上代日本語には,以下の母音的弁別と子音が存在した。これは,万葉仮名における書き分けによって証明される。(このサイトでは,マティアス・ミラーによる金田一式表記の拡張を用いて上代日本語を表記する)
なお,これはあくまでも表記であり,「上代日本語八母音は定説」であるということはない。音声ではなく,音韻の話である。あくまでも。
母音的弁別
a, î, ï, u, ê, ë, ô, ö
子音
k, s, t, n, p, m, r, y, w, N(慣用的にはg, z, d, b)
i, e, oの二種についての書き分けを「上代特殊仮名遣(じょうだいとくしゅかなづかい)」と言う。サーカムフレックス(^)がついたものが甲類(Type-A),トレマ(¨)がついたものが乙類(Type-B)である。
上代特殊仮名遣にヲとオの区別は含めないが,甲乙の別であるとする説も存在する。また,ヤ行エとア行𛀀(衣)の区別を上代特殊仮名遣に含めるかは諸説ある。(エと𛀀(衣)の区別は最後まで殘存したコ甲乙の区別よりも後代まで残っている。)
上代特殊仮名遣の表記には,此のサイトで使用するマティアス・ミラー式表記の他にも,以下のようなものがある。
金田一式:乙類のみをトレマで示す。
イェール式:イエ段甲類をそれぞれyi, yeと示し,イエ段乙類をiy, eyと示す。オ段甲乙はそれぞれwo, o̱である。(これは私が思うに昔の欧米の学者の入力法は特殊文字の入力が大変であったことによる。)甲乙の別が無い場合は普通にi, e, oで示す。
傍線表記:甲類を右傍線(縱書)か上傍線(横書)でしめし,乙類を左傍線(縱書)か下傍線(横書)で示す。甲乙の別の無い場合は普通に仮名で書く。
平仮名/片仮名表記:甲類と甲乙の別がないものを片仮名,乙類を平仮名で示す。ヘ乙類は変体仮名を用いることがある。
Frellesvig & Whitman式表記:イ段乙類をwi, エ段甲類をye, オ段甲類をwoで示す。甲乙の別が無いイエオ段とイ段甲類,エ段乙類,オ段乙類はそれぞれi, e, oで示される。(日本語話者は,これを綴り字発音して上代特殊仮名遣を覚えることを私は推奨する。)
蒼氷式表記:マティアス・ミラー表記の修正版で,wiをï, woをô,yeをêで示す。
傍線表記では,ア行𛀀(衣)を甲類,ヤ行エを乙類として表記するほうが国語学では一般的なようである。[1]
Marc H. Miyake(2003).Old Japanese a Phonetic Reconstructionに詳しい。(が,先行研究の記述に一部誤りとみられる部分が無くもなく,先上代日本語に関する情報も古い←と思ってたのは筆者の間違いでしたごめんなさい……)
早田(2017)
/ə/はə>ɵであり,oよりも狹い。
si, ti, Nti, Nsi, ri, niの音節は硬口蓋化していた。(上代のごく初期を除く)
イエ段甲類は/CʲV/音声表記[ʲV]であり,イエ段乙類は/Cᵊ V/音声表記[{ɨ̯, ə̯}{i, e}]。[8]
構造言語学の音素論的解釈では,イエ段乙類に非硬口蓋化せしめる音素/ъ/が接続していたと考えられる。[8]※服部による表記では/∘/(←何を使っていたのかよくわからないので一応合成関数の記号を使っておく)
双方向一対一対応(biuniqueness)にとらわれない音韻論として,母音融合前の語形が話者に認識せられていた,とするものがある。これは共時的に母音交替が発生することによる。
双方向多対一対応ai →/ë/
…
əi →/ï/
oi
ui
…
e →/ê/
ia
jə
…
o →/ô/
ua
au
…
上代において,有声音と無声音の区別は弁別的でなく,語中における阻害音が有声音として実現していたために後世の音便化が発生したと考えられている。[8]
近年の研究は,上代の濁音は前鼻音化した有声阻害音であったとする見方が一般的である。これは
1. 中古日本語や上代日本語からの濁音の起源が日琉祖語,先上代日本語,上代日本語の*n, *mと考えられる場合がかなり多いこと。
2. 上代日本語の濁音は語頭に立ちにくいこと。
3. 中世日本語は鼻母音が一部阻害音直前の母音で出現したとする宣教師資料があること。
4. 東北方言に前鼻音化した子音が保存せられていること。
5. 万葉仮名ガ行が疑母(ŋ)であることが極めて多いこと。
などが根拠として挙げられる。[この記述の出典の追加が望まれています]
1の根拠として上代日本語に挙げられるのは,
*mura-nusi>murazi(村主)
village-owner
*amî-pîkî>abîkî(網引)
net-pulling
kîgîsi ~ kîzi(雉)
*nusumîpîtö>nusubîtö(盗人)
nani tö>nadö(何ど,KK17)
panisi>pazi(櫨,書紀神代紀下)
tô-nusi>tôzi(戸主,日本書紀允恭記下)
nani sö>nazö(何ぞ,MYS.15.3684)
――[2][3]
上代は促音が無標記だったが,存在したと考えられる。[2][3]
ösi-saka(忍坂)>ösaka意佐加(古事記:神武)
