いやー今回の祭りは、最初のころ(準備期間中)はもう駄目かもしれない、出来ないかもしれない、もし出来たにせよおおごとになりそうだと一度は腹をくくった程、不安の連続であった。 何しろ100%完璧に信じてきたこの乾季に大雨が降ったのだから。 チェンダオ市に入る手前頃からポツリポツリと雨が降ってきた。 「ありゃ、雨だぞ! 一体何が起きたんだ! 台風か! やばい! なんで雨なんか降るんだよ!」 タイに来るようになって20年もたつけど、この乾季に雨は全くの青天の霹靂。
ワーワー、ギャーギャーの不安から始まり、”わァー、虹が出たァー、キレー、虹よォー”の歓喜で終ったところまでは良かったがナント、翌日も、翌々日も、雨が降ったのだ。 祭りオープン前日の夜などは、ものすごい雷鳴、大雨、大風、あげくの果てにはヒョウまで降ってきた。 浄めにしては、度を越していたように感じられた程だった。
祭りオープンの日もパラパラッと小雨が来たが、「ヤマは越したなっ!」 地の利に詳しい連中たちが明るい空を見上げた。 のんびり、ソロリと13日間に及ぶ長ーい祭りが始った。
夜になり、きれいな星空が見えた。 翌日からは又今まで同様に暑い、暑い、乾季特有のお天気にもどり、最後まで、雨にやられることはなかったが、終った翌日には再び大雨がパッと来て、パッと去っていった。 来年からは雨対策も考慮しなければならなくなりそうである。 それにしても雨は全く予想外だった。
なにしろ13日間のロングは初めてだったので、やってみるしかなかった。 僕は紙をつなげて横長の巻物のようなスケジュール表を作り、ことある度に、それをパラリひろげて対応した。 途中の2月7日と2月12日の2回休日をとって全体の流れを調整したが、やっぱり終ってみるとドドドッと疲れが出た。
来年は10日間位がよかろう。
今回の祭りで特筆すべきは、外人がとっても多かったことだ。 もちろんタイ人も増えてはいたが、タイ在住のファラン(外国人)以外に、ロシヤ人、フランス人、メキシコ人、イタリア人、カナダ人、ドイツ人、ハンガリー人、オーストリア人、オランダ人、スエーデン人などなど世界各国からの旅人たちが、どこで話をきいたのかは知らないが、いっぱい集まってきた。 週末日などはファランばかりになってしまった感があった。 でも、トラブル、ケンカ等はまったくなく、誰もが平和にひたっていた。
第一回目からずっと話していた焼きがまがついに登場した。 ハンガリー人のピーターさんというソッポン在住のカマ職人がやってきて、たったの2日で作り、3日目の夜にはピザとパンを焼いてくれたのだ。 これにはみんな感動。そして泥とレンガと石で作ったこの焼きがまは今回のヘポパ大賞を見事に手に入れた。 (グランプリとは言っても、トロフィーもなくただみんなの拍手だけだったのだが…) でもピーターさんは来た時とうってかわって、終始ニコニコと嬉しそうにしていた。 何人かは抱きついていた。 クニくん、さだ、ひとし、アミちゃんたちにも感謝。
キッチンスタッフは去年とまったく違う顔ばかり。 しかもアテにしていた阿部ちゃんが来れなくなってしまったのでどうなるんだろうかと思ったが、余計な心配だった。 実にいいチームが出来上がり、去年に負けない活躍ぶりだった。 組長、ひょうたん、ともちゃん等メチャ楽しみながら頑張ってくれた。 サンキュー!
ある日、タイのロイヤルアーミー(国軍)が4人でやってきて、ドーミトリーのそばの店で飲み始め、食べはじめ、腰をおろしてしまった。 何も知らない僕らは、“おい、ケーサツだろー、どーする。 大丈夫かな”などと、小声で話していたら、ピックがやってきてこう言ったのだ。 「ナミさん、あの人たちはポリスじゃないよ。 軍人さんたち。 それでネ、中の一人がせっかく来たんだから歌わせて欲しいって言ってるんだけど、どーする?」 「あっそうなの。 OK.OK.でも2曲だけだよ」 ということで、私服ではあるがれっきとした軍人さんはステージ上に紹介され満足気に歌っとりました。 そのあとも12時近くまで飲んでいて、帰り際には、王冠マークが2つついてる一番の長官がピックに1000バーツのドネーションをしてくれた。 きっと来年もくるぞ。
炭坑節の盆踊りも民謡アワーも、又、やりました。 ダラワン族の踊りと音楽もよかったな。
ということで、収支も黒字になったし、さらに内容のあることをやろうと来年へ向けてたくさんのアイデアが出ていて、今から心の準備をととのえなくっちゃ。
非常にカンタンだけど、これにていちおう報告おしまい、とさせてもらいます。
関係者諸君、本当にありがとう。
又、来年も思いっきり遊ぼうな。
2013年3月14日
南正人
(ネット上から拾った写真を勝手に使わせてもらいました。 撮影した方々ありがとうございました。)