もともとは、他の多くの技術と同様、軍事開発が目的でしたね。
ウラン、プルトニウム爆弾、水素爆弾が原子力発電所が建設されるよりも前に開発されましたし、長距離弾道ミサイルや原子力船・潜水艦の開発も原子力の歴史の早期に行われました。
核兵器開発が急ピッチで行われた背景として、連合国側がドイツや日本に先を越されないよう第二次世界大戦を有利に運ぶため、核兵器開発を緊急の課題としていたことが挙げられます。
核分裂の発見から7年、マンハッタン計画が開始されてからわずか3年足らずで原子爆弾が実用化されました。
第二次世界対戦後、原子力エネルギーの拡散・開放は必然でした。というのは、原子力エネルギーは自然科学であり、一番最初に原子爆弾を開発したアメリカ内部でとどまらないのは明らかでしたので、兵器開発転用を防ぐための手段はあり得るか科学者たちが検討したそうです。その中でもマンハッタン計画を主導したオッペンハイマーが執筆した報告書「アチソン・リリエンタール報告」が有名です。この中で、原子力の国際管理について、
が提言されています。一つ目の提言から国際原子力機関IAEAが創立されましたが、二つめの核物質の国際管理については実現されていません。
保障措置は、原子力エネルギーが平和利用のみに利用されることを担保するための手段で、核査察や核物質量の管理を行うことで、それにより、核兵器開発を行わないよう監視することを目的にしています。
現在、二つ目の核物質の全量管理ができていないため、原子力のエネルギーの平和利用への制限が完全にできているわけではありません。このため核兵器開発への転用が防げていないのです。