不幸なことに、今日、ヴェーダは十分に保護されていないため、その卓越した地位を失っています。ヴェーダを真剣に学びヴェーダに含まれるマントラを定期的に唱える人が、とても少なくなってしまいました。ヴェーダを規則的に学びヴェーダの指示を実践するなら、人間はあらゆる種類の富を授かります。人の生活と運命を支配する基本的な原理がヴェーダには含まれています。ヴェーダは全人類の幸福のための神からの贈りものです。ヴェーダは宗教や身分や国籍をもとに区別をするようなことはありません。ヴェーダのマントラはすべての人が唱えることができます。(スワミはここで、プラシャーンティ ニラヤムで学んでいる外国から来た二人の少年をお呼びになり、シュリ スークタムを唱えるようにおっしゃいました)。
ヴェーダがすべての国に広がり、宗教や身分や国籍などによらず、すべての人がヴェーダを学び唱えることがスワミの望みです。おとといイランとイラクから何人かの人が来ました。イランからの帰依者たちはまだここにいます。私たちはヴェーダをすべての人々に教えようと努めています。ヴェーダはあらゆる種類の悲しみを取り除きます。今執り行われているヤグニャは、プトラ カーメーシュティ ヤーガや、アシュワメーダ ヤーガといった他の儀式とは異なります。このヤグニャは全人類の幸福のために行われています。少数の幸運な人たちがヴェーダを学び広めています。しかし、不運なことに多くの人々は、ヴェーダを学んでもヴェーダを教える努力をまったくしません。現在、シュリ サティヤ サイ教育機関のすべての生徒にヴェーダが教えられています。ヴェーダの学習の準備段階として、ヴェーダの言葉であるサンスクリットの知識を得なくてはなりません。
最近、どの国の人々もヴェーダ、特にリグ ヴェーダを学ぼうと努力しています。そしてリグ ヴェーダに加えて、ヤジュル ヴェーダやサーマ ヴェーダ、アタルヴァナ ヴェーダも学んでいます。ヴィネイ クマールはカルナータカ州の青年部の世話人に任命されています。彼はカルナータカ州の青年たちを一堂に集めて、ヴェーダを学ばせ、ヴェーダのメッセージを広める役割を任されています。同様に、アーンドラ プラデーシュ州やケーララ州等、インドのすべての州において、青年部の世話人が任命されています。それだけでなく、ヴェーダとヴェーダの吟唱について広めるため、世界のすべて国々のサティヤ サイ オーガニゼーションにおいても、青年部の世話人が任命されています。
ヴェーダは軽視されてはなりません。全創造の神秘がヴェーダの中に含まれています。ヴェーダは人生の目的と目標を定めています。創造、維持、破壊に関するすべての事柄がヴェーダの中に含まれています。
ブラフマチャーリヤ(学生期)、グリハスタ(家長期)、ヴァーナプラスタ(林住期)、サンニャーサ(遊行期ゆぎょうき)といったアーシュラマ(人生の段階)は、ヴェーダを起源としています。人々は今ヴェーダの栄光を認識することができます。皆さんがどこへ行こうとも、たとえ村の中にいたとしても、女性たちもヴェーダのマントラを唱えているのを皆さんは見ることでしょう。男性と女性では身体のつくりが異なるかもしれません。しかし、ことヴェーダの学習に関して言えば、まったく何の違いもありません。
2006年8月9日の御講話「アティ ルッドラ マハー ヤグニャは人間の神聖な性質を育む」より
私たちの学生は毎日ヴェーダを唱えています。マントラはそれぞれ神の一つの御姿に属するものだと考えられています。人はすべてのマントラを知る必要があります。もし、自分の思いを純粋にしたい、自分の真我を理解したいと望むなら、人はヴェーダを基礎とすべきです。この真理を理解できずに、多くの学生はヴェーダのマントラを唱えに来ると盗人のように振る舞っています。
間違ったことをして知らんふりするのは泥棒です。それと同じように、ヴェーダを唱える能力があるにもかかわらず、大きな声で真心込めて唱えない者は、泥棒と呼ばれても仕方ありません。学生は皆、ヴェーダを唱えることができますが、何人かの者は他の学生といっしょに唱えていません。彼らは自分が習ったことを正しく用いずに、自分が習得したことを全部、自分の内に留めています。
