私の植物への興味は、野外でのplant huntingに始まりました。その後植物分類学の研究室に進み、集団遺伝学や繁殖生態学・保全生態学の研究を経て、研究のアプローチは再び plant huntingに戻ってきました。東南アジアでの plant hunting研究の成果を紹介し、 plant hunting研究の楽しさ、面白さを熱く語りたいと思います。なお、「プラントハンターの夜明け」という訳はダサいので、英語のタイトルにしましたが、講演は日本語で行います。
「DNA分類学(広義)の推進」村上 哲明(首都大学東京 理学研究科,牧野標本館)
私が4ヶ月間だけの学振・特別研究員(PD)を経て、1987年8月に東京大学理学部附属植物園(日光分煙)の助手 に着任した時、矢原さんは同植物園の講師で、私の上司であった。ちょうど、長谷部光泰君も大学院生として植物園のメンバーに加わったところで、私たち3人は協力して植物園でDNA分類学の研究を本格的に始められるように機器類や設備の整備、さらにはDNA解析のための技術の導入を進めていった。DNA分類学(最初は分子系統学)の研究成果が植物園で本学的に出始めるのは、矢原さんが東大・教養学部(駒場)に異動した後の1990年代に入ってからであったが、3人が最初に目指していたものは、この時点で一旦実現したと思う。
その後、矢原さんは生態学に、長谷部君は発生進化学に軸足を移して行き、私だけがDNA分類学に残ったように感じていた。一方で、私はその後に異動した先の京都大学と首都大学東京の大学院生達の力を得て、分子系統解析以外のさまざまなDNA分類学(広義)の研究を推進してきた(実際に研究を推進したのは、大学院生達であるが…)。今回の私の講演時間は20分と限られてはいるが、私たちがこの25年年間で展開してきた分子種分類(特に形態で識別ができない異なる生物学的種=隠蔽種の認識)、分子種同定(シダ植物の独立配偶体=配偶体世代のみで世代をつないでいる の探索)、無配生殖種の網状進化の解明と種分類、日本列島の分子植物地理学(分子系統樹の情報を一切活用しない分子系統地理学)の研究などをざっと紹介したい。まさに多様なDNA分類学の研究を展開してきたことを強調したいからである。
私が自分の指導する大学院生達と推進してきたこれらのDNA分類学(広義)の研究は、1980年代の後半に矢原さん達と東大・植物園で立ち上げた研究の延長上にあったと思っている。これらの研究の基本的な着想を私が得たのは、いずれも東大・植物園にいた時だったからである。一方で、現在は、いよいよ次世代シーケンサーを活用してゲノムレベルで生物多様性や、それを生み出した進化を研究できる時代になった。1990年代の前半、PCRとDNAシーケンサーによって野生植物からでも容易にDNA情報を取り出せるようになって、それまでの植物分類学がすっかり変わったように(私たちは幸運にも、それを一番最初の段階から体験できた)、私の元大学院生達を含む若手研究者が次の世代の分類学(広義)を展開して行ってくれることを期待している。
「やはらさん」長谷部光泰(基礎生物学研究所)
やはらさんは風のように現れ、去って行く。学部1年の冬、大場秀章助教授室で成東の食虫植物保護地で調査した植物の名前を教えて貰っているときだった。いきなり、部屋に入ってきて、早口で、大場さんになにやら事務連絡をし、私が開いていた標本を一瞥、「ヒメカンスゲやな」の「な」が聞こえた時には姿が消えていた。
やはらさんは異次元に生きている。植物学教室の約30名の教員と6名の新学部生のガイダンス。静寂な部屋に、1人、30分ほど遅れてどたどたと入ってきて、「すいません。恐竜の絶滅と隕石の関係の本を読んでいたら新宿まで行ってしまいました。」と言って、5分くらい恐竜絶滅について解説を始めた。飯野徹雄教室主任曰く、「君たちも遅刻したときのお手本にしてください」。お手本にできた同級生は未だいない。
やはらさんは負けず嫌い。「屋久島でオニマメズタ見たことあります?」と聞いたら、瞬時に「無いで!」。その後、鈴木武、牧雅之と永田歩道で見つけ、宅急便で「オニマメズタ入り」と書いて送ったけど、開けもしなかった(笑)。
やはらさんはきまぐれ。福岡出張から帰って「ヤマラッキョウが面白いで」と1時間くらい熱弁してたのに、翌朝にはもう冷めてた。