möti-te(持ちて)>mote 母弖(MYS.15.3733)
nanörisö(な告りそ)>nanösö奈能僧(正倉院文書・天平宝字六年)
nurite(鐸)>nute(古事記・顕宗)
nöritabaku(宣り賜ばく)>nötabaku乃多婆久(MYS.20.4408)
payapîtö ~ payatö(隼人)
東国方言では撥音が出現したとされることがある。[3]
「上」
kamu可牟(MYS.14.3516,MYS.14.3583)
「馬」
muma牟麻(MYS.20.4372)
この牟(mu)は/m/を示しているのだとされる。
琉球祖語や中古日本語においても,
【中古日本語】
uma ~ muma「horse」
ume ~ mume「plum」
umago ~ mumago「grand-child」
uma- ~ ~muma「good」
umare- ~ mumare-「to be born」
【琉球祖語】
*uma>mma(与那国)「horse」
のように*um>m(u)mが生じていると考えられる。[5](ちなみに,「海」がmumiにならないのは日琉祖語*omiのためであるとされる)
上代日本語は和歌の字余りが母音連続を一音として数えることで解決せられるので,シラビーム(非モーラ)言語であったとする説があり,通説である。[4][7]
この説は,中国漢字音の輸入法が異なっていた筈である,モーラ構造化の時期がいつか分からない,などの反論が存在するが,和歌の朗詠の時に二重母音として扱われ一モーラ相当となったのだとする説もある。[4]
「悔い」,「老い」,「櫂」「夜寝(joi)」「植うる」などが字余りを起こさないことから,/yi/, /wu/と認識せられていたとする説があり,ある程度支持せられている。[4]
記紀歌謡に字足らずが多いのは,音楽的な朗詠がなされたためで,万葉歌は次第に音楽性を失い,定型化したものであるという説がある。
万葉歌における字余りは単語間の意味的結合の違い(文節)によるものであるとする説もある。[4]
上代日本語の母音脱落には,以下の類型が存在する。これらのうち左脱においてはより狭い母音のみが脱落し,右脱においてはより狭い母音でなくても脱落するとされる。[6]
脱落によって音数が合わなくなる場合は殆ど脱落は発生せず,字余りのときにのみ脱落は起きる,という説が支持されている。[6]
脱落形が後代にも継続して用いられる語(apumîなど)は,上代後期の時点で脱落形が一つの複合語として認識されているが,arisôのように中古に脱落しない形で出現する語は,上代後期の時点でも共時過程にara-isô→arisôという段階を経て句として表層に出現していると考えられている。[6]
1左母音脱落(左脱)複合語形成型
apa-umî>apumî
淡-海→淡海
kure=nö awi>kurenawi
呉の藍→紅
paya-uma>payuma
早-馬
sasi-agë>sasagë
差し-上げ
naka=tu ömî>nakatömî
中つ臣→中臣
tökö-ipa>tokîpa
常-岩→常盤
kapa-uti>kaputi
河-内→河内
2右母音脱落(右脱)複合語形成型
puna-ide>punade
船-出で→船出
kare-ipî>karepî
乾-飯
3左母音脱落(左脱)句形成型
ara-umî>arumî
荒-海>荒海
waga-ipê>wagîpê
我が-家>我家
ara-isô>arisô
荒-磯
mêsi-agë>mêsagë
召し-上げ
para=nö uti>paranuti
腹の-内→腹中
tö ipu>tipu
と言ふ→ちふ
4右母音脱落(右脱)句形成型
nö umî>nömî
の-海
kô-umu>kômu
子-産む
wa=ga-ipê>wagapê
我が家→我家
σ ömöpu>σ möpu
音節思ふ→もふ
tö ipu>töpu
と言ふ→とふ
「□(草冠に皂)莢」(MYS16.3855-1)は「ザウケフ」でなく「ザヲケフ」と訓まれたとする説がある。「陶タヲ」(沙門勝道歴山瑩玄珠碑平安初期点)「昊カヲ」(大唐三蔵玄奘法師表啓・平安初期点)などの資料と非字余りによる。
同様にその説では,「朝參乃」(MYS.18.4121-1)は,「テヲサムノ」とする。芭蕉「発勢乎波ハセヲバ」(天治本新撰字鏡),簫「丗乎之不江セヲノフエ」(和名抄)などの例と非字余りを根拠とする。[4]
[1]時代別国語大辞典上代編
[2]Old Japanese and proto-Japonic Word Structure(Blaine Erickson: 3.3.2)
[3]古代日本語史論究:四章六節「促音や撥音ははたして中国語の影響か」(山口佳紀,2011)
[4]同上,七節「字余り論は何を可能にするか」(詳しく知りたい場合は八節も良い)
[5]Pellard, Thomas(2016).Ryukyuan perspectives on the Proto-Japonic vowel system
[6]上代日本語の音韻,早田輝洋(2017: 6母音脱落)
[7]同,9 音節構造の変遷
[8]同,4 母音体系