“ヴェーダは非常に神聖です。特に、「アティ ルッドラ」の箇所はとても重要なところです。「ルッドラム」は、一般的にイーシュワラ神〔シヴァ神〕の別称であると理解されています。実に、「ルッドラム」は、リグ ヴェーダ、ヤジュル ヴェーダ、サーマ ヴェーダ、アタルヴァナ ヴェーダというすべてのヴェーダの真髄です。
「ルッドラム」のもう一つの重要な特徴は、「ナマカ」と「チャマカ」という二つのパートの唯一性(エーカットワ)です。「ナマカ」が無執着の側面 を強調しているのに対して、「チャマカ」は願望の側面を強調しています。しかし、どちらの側面も本質は同じです。何を捨てて、何を望むべきでしょうか? 悪いものを捨てて、よいものを望むべきです。どちらも必要不可欠です。「ナマカ」が無執着(ヴィラクティ)に重きを置いているのに対し、「チャマカ」はあれこれの願望について述べています”
シュリ サティヤ サイ ババ
『アティ・ルッドラ大供犠祭』p.16ルッドラムとは、すべてのヴェーダの真髄といわれ、至高の神(シヴァ神)の一切普遍相を描写した非常に神聖なマントラです。ルッドラムはクリシュナ ヤジュル ヴェーダに収録されており、ナマカムとチャマカムという2つのパートからなります。
※ナマカムのみで「ルッドラム」、ナマカムとチャマカムを合わせて、「シリー ルッドラム」、「ルッドラ プラシナハ」などとも呼ばれます。
ルッドラ神は、ヴェーダに登場する風水害をもたらす暴風雨神です。ルッドラとは「咆哮を上げる者」を意味します。ヴェーダでは、ルッドラ神が赤褐色の肉体に黄金の装身具を着け、武器として弓矢を持つ姿で描かれ、ルッドラ神の怒りと武器に対して人々がどのように恐れおののいたかが、多くの讃歌の中で表明されています。しかし、これはルッドラ神のもつ一面であり、その反面では、慈雨をもたらし、豊穣と人々の健康・安寧を保障するこよなく恵み深い神として讃えられています。後代のヒンドゥー教では、ルッドラ神はシヴァ神と完全に同一視されるようになりましたが、ヴェーダでは実は、「シヴァ(吉祥)」という名の方がルッドラ神の別名の1つとして扱われています。
ルッドラ プラシナハ〔ルッドラム〕のマントラ ドラシター リシ〔マントラの啓示を受けた聖仙〕は、自らの王国の民の幸福のために激しい苦行をするラージャリシ〔王仙〕でした。王はこれから起こることを予知するビジョンを見ました。それは王国の大部分が自然災害に見舞われて、民衆が泣き叫び、そして死んでいくというものでした。王は国民の運命のこの予見を悲しみました。このような災難をもたらす出来事は「マンニュ」すなわち神の怒りであると言われます。神は決して怒ることはありません。人間の振る舞いを矯正するために、「怒りを演じている」に過ぎません。こうした災害は、本当は人間の罪深く乱暴な行為の積み重ねによって起こります。王はこの悲惨な破滅を回避する方法を見つけ出すために、一層の決意を持って苦行に打ち込みました。神は王に満足して、ルッドラムのシュルティ(音)とダルシャンを授けました。王は国民にこの教えを広めるよう指示されました。ルッドラムにある愛と非暴力の教えを唱えるか聴いて、これを実践した人々は、幸運にも自らの悲惨な死を回避することができました。彼らは自らを救うことができただけでなく、自分たちの周囲サハッスラ ヨージャナ〔1000由旬(ゆじゅん)。由旬は古代インドの距離の単位で、1由旬は約10〜15kmと言われる〕の範囲の人々をも救うことできました。これがルッドラムの啓示の背景です。
ルッドラムを唱え続けることによって、次のような望み(カーマ)が叶えられると聖典は説明しています。
シュリーカーマ
シュリーとは、最も価値のある宝物、美徳、恩寵、知的、道徳的魅力、堂々とした人格、オージャス〔優れた才能、才気、霊的な力〕、テージャス〔霊的な力、光輝、栄光〕などを意味します。
シャーンティカーマ
シャーンテイカーマは平安を望むことです。これは個人的および集合的な平安のためのものであり、宇宙の平安、各国の平安、さらには個人の平安を望むことです。
アーユスカーマ
アーユスカーマとは、個人の長寿を促すことを指しています。
アーローギャカーマ
アーローギャカーマとは、健康を増進することです。生物学的な言葉の意味においてのみならず、ありとあらゆる在り方においてです。真の意味では、世界の健康が増進されるようにということです。健全な社会、健全な文化、健全な経済、そして、その他すべての状況における健康を指しています。
2006年、プラシャーンティ ニラヤムで行われたアティ ルッドラ マハー ヤグニャの折に、バガヴァンは儀式を務めるルットウィック(祭司)たちに対して、ルッドラムやヴェーダをどのように詠唱すべきか、三つの指示を与えられました。
ルッドラムを唱えるときは背筋をまっすぐにして座ること。
それによって体内で生じるエネルギーが混ざり合わず、まっすぐ上方に流れるからです。
ルッドラムやヴェーダを詠唱するときは、目をあちこちに動かさず、集中して外のある一点を見ながら、内面では内なるスワミまたは神を想い浮かべるか、あるいはマントラそのものに意識を集中すること。
集団でルッドラムを唱えるときは、皆で声を一つにして詠唱すること。
Swami's guidelines for Rudram chanting