やはらさんはまめ。試薬室の奥の古い段ボール箱を開けたら、「矢原文字」でびっしりのノートが数十冊。ひたすら生協の運営について書いてあった。。。。
やはらさんは国際感覚抜群。シカゴで学会があったとき、米国人に「マイ ドーター イズ チカコ」と何度も言って困らせていた。
やはらさんは冗談が通じない。W大学院生(現千葉大教授)が韓国の留学生に写真集を見せていたら「そんなもん見とったら○○○になるで」と激怒。なだめようと脇にいたSP大学院生が「これくらいなら平気ですよ」と言って大炎上。
やはらさんは結構間抜け。屋久島の学生実習で「ヒルが出るので注意するように」。学生の視線は「タオルはちまき」の上を這うヤマビルに集中していた。
やはらさんは人の意見にいつも何か付け足す。たった一度だけ、「総合研究っていろいろな専門の人が集まるんじゃ駄目で、1人が総合的にならないと駄目なんじゃないですか」と言ったときは素直に賛成してくれた。
そして、やはらさんは私の研究人生に欠かせなかった。分子系統、発生進化、アポガミー遺伝子、ゲノム進化の研究に矢原さんがどう関わったかを紹介します。
「地味な花こそ面白い—広がるチャルメルソウ、カンアオイ、テンナンショウ研究の世界」
奥山雄大(国立科学博物館筑波実験植物園)
約7000種の維管束植物が自生する日本列島は世界でも有数の植物多様性を誇る地域であり、その特色の一つとして高い固有性をあげることができる。このことから、日本固有植物を研究材料とすれば植物の種について理解を深めることができるのではないか、と考えて僕は研究を始めた。
さて日本を代表する固有植物には例えばシラネアオイ、コウヤマキ、サンショウバラ、レンゲショウマといった華々しい面々が思い浮かぶが、あろうことか僕が興味を持ったのはとても小さく地味な花をつけるチャルメルソウだった。しかし、植物学の勉強を始めたばかりの僕が愛読していた本「花の性―その進化を探る」の著者は、なんとはじめにヤブマオの研究から入ったというではないか。なんだヤブマオに比べればチャルメルソウはずっと「花らしい花」じゃないかと勇気付けられたのを覚えている。そんな愛読書の著者、矢原徹一さんに初めて会ったのは、2004年だったかに神戸で開催された種生物学会シンポジウムであった。この時のエピソードは最近上梓した著書にも書いたが、当時、いかにも時間がかかりそうなチャルメルソウでの掛け合わせ実験を短い学生の期間でやるべきかどうか?で悩んでいたところに、「やったらええやん」とアドバイスをくれたのが矢原さんであった。結果これはきちんといい仕事になったし、その後もいろいろな局面で植物愛溢れる矢原さんに研究を気にかけていただいたことは、たいへんありがたく、心強いことであった。
それから15年余りが経ち、現在ではチャルメルソウ以外に特に多様性が際立っている植物の系統群としてウマノスズクサ科カンアオイ節、そしてサトイモ科マムシグサ節にも研究を広げている。これらはいずれも日本列島を舞台として種分化・多様化を遂げたと考えられることから、植物種分化の研究モデルとして注目している。また、これらいずれの系統群においても種ごとに特異的なハエ目昆虫が送粉者として働いており、その特異性には花の香りが関与している可能性が高いことが明らかになってきた。今回の発表では、これらの植物について新たに分かってきた面白い話を紹介することで、「地味な花」の魅力をここぞとばかりにアピールし、地味な花も可憐な花も分け隔てなく愛する矢原さんの新たな門出を祝いたいと思う。
「キスゲプロジェクトの歩み:キスゲにおける花時計の進化解明へ」新田 梢(麻布大学 生命・環境科学部)
卒業研究の発表会が終わった直後に、矢原先生がやってきて、(大学院からは)キスゲの研究をやらないかと言われて、私のキスゲプロジェクトはスタートしました。キスゲプロジェクトとは、ミゾホウズキ属Mimulusの2種、ハチドリ媒花のM. cardinalis とハナバチ媒花のM. lewisiiを材料とした、Bradshaw et al (1998)を代表とする一連の研究に、矢原先生が発想を得てスタートした研究プロジェクトです(詳しくは、矢原,2007「第6回日本植物分類学会賞受賞記念論文」、新田ら,2007を参照)。
