慣性の法則はニュートンの運動の第1法則ともよばれるが,これを発見したのはガリレオである.この原理の発見は力学にパラダイムシフトをもたらし,運動を理解するうえで大きな一歩となった.所謂,アリストテレス的な自然観からガリレオ・ニュートン的な自然観への転回である.
さて,慣性の法則の内容であるが,Feynmanによれば,
"if an object is left alone, is not disturbed, it continues to move with a constant velocity in a straight line if it was originally moving, or it continues to stand still if it was just standing still. " R.P.Feynman. et al., The Feynman Lectures on physics (Massachusetts:Addison-Wesley Publishing Company, 1965) .
「一つの物体が孤立していて外から擾乱を受けていなければ,はじめ動いていたものは直線に沿って一定の速度で動きつづけ,はじめ止まっていたものは止まりつづける」(Feynman,1965坪井訳,1967,p.122)
という表現になる.また,内山龍雄は,もっと簡潔に,
「すべての物体は,それに外力が作用していないときは,等速直線運動をする」(内山,1978,p.15)
と表現している.内山はこの本のつづきで,この表現には不備があることを示し,この法則にかわる主張を提示している.
実は,一般に流布している慣性の法則の表現には決定的に欠落している部分がある.それは観測者の立場である.以下で詳しく述べていこう.観測者抜きの物理学は考えられない.
例えば,テーブルの上に本がのっているとしよう.本には重力とテーブルからの垂直抗力の2つの力がはたらいている.いま,この本を観測する立場としてつぎの3者を考えよう.まず,観測者Aはテーブルの前で静止いている.つぎに,観測者BはAに対して等速直線運動しており,最後に観測者CはAに対して加速度運動している観測者とする.
では早速,観測者の立場と慣性の法則の成否について検討してみよう.
観測者Aの場合:「本には外力ははたらいておらず,しかも本は静止している.したがって,慣性の法則は成り立っている」
観測者Bの場合:「本には外力ははたらいておらず,本は等速直線運動している.したがって,慣性の法則は成り立っている」
観測者Cの場合:「本には外力ははたらいていないにもかかわらず,本は加速度運動している.したがって,慣性の法則は成り立っていない」
以上のように,「慣性の法則」は,観測者A,Bにとっては成り立つが,Cにとっては成り立たない.このままでは「慣性の法則」は法則とは言えない.「法則」と標榜できるようにするには,当該の「法則」が成り立つ観測者の範囲を,この法則とは無関係の次元において明確に定義する必要がある.
しかしながら,慣性の法則の内容と無関係に観測者A,B,Cを定義することはできない.つまり,どの観測者も本あるいは本に固定した座標系との関係においてしか定義できないのだ.したがって,上記のような表現の「慣性の法則」は法則とよぶには無理がある.
そこで提案されたのが,つぎのような「主張」である.
「外力がまったく作用していない物体の運動が等速直線運動に見える座標系が少なくとも一つある」
この主張を満たす特別な座標系を慣性系という.そして,運動の第2法則,第3法則は慣性系の立場から正しく用いることができる.上の主張を満たさないような座標系では運動の法則を使うことができないのである.