遠景(⼤分県庁舎より)©2021.8.24 ichinose
所在地 :⼤分市城崎町1-2-3
竣⼯年 :1971(昭和46)年3 ⽉
構造規模:RC 造/地上4 階 ・ 延床⾯積: 2,835.0 ㎡
設計者 :藤沢建築設計事務所 藤沢英雄(原設計図より)
施⼯者 :(建築工事)株式会社佐藤組、(空調工事)株式会社三信工業、(電気設備工事)鬼塚電気工事株式会社
調度・内部装飾:トキハ百貨店
工事施工監督:大分県住宅供給公社
⻄側ファサード ©2021.7.30 suzuki
建物概要
・⻄側接道⾯に対して、間⼝5 スパン×奥⾏き2 スパンの南北に⻑い形状
・竣工時1階は大分県消費者センターが入居、それ以外はピロティで車回しと駐車場、階上は南側2スパンに大分県住宅供給公社、北側3スパンが大分県婦人会館であった。
・4 階に公社ホールと和室・茶室がある
・設計者:藤本英雄氏のコメント(出典:咲きつづけて 大分県地婦連30年誌より)設計のポイントとしては、婦人団体の着実な行動力をシンポライズした外観、茶の「こころ」を基本とした「女性の館」としての内容を盛り込みたいという2つのテーマをもとに設計を進めた。また、1/3が住宅供給公社社屋、1階に消費生活センターが入居するという3つの建築主からの異なった機能の要求をいかに建築的にマッチさせるかが設計上の苦労であった。
計画の特徴
<外観デザイン>
外観意匠デザインにまず⽬を惹かれる。メインファサードである⻄⾯は、2 本の主要動線である階段室が南北端各1 スパンに配置され、ラーメン構造に付加された曲線の壁式構造でコンクリート打ち放しの量感を強調しつつ、なおかつ⾮対称のデザインで、スリット状に設けられた開⼝部とともに、変化のある造形で形づくられている。
これら2 つのボリュームにはさまれた3 スパンのファサードは、⽚持ちで⽀えられたバルコニーおよび室内通路であるが、階段室とは対照的に細い2 重の間柱が細かいピッチで並び、切りっ放しの頂部の納まりによって垂直性が表現されている。⼀⽅でその間柱は、地上まで伸びるのではなく、1 階間⼝に掛け渡された庇(キャノピー)で⼨断されており、その軽快感がさらに強調されているのである。この間柱は、⻄⽇を考慮した⽇除け(コルビュジエのいう「フリーズ・ソレイユ」)の意図もあったのであろうか。⼀⽅、裏⾯にあたる東側ファサードの割り切った淡泊さとは対⽐的である。
木板打ち放し仕上げ風の外壁は、コンクリート打設後に、専門の職人が筆で書いたと言われている。
⻄⾯の間柱 ©2021.7.30 suzuki
⻄⾯の2~4階間柱 ※地上まで伸びていない ©2021.6.26 ichinose
パラペット(⻄側) ©2021.6.26 suzuki
外壁の打放し(木目補修)©2021.6.26 ichinose
1階軒下 ©2021.6.26 wakamatsu
パラペット(⻄側) ©2021.6.26 suzuki
<内部空間>
婦⼈会館側の領域は、2 階にロビー(⽞関ホール)と⾷堂、事務・会⻑室、3 階には事務室と控室を備えたステージをもつ48 帖の⼤広間(続き間和室)があり、かつては結構披露宴に⽤いられていた。4 階は会議室で、婦⼈会活動の重要な拠点的機能を背負っていたことが想像される。
エレベータホールと⼀体となったロビーや⼤広間、会議室などの内装仕上げ・照明器具のデザインなどからも、設計者の注いだ熱意が感じられる。
階段室は窓が多くとても明るい。また、窓から見える城址公園の借景を楽しむことができる。
旧婦⼈会館2 階ロビー ©2021.6.26 matsuda
4 階会議室 ©2021.6.26 matsuda
北側階段室 ©2021.6.26 matsuda
1階エレベータロビー©2021.6.26 matsuda
旧婦人会館2階ロビー照明器具 ©2021.6.26 ichinose
4階階段室から見る城址公園 ©2021.6.26 matsuda
旧婦人会館の主な照明器具 ©2021.6.26 matsuda
大分県建築士会 鈴木義弘(大分大学 理工学部 創生工学科 教授)
~大分県住宅供給公社ビルについて~