ハマカンゾウHemerocallis fulvaは朝開花し、夕方に閉花する昼咲き種で、昼行性のアゲハチョウ類に送粉され、赤色を帯びたオレンジ色、強い香りはなしという特徴です。一方、近縁種のキスゲH. citrinaは夕方に開花し、翌朝に閉花する夜咲き種で、夜行性のスズメガ類に送粉され、薄い黄色、強く甘い香りという特徴があります。キスゲプロジェクトでは、送粉者に適応したと考えられる、開花時間・花色・香りなどの花形質の違いが、ハマカンゾウのような昼咲きのアゲハチョウ媒の状態からキスゲの夜咲きのスズメガ媒の状態へと進化した過程を明らかにすることをテーマに、代々、材料と成果を引き継ぎながら、それぞれが主体的に独立したテーマとして、野外調査や遺伝学的手法で研究を行ってきました。
私は、安元暁子さんが作成してくださった、雑種F1・F2世代集団の開花時間・花色・花香などの花形質の表現型の測定と、花色に関する遺伝的基盤の探索を行ってきました。特に、開花時刻の違いは、少なくとも効果の大きな単一遺伝子に支配されていると示唆されました(Nitta et al, 2010)。この成果をもとに、私は、「花時計遺伝子の進化過程の解明」と題して、開花時刻に関する研究を再開しました。“花時計遺伝子”というのは、生物の分類体系の基礎を築いたとして有名なカール・フォン・リンネが考案した、1日の決まった時刻に開花や閉花をする植物を、時刻の順に並べたアイデア(Linnaeus, 1751)の花時計“ The Flower Clock”になぞらえて、よんでいます。研究を再開するにあたって、移転したばかりの九州大学伊都キャンパスにお邪魔し、矢原先生と当時の学生さんとミィーティングをした際に、私と矢原先生で異なる予測をたてたのですが、面白い結果が出てきました。
最後に、キスゲプロジェクトは、矢原先生のご指導のもと、多くの共同研究者の皆さまと歩んできました。特に、初期を築いてくださった、長谷川匡弘さん、安元暁子さん、三宅崇さん、そして、現在も新しい手法を取り入れて研究を進めている廣田峻さんに、この場をかりて感謝申し上げます。キスゲプロジェクトは、まだまだ続きます!
「矢原先生に教わったことと教わらなかったこと」深野 祐也(東京大学 農学生命科学研究科)
私は東京農工大学から九州大学生態科学研究室に進学し、大学院から外来種(ブタクサなど)の進化を研究し始めました。大学院入試前の相談は東京で行われましたが、当然、忙しい矢原先生ですので、私の研究計画を相談する横で文一総合出版の担当者の方が控えておられたのを覚えています。空飛ぶ教授は伊達じゃないということを進学前から学びました。
大学院時代は自由にのびのびと研究をさせていただき、大変楽しい時期を過ごしました。当然ながら矢原先生とゆっくり議論する時間はあまりありませんでしたが、2人でアメリカに2週間滞在しレンタカーで移動しながらブタクサの種子を取り続けた際には、車内で様々なことを議論したことを覚えています。当時は何も思いませんでしたが、2週間も矢原先生を独占して議論し続けられるのは、今思うと非常に得難い貴重な時間でした。
現在私は、東大の付属農場で働いており、共同研究者とともに、進化生態学の理論や概念を農学に応用する研究を進めようとしています。例えば、種子散布・性比・進化-生態フィードバック・ニッチモデリング・送粉などの進化生態の諸概念の応用です。このような多様な理論を学ぶことができたのは、所属学生が多様な研究対象を好き勝手に研究していた生態科学研究室に所属していたからです。そういった意味で、生態科学研究室の運営方針は、今の私の研究に直結しています。
最後に、教わらなかったことです。それは、応用の議論です。外来種を対象に進化の研究をしていたのですが、幸いなことに、大学院時代に一言も「この結果がどう管理や防除に役に立つのか」と聞かれたことがありません。「役に立つ」という観点は世の中には必要である一方、基礎の研究をする上ではいったん棚に上げる必要があるかと思います。外来種という応用に近い対象だったにもかかわらず、「役に立つ」を棚上げして、基礎科学的観点からロジックを積み上げる方法で指導してくれた矢原先生には大変感謝しております。