私は学生たちがヴェーダを唱えている時それを観察しています。マントラを習得したのであれば、当然それを唱えることが期待されます。ところが、黙ったままでいる者がいます。ある意味で、彼らはヴィッディヤー チョーラトワム(知識を盗むこと)、ダイヴァ ドローハム(神を裏切る行為)をしています。そうすることで、教育を得たものが反逆者や裏切り者になっています。習得したものを何でも真心を込めて唱える者にだけ、サークシャートカーラ(神我顕現)に到達する資格があるのです。
学生がマントラを唱えると、反対側に座っている女性たちもそれに加わります。彼女たちにはヴェーダを唱える十分な権利があります。その権利を否定すること誰にもできません。私たちの男子学生がヴェーダを唱えるのを見ると、彼女たちもそれを唱えたいという衝動に駆られます。
ここには小さな子どもたちもたくさん座っています。誰がこの子どもたちにヴェーダを教えたのでしょう? 子どもたちは上級生がマントラを唱えている時、真剣にそれを聞いて覚えます。一方、ヴェーダを唱える青年たちの側に座っていながら口をつぐんだままの教養人もいます。私は彼らを見ています。ヴェーダ隊といっしょに座っていても、ヴェーダを習って唱える努力をしないなら、何の役に立つでしょう? 彼らはよりひどい泥棒です。彼らはヴェーダの吟唱を聞いていながら、それに参加しないのです。神を体験するために、人はマントラを聞き、さらに唱えるべきでもあるのです。
ヴェーダは神の姿そのものです。パンチャ ブータ(五大元素)をなだめる多くのマントラがあります。五大元素は私たちの息吹そのものです。五大元素は私たちの生命を維持します。世界そのものが五大元素の現れです。しかし、人々は五大元素に感謝することを忘れています。何と罪深いことでしょう! 私たちは不必要な情報を頭に詰め込み、その結果として五大元素を尊重する義務を怠っています。
誰もが必ずヴェーダを習い、それらを黙想し、真心込めて唱えるべきです。ヴェーダを習うだけで唱えないのなら何の意味もありません。ここにいる時はマントラを唱えていても、外に出ると忘れてしまう人もいます。どこに行っても構いませんが、最低限、心の中でマントラを唱えるべきです。絶対にヴィッディヤー ドローヒ(獲得した知識を不当に扱う者)になってはいけません。ヴィッディヤー ドローヒはダイヴァ ドローヒ(神を不当に扱う者)にもなります。そして、最後には神の恩寵を得る機会を失ってしまいます。
学生たちは知らない間に間違いを犯してしまうこともあります。しかし、間違いに気づいたあとは二度と繰り返すべきではありません。今日どんなマントラを聞いても、明日にはそれを唱えられるようにすべきです。全員が声を揃えてぴったりと息を合わせてマントラを唱えた時、ブラフマン(神)が目の前に現れます。太古の聖賢や先見者たちは、「ヴェーダハメータム プルシャム マハーンタム アーディッティヤヴァルナム タマサッ パラスタート」(私は、何十億の太陽の輝きをもって光る、無知という暗闇を超越した至高の存在を見た)と宣言しています。
ヴェーダの音は非常に神性です。それは、シャブダ ブランマーマイー、チャラーチャラマイー、ジョーティルマイー、ヴァーングマイー、ニッティヤーナンダマイー、パラーットパラマイー、マーヤーマイー、シュリーマイー(音の具現、動と静の具現、光の具現、言葉の具現、永遠の至福の具現、完璧さの具現、迷妄の具現、富の具現)として高く賞賛されています。ヴェーダを習得することはすべての人にとって必修課題です。もし、それが不可能であれば、最低限、神の御名を唱えるべきです。
どのマントラを習うにしても、それを正確に唱えることができるようにしなければなりません。そうでなければ、まったく習う必要はありません。ここでマントラを習ってもバンガロールに行くと忘れてしまう学生たちを私は大勢見ています。彼らは目上の来訪者を満足させるために一つか二つのマントラを唱えますが、ヴェーダは評判を得るためではなく、自らが至福を体験するという恩恵を得るために唱えるべきものです。
