論の玄妙な構造――数学が持つ美しさの筆頭だと思います。私が数学を勉強していて目が醒めるような美しさを感じるのは得てして理論の構造美です。
「対象に愛を感じ、構造に美を感じる」というのが私の数学に対する感性の核なのかもしれません。
自分が好きな対象に対して、自らが美しいと思えるような理論を構築できたらこんなに嬉しいことは無いでしょう。それが私の夢であり、目標です。
さて、量子モジュラー形式の理論を構築するには数論だけやっていてもダメだということは、私がこれまでの研究を通して肌身で実感していることです。
理論構築のためには例と現象を観察する必要がありますが、数論の心持ちでやっても、少なくとも僕には上手くいかない。
例と現象はトポロジーや数理物理から引っ張ってくる必要がある。真に本質的なものはそっちにある。そういう感触があります。
そういうことをするためには表面的にトポロジーや数理物理をなぞるのではダメで、きちんとトポロジーや数理物理の問題意識を我が物にして研究するのが肝要なのだと思います。
なので私は漸近展開予想などのトポロジーや数理物理に由来する問題の研究に心血を注いでいます。一見すると数論から離れて純粋にトポロジーをやっているように見えるかもしれませんが(特に数論側からは)、この研究がいずれ必ず数論に結実すると信じてやっています。
トポロジーの研究を通して数論にお土産を持って帰りたい、そんな気持ちがあります。
とは言え、研究を進めていくうちに「純粋にトポロジーにも貢献したい」という気持ちが湧いてきています。
これは以下に示す数学の典型的な発展に通ずるものがあります。
始めは対象Aに興味を持って研究している
対象Aの性質の一部は対象Bの性質から従うことが分かる
そこで対象Bを研究し始める
気付けば対象Aのことは忘れて対象Bのことばかり研究している
典型的な例がガロア理論です。当初は方程式の解の公式(対象A)に興味があったのが、方程式の最小分解体(対象B)を調べれば良いということが分かり、気付けば元の方程式というモチベーションは奥に引っ込められ、現行の数学科の教育課程では「体の定義」という方程式とはかけ離れた話題からスタートするわけです。
僕の中でもこういうモチベーションの変化が起きていて、当初は数論がやりたかったはずなのに、気付けばトポロジーに面白さを感じている自分がいます。
このような変化は結構良いことなのではないかという気がしています。こうやって自分の興味の対象を広げていって、自分にとっての「数学の世界」を広げていけたら素敵なことだなと思います。
最後に、私の第三の夢は
人と人を繋げる数学がしたい
ということです。
数学の研究は人と人との繋がりが生む営みなのだ、ということは研究を重ねるごとに強く思います。特に私のような小さな人間にとって、人との縁というのは得難くありがたいものです。
上で「量子モジュラー形式は自分の興味にぴったりのテーマだ」と書きましたが、このテーマに出会えたのは共同研究に誘ってくれた同期の森祥仁くんのおかげですし、ひいては森くんの指導教員である寺嶋郁二先生のおかげでもあり、更にひいては私が学部生のときにモジュラー形式というテーマにいざなって下さった指導教員の山内卓也先生のおかげです。
他にも様々な良縁があり、ありがたいことに沢山の方々と共同研究ができていて、その度に共著者の方々から沢山のことを学んでおり、身に余る幸せです。
完成した共著論文を眺めているときによく「ああ、これは絶対自分一人ではできなかったな」と思うのですが、そういう瞬間に改めて人との縁に感謝しています。
そのような経験を積み重ねるうちに自然と「数学を通じて人と人とを繋げられたら」という心持ちに至りました。
自分が他の方から学ばせて頂いた分をまた別の方に還元できたら、そのようなことを数学という営みを通じてやっていけたらと思います。
2024年12月30日 述
数学と言うと「完成された理論」「唯一無二、不変の真実」というような印象を持つ方もいらっしゃると思います。
それはそれで正しいのですが、一方で色々な著者の数学の論文を読んでいると
数学の研究にも色んな趣向があるし、
数学者のスタイルも個性豊か
ということに気付きます。
様々な趣向の数学研究に触れるうち、「自分はこういう方向性を目指したい」という気持ちが固まってきました。
そこで、ここでは私の
こういうタイプの数学研究をやりたい!
という抱負について語りたいと思います。
まず最初に思いつくのが、
様々な分野の合流点で、肥沃な大地を耕すような豊かな数学がしたい
ということです。
数学研究の中には
公理的に定義された対象の研究
初等的な手法を複雑に用いて具体的な対象を調べる研究
他分野の影響が少ない研究
がありますが、僕がやりたいのは
分野の合流点に現れる具体的な対象を、様々な道具を用いて調べる研究
です。
分野の合流点にある対象というのは色々な側面があって様々な調べ方ができる。だからこそ面白い。そしてだからこそ難しいのだと思います。
合流地点に咲いた対象たちの研究は数学の発展に大きく貢献してきました。ヤング図形然り超幾何関数然り、そしてモジュラー形式然り。
私が研究している量子モジュラー形式も、数論・トポロジー・数理物理・表現論の合流点にある対象です。
自分の研究を通して数学を発展に資することができればと思います。
(ところで、僕のこの「分野の合流点にある対象を好む」という趣向は完全に指導教員である山内卓也先生の影響だなと、この文章を書いていて改めて思いました。)
そのように様々な分野にまたがる領域で研究していく上で目指しているのが、
他分野の勉強や研究を通して、様々な手法やパースペクティブを身に付けていきたい
ということです。
「証明自体は簡単だけど、この発想は出てこないなあ」という感想が零れるような研究が、実は他分野で培われた直感に裏打ちされていたというのはよく目の当たりにします。そのような成果を挙げている数学者に憧れます。
様々な分野を知り、広い視点で研究をできるようになりたいです。そしていつか、分野に新しいパースペクティブを与えるような研究をしたいです。
研究をするうえでは、単に証明を付けるのではなく、きちんとパッケージ化したいし、出来れば理論にしたいという気持ちがあります。この気持ちは
「なぜこのようなことが成り立っているのか?」という問いを追求したい
という目標に繋がります。
浅瀬で泳いで貝殻を拾うだけでなく、海の底まで深く潜っていくような研究をしたいです。
上では「こういう研究よりも僕がやりたいのは……」という風に話を展開してしまいましたが、一方で
様々な数学に興味を持ち魅力を感じられるような豊かな感受性を持ちたい
というのも大きな目標の一つです。
「あの研究はつまらん」という感想は問題点を研究側に押し付けているけども、その実、「面白い」と思えない受け手の感受性にも問題があるように私には思えてしまうのです。
そういう感受性が今の僕は豊かでない方だと思いますが、ゆくゆくは、人によって様々ある数学の研究一つ一つに対し「特にここが面白い」と気付けるような広い視点と豊かな感受性を身に付けていきたいです。
2025年1月5日 述
これから書きます