この建築物の存在にはかねてより⼤いに気になっていた。直感的には分離派建築会※1の影響を強く受けていると思われたことが⼤きい。垂直性が強く意識され、部分的に曲線を⽤いたデザインが印象的だったためである。しかし、幹線である国道197 号から⼀筋奥まった、かつての業務地区に⽴地していることもあり、これまで着⽬されることは珍しかったといえる。折に触れて周囲の建築関係者に訊ねてみても重要性に賛意は多く得られなかったが、⼤分県建築⼠会の⾯々への問いかけを通じて、竣⼯は1970 年、⼤阪市の所在していた藤沢建築設計事務所(藤沢英雄)の設計によるものであることがまずは判明した。藤沢⽒は川添(⼤分市東部)の出⾝で、建設時の地婦連椎原会⻑と同郷であったとの由、これが設計者選定のきっかけだったのかも知れない。
しかし、時代背景からは、モダニズム建築の絶頂期であり、府内城址を臨むロケーションを共にする磯崎新の⼤分県医師会館<1960 年・1970 年増築>や⼤分県⽴⼤分図書館<1966 年>はもちろん、国道に対置される大分県庁舎<1962年・安田臣(建設省九州地方建設局)>との関係が意識されなかったはずはないであろう。また、関連は深いが丹下健三の⼀連の作品(例を挙げるなら、⼭梨⽂化会館<1966>あたりか)や、近いところでは、九州⼤学創⽴五⼗周年記念講堂<光吉健次・1967>なども想起される。あるいは、ブルータリズム※2の影響も否定できないなど、推察すると枚挙にいとまがないのだが、それは取りも直さず、1960-70 年代を表象している意欲的な作品といえるからであろう。
幸いにも⼤分県住宅供給公社の好意により、現況⾒学の機会をもつことができ、上述したように考察される設計コンセプトを実体化したディテールやインテリアを間近に⾒ることができた。当時の遺例が続々と姿を消しており、この建築物もいずれ後に続くのであろうか。
※1 分離派建築会(1920-28)
東京帝国⼤学⼯学部建築学科卒業をひかえた同期6 ⼈(⽯本喜久治・瀧澤眞⼸・堀⼝捨⼰・森⽥慶⼀・⽮⽥茂・⼭⽥守)によって結成された近代建築運動のグループで、その後、⼤内秀⼀郎・蔵⽥周忠・⼭⼝⽂象が加わった。芸術思潮としては、ウィーン・ゼツェッション(分離派)の影響を受けたものである。代表作は、東京中央電信局<⼭⽥守・1925>など。2020 年に結成100 年を記念した展覧会(パナソニック汐留美術館:10/10-12/15)は開催された。その図録に代わる出版として、⽥路貴浩『分離派建築会 ⽇本のモダニズム建築誕⽣』(京都⼤学学術出版会・2020)が刊⾏されている。
※2 ブルータリズム
世界の建築家が都市や建築の将来像を議論するために結成された近代建築国際会議(CIAM)<1928-56>をへて若い世代によって結成されたチームⅩ(テン)は、機能主義的な建築や都市計画への批判から、コンクリート打放しの粗々しさを基調とした造形主義に向かった。ブルータリズムという名称は、その主要メンバーであるイギリスの建築家スミッソン夫妻らによって1953 年に定義されたものである。
左)大分県立図書館 1966 右)⼤分県医師会館 1960 ©suzuki
大分県医師会館 1960 -1970©suzuki
九州⼤学 創⽴五⼗周年記念講堂 1967
九⼤跡地ファン倶楽部HP
東京中央電信局 1925 郵政博物館HP
府内城址越しの外観 ©2021.7.30 suzuki
夜景 ©2018.7.31 suzuki
付記
・婦⼈会館・消費⽣活センターは、2003 年に開館した「⼤分県消費⽣活・男⼥共同参画プラザ(アイネス)」に移転。以降はおそらく空室
・大分県住宅供給公社の2階以上は部分的にテナントに貸与してきた。現在は1 テナント(軟式野球連盟)のみ。
・⼤分県⾏政書⼠会は、2020 年末に移転・退居。
・府内城址を眺望するが、⻄⽇とも対峙する⽴地条件
・敷地は、大分県土木建築事務所の跡地であった
・大分県地婦連三〇年誌『咲きつゞけて』(1982年)には、「設計者のことば」として、「茶の『こころ』を基本とした『女性の館』としての内容を盛り」とある。
・大分県立図書館(現アートプラザ)の解体計画時には、「婦人会館」が新設移転予定であった。
・インターネットサイト”fukupedia”の情報が大いに参考となった。開設者には謝意を申したい。
本記事は、大分県住宅供給公社のご厚意により見学させていただいた成果を記録したものです。(⾒学⽇:2021 年6 ⽉26 ⽇)
【建物アクセス】
・大分城址公園脇の堀を隔てたさらに東側、国道197 号から⼀区画北に位置する敷地