カルマ、ウパーサナ、グニャーナ(仕事、礼拝、英知)という三つの側面 は、唱える、実践する、至福を体験することになぞらえることができます。あなたはヴィグニャーナマヤ コーシャ(理知の鞘)を超越して、アーナンダマヤ コーシャ(至福の鞘)に入らなければなりません。カルマはウパーサナへと導きます。そして次に、ウパーサナはグニャーナ(英知)をもたらします。ひとたびグニャーナへ到達すると、あなたは平安と至福を体験します。すべてはカルマ〔行い〕にかかっています。
他の人たちが唱えているからといって機械的にマントラを唱えるべきではありません。マントラを理解して消化すべきです。あなたはなぜ食物を食べるのですか? それらを胃で保存するためですか? いいえ、摂取された食物は、消化され、身体のすべての箇所にその栄養が吸収されるようにするべきです。それと同じように、ヴェーダの知識を理解し、消化して、それから活力を取り入れるべきです。それがあなたの思いと言葉と行いに現れるようにしなければなりません。あなたもヴェーダを広める仲間に参加し、喜びを他者と分かち合うべきです。
人々は、神がすべてに浸透していると言います。神は五大元素の形をとってあらゆる場所に存在します。一つひとつの元素が神の姿を代表します。五つの元素すべてが一緒になってアートマの形を作ります。この真理に気がついたとき、あなたは神の至福を体験するでしょう。
愛の化身である皆さん! 学生諸君!
ここで学んだことは何でも、すべて他の人と分かち合いなさい。他の人と分かち合うだけでは十分ではありません。あなたもまた、その知識を実践に移し、そこから恩恵を得るべきです。私たちは家でたくさんの御馳走を用意し、来客に振る舞います。あなたもまたそれを食べることが必要ではありませんか? それと同じように、私たちは習得したヴェーダの知識を消化し、他者と分かち合うべきなのです。
ヴェーダを起源としてさまざまな種類の知識が生まれました。それが、ヴェーダがサルヴァ ヴィグニャーナ サンパッティ(知識の宝箱)として高く評価されている由縁です。しかし、残念なことに、私たちはこのような宝を正しく使っていません。自分が身に付けた程度に応じて知識を分かち合いなさい。習得したことを決して忘れてはなりません。誠意を込めた努力によって、あなたは確実にサークシャートカーラ(神性)に到達することができます。マールカンデーヤはどのようにしてサークシャートカーラに到達したのでしょう? マールカンデーヤは我を忘れてそのパンチャークシャーリ マントラを唱えました。その結果として、イーシュワラ神がマールカンデーヤの前に現れ、恩寵を降り注いだのです。あなた方の中で、神の姿を見たいと願う人は、自分が得たヴェーダの知識を消化して、他者と分かち合うべきです。
2004年10月19日の御講話「徹底した信念をもって神の命令に従いなさい」より
皆さんは、自分の利益と自分の幸福、そして人類全体の幸福のために、この神聖なヤグニャに参加しました。このヤグニャは、ほんの一握りの人のためになされたのではなく、世界全体のためになされました。ここで唱えられたマントラは、空中で混ざり合い、全宇宙に広がっています。これらの神聖な音は、私たちの心(ハート)に入り、心(ハート)を清めました。ですから、このヤグニャで唱えられたマントラはこの場所だけに限定されている、と考えてはなりません。マントラは全世界に広がっています。このヤグニャは、インドのためだけになされたのではなく、世界のすべての国のためになされたのです。異なる国では、話される言葉も違うかもしれません。しかし、バーヴァ(感情)には何の違いもありません。アメリカ、ロシア、アフリカ等、多くの国の人々が、たいへん熱心にこのヤグニャに参加しました。彼らもまた、ヴェーダのマントラを学んでいます。先月26日、ドイツから約80名の人が、特別機でプッタパルティにやって来ました。彼らは全員、女性も男性もヴェーダを唱えました。彼らは私に言いました。
