赤浜で発見された未記載種「オオヨツハモガニ」について
「いわて海洋研究コンソーシアム通信」No. 51より、タイトルを新規に付し、若干の修正・加筆を加えて転載.
沿岸センターの窓から見える蓬莱島の磯は、冬から春にかけて、紅藻のフノリや褐藻のヒジキ、エゾノネジモク、ウミトラノオ、マツモなど様々な海藻が繁茂して、濃紅と褐色のまだらになります。この時期、水の冷たさを我慢して、褐藻をかき分けると、その付け根から褐藻と同じ色をした「三角形のカニ」がモゾモゾと這い出してきます。お昼に漁港にいけば、同じカニが刺し網にからまって干からびています。堤防を散歩するとカモメの群れが逃げていき、さっきまで彼らがいた場所には、やはり同じカニが食べられてバラバラにされています。このひどくありふれたカニを、我々は「オオヨツハモガニ」と呼んでいるのですが、仮に地域住民の方がこれを持ち帰り、インターネットや図鑑で調べても、残念ながら正解には到達できません。なぜならこのカニは未記載種(未発表の新種)だからです。
これまで日本を含む北東アジアの藻場には「ヨツハモガニ」という種だけが分布していると考えられてきました。ヨツハモガニは、180年前に長崎に滞在していたドイツ人医師シーボルトがオランダに送った標本をもとに記載された「日本で最も古い甲殻類種の一つ」です。実は、本種については1930年代に日本の研究者が、北海道・東北地方で採集された個体が他の地域で採集した個体よりかなり大型で、ハサミの形など多くの特徴が異なることが指摘していました。ところが、その後80年以上の間、誰も詳しく調べようとはしなかったのです。私は大学院で相模湾に生息する「ヨツハモガニ」の生態学的研究をしていましたが、縁あって大槌湾で採集された標本を調べる機会があり、実際手に取ると、これが一見して別種と判断できました。その後、日本各地の博物館をめぐって、所蔵標本からヨツハモガニとオオヨツハモガニの分布域を明らかにすると、福島県いわき市以北の太平洋沿岸にはオオヨツハモガニしか分布しないことが明らかになりました。また大槌湾での生態学的研究を始めると、震災前後を通じて、大槌湾の海藻群落内に出現するカニ類の9割以上がオオヨツハモガニであることがわかってきました。北海道・三陸では「ヨツハモガニ」は遅くとも1960年代から、エゾアワビやウニ類の放流種苗の捕食者だと考えられてきましたが、実際にはこの新種・オオヨツハモガニであったと考えるべきでしょう。本研究の過程で訪問した博物館では、昭和三陸地震直後の津波で打ち上げられたオオヨツハモガニの標本も見つかりました。本種は三陸を代表するカニ類であると同時に、磯根資源の捕食者でもあり、幾多の地震と津波を乗り越えて個体群を維持してきた「不屈のカニ」でもあるのです。
2018年度末ごろから、当センターが東京大学社会科学研究所と共同で進める地域連携プロジェクト『海と希望の学校 in 三陸』に関連したアウトリーチ活動が盛んになってきました。特に大槌町内、釜石市内の中高生に「三陸の海や海が育て、もたらすもの」について沿岸センタースタッフが紹介する機会が増え、私もこの春、ついに県立大槌高校で「出前授業デビュー」を果たしました。これまでにも出前授業だけでなく、様々な機会で「オオヨツハモガニ」の話をさせていただいておりますが「赤浜で新種を見つけた」「80年以上見過ごされてきた古い新種だ」と言う話は、毎回、私の想像を上回る歓迎をいただいており、最近では不屈のカニ「オオヨツハモガニ」を町の魚であるサケと並ぶ大槌のシンボルにしていきたい、などと愚考しております。紙幅の都合上とても紹介しきれませんでしたが、オオヨツハモガニの発見にまつわるストーリーは、新種(あるいは未記載種)とは何か、あるいは資源生物との種間関係といった生物学的な話題だけでなく、幕末日本とヨーロッパ人研究者の関係、地方博物館・水族館・大学附置研の重要性、水産研究者と分類学者の分断、北東アジア域の言語的分断、海外の研究者との友好関係の構築などの様々な話題へ、分野横断的に発展するポテンシャルを持っています。不屈のカニ「オオヨツハモガニ」を幅広い年代を対象に話題を提供できるコンテンツとして育て、積極的にアウトリーチに活かしてきたいと思っております。