「スワミ! 私たちの国を守っているのは、これらのマントラだけです。ですから、私たちはこれらのヴェーダのマントラを、夜明けから日暮れまで唱えているのです」。
ヴェーダのマントラを唱えることには、少しも利己主義は存在しません。これらのマントラは、人類全体のためのものです。これらのマントラは、あらゆる人の幸福に欠かせないものです。ヴェーダは個人(ヴィヤシティ)を超えて、共同体(サマシティ スワルーパ)に関係しています。西洋人でさえも、ヴェーダのメッセージをすべての国の人々に広めるために、現在ヴェーダのテキストを出版しています。西洋人にとって、ヴェーダのマントラを唱えることは確かに難しいことです。なぜなら、西洋人にはさまざまな音節を発音するのが困難だからです。マントラの中には発音のややこしいものもあります。しかし、真剣な努力によって、西洋人はそうしたマントラを正しく唱えることを学んでいます。固い決意さえもっていれば、人は何でも成し遂げることができるのです。
決意すべきことを決意したら、
成功するまでそれにしがみつきなさい。
望むべきことを望んだら、
望みがかなうまでそれを手放してはなりません。
求めるべきことを求めたら、
それが得られるまであきらめてはなりません。
考えるべきことを考えたら、
成功するまでその考えを捨ててはなりません。
柔らかな心(ハート)をもつ神は、
あなたの祈りに負けるに違いありません。
不屈の精神をもちなさい。粘り強くありなさい。
決してあきらめてはなりません。
なぜなら、自分の決意を撤回したり弱めたりすることは、
帰依者の性質では決してないからです。
(テルグ語の詩)
このアティ ルッドラ マハー ヤグニャは、将来、さまざまな場所で行われなければなりません。このヤグニャはすべての人に関係します。このヤグニャは、一つの国、一つの宗教、あるいは一つのカーストに限定されません。このヤグニャは全世界の幸福のために行われます。もし皆さんがこのヤグニャを行い続けるなら、じきに全世界の人が一つになるでしょう。パキスタン、アフガニスタン、日本、アメリカ、ドイツ――すべての国が一つに結びつくでしょう。皆さんは今、アメリカにいくらかの帰依者がいるのを知っているでしょう。何人かのルットウィックもいます。イスラム教徒の帰依者もいくらかいます。一人の女性がスワミに関する本を書きました。彼女はアメリカに住む教師にその本を贈りました。教師は本を読むと感動して涙しました。その教師は、自分も彼女のように、そうしたスワミに関する書籍を書く幸運にあずかりたいと祈りました。その書籍は今、印刷されて出回っています。私たちは全世界を一つにしなければなりません。それが「多様性の中の一体性」です。考えてもごらんなさい! 私たちの国バーラタにおいてさえ、異なる行政区や言語といったものがあります。かつてのマドラス複合行政区は、タミルナードゥ州とアーンドラ プラデーシュ州の二つに分かれてしまいました。この国にはさらなる管区ができました。もっと多くの管区を求める声もあります。分裂によって国を小さな行政区へと分割することに、偉大さは存在しません。国を一つにすることはおおいなる業績です。一体性があるところには、純粋さが存在するようになるでしょう。純粋さがあるところには、神性が存在するようになるでしょう。ですから、私たちは一体性を得ようと努力しなければなりません。昨日ヴェーダを唱えたグループには、ロシア人の少年一人、イラン人の少年一人、そして、アメリカ人が何人かいました。皆さんはそのような一体性を実感し、発達させなければなりません。仮に皆さんの間に何らかの意見の相違があったとしても、即刻それを取り除きなさい。一つになりなさい。すべての人が兄弟姉妹のように生活し、行動すべきです。そうして初めて、皆さんは価値を得て、皆さんの人間としての出生が神聖化されるでしょう。