2/28
デルタ航空121便で羽田空港に到着しました。今回のプロジェクトの最大の難所である輸入通関に臨み、なんだかんだで2時間以上かかった末、無事に輸入出来ました。ようやく刀を生で見て持ってみて、「長い!重い!」が第一印象でした。
翌々日の国内線への荷物預け入れについても事前確認を行い、こちらも1時間以上かかりました。つくづく、日本における真剣の扱いの大変さを実感しました。
(画像は通関時に貰う「引渡書」=刀剣登録証の代わり)
3/1
通関が不首尾だった場合の予備日として確保していたこの日、時間が出来たので富士山でも見せてあげようと思い、昼頃から晴れるとの予報を信じて向かったのですが大雨。では、せめて大涌谷の煙が上がっているところでも見せようと箱根に移動したのですが、視界は5mほど。ではでは梅でもと思い、湯河原梅林へ。満開は少し過ぎていましたが、まぁまぁの開花状態。園内を散策していたら、いきなりSamが片膝ついてAllieにプロポーズ!あまりの突然の出来事に、こっちがパニックになりました。ホントにああやって跪くんだと感心しました。
3/2 (1)
午前中は、銀座の「刀剣柴田(なんでも鑑定団の刀剣鑑定士の店)」に同刀を持ち込み、東京の支援者の皆さんにお披露目しました。柴田社長に押形を取って頂き鑑定もして頂きました。詳細は研いでみないと分からないが良い刀だとの評価です。目釘穴が一つで、磨上げもされてないウブである事もポイントが高いそうです。時代は国広より少し後の1620~40年(寛永期)辺り。鍔は後年のものだが300年位は経っているもので、菊型で裏側に桐紋が入っているという事は、高位な人の持ち物であった事が想定されるとの事です。鞘も同じく後年のものとはいえ、江戸期には間違いないそうです。
3/2 (2)
昼過ぎのフライトで宮崎へ移動。東京は晴れていたので、なんとかねじ込んで右窓際の席を確保。富士山を山頂だけでしたが見せてあげる事が出来ました。
宮崎空港では、日南市の方がお出迎え。天気は土砂降り。空港に隣接する特攻基地慰霊碑を訪れ献花及び刀の帰国報告をしました。我々以上に二人が真剣な表情だったのが印象的でした。
3/2 (3)
飫肥での二人の宿は、飫肥城下の古い屋敷を改装した一軒貸しの「季楽・合屋邸」。あまりの素晴らしさに最初は固まり、後にはしゃぎまくってました。(その広さが後に悲劇を生みます...)
季楽・合屋邸 : https://www.nazuna.co/ja/property/ohya
夜は、日南市の山の中にある鳥料理屋「山空」で、伊東家ご子孫と顔合わせ懇親会を行いました。二人は鶏肉好きなので、大変喜んでくれました。鶏肉の生、ましてやレバーの刺身などアメリカでは考えられないそうです。
伊東家ご子孫一家は、イケメンの啓一氏に美人の奥様、利発そうな息子さんに可愛いお嬢さんと、名家の香りをふんだんに漂わせるご家族で、なんだかホッとしました(心配していたわけではないのですが)
この場では、伊東家から二人に雛人形がプレゼントされました。
3/3 (1)
いよいよ返還式当日。天気予報は大雨で朝から本降り。
朝食時にAllieの表情が暗い。なんと、婚約指輪を紛失したと!前日の食事から帰ってきて外した事は覚えていると言うので、確実に部屋の中にはある筈なんですが、いかんせん広い。とりあえず、時間が押してしまっていたので着付けへ。
3/3 (2)
着付けが終わったあたりで雨が小降りに。飫肥城大手門に着く頃には曇天なれど雨は止みました。待機していた人力車に乗り、旧伊東伝左衛門邸まで約300m。5~6社のTVや新聞のカメラに囲まれながら会場入りしました。
返還式は、二台の雛壇が飾られた8畳の表座敷で11時から行われました。まずは、Samから伊東家十代目の敬一氏へ刀の返還、続いて返礼の短刀が﨑田恭平日南市長からSamへ贈られました。
雨がほぼ止みそうに
飫肥城大手門前にて
返礼の短刀を贈呈
伊東家の皆さんと
3/3 (3)
返還式の後、一通りのインタビューを済ませ、やはり城下にある伊東一族の古い屋敷を改築したレストラン「伊東邸」にて12時より歓迎会を開催しました。
武家屋敷 伊東邸 : http://www.itotei.com/
短刀を打って頂いた松葉國正氏の刀の解説(還ってきた刀を絶賛)、﨑田市長からの飫肥杉の記念プレート贈呈などが行われました。
夕方に飫肥城を見学し、夜は松葉氏を交え、城下の日本料理屋「一能」で雛祭りに因んだ会席料理を頂きました。
改めて返還
新旧の刀が並べられ
松葉氏の解説に聞き入る
飫肥杉のプレートを贈呈
【不思議な話】
歓迎会の最中、ふと気が付くと木札が紐から外れていました。周りの人に聞いてみても誰も覚えが無く、ホントにいつの間にか。74年間もしっかりと結ばれていたのに、その役目を終えたかの如く。自分はオカルトとかは全く信じないのですが、これには不思議なものを感じました。
3/4
朝からAllieの顔が晴々。指輪は昨晩のうちにタオルの中から見つかりました。
松葉氏の案内で鵜戸神宮へ。ここには、戦後行方不明になっている神宝刀の「鵜の丸」を松葉氏が法量と写真を元に復元した刀と、松葉氏自身が納得の行く形で打った刀が納められており、宮司のご好意で触らせて頂きました。
その後、名物の運玉入れ(素焼きの玉を岩の窪みに投げ入れる)に挑戦し、Samが見事に5個中2個も成功しました。窪みに入った玉は、毎日回収されてお守りとして売られているので、SamとAllie、Samの両親のJeffとKathy、そしてJeff Fowler氏の分と合わせて5個、宮司のご好意により頂きました。(焼酎も頂きました=さすが宮崎!)
その後、宮崎県を北上して天の岩戸神社へお参りし、部屋付き露天風呂のある南阿蘇の竹の倉山荘に宿泊しました。二人からの事前リクエストはなかったのですが、馬刺しが出てきたら大喜びして食べてました。
凄みのある刀にビビる
刃文を見る
Allieは運玉入らず
天手力男命と(天の岩戸神社)
3/5 (1)
Allieからたっての希望があった高千穂へ。ミネソタはだだっ広い平原なので、自然は多くてもこのような景色は案外見る事が出来ないのだそう。Samが意外にも手漕ぎボートの扱いが下手で(アメリカではモーターボートが当たり前か)、Allieがずぶ濡れになってました。
3/5 (2)
高千穂の後、松葉國正氏の工房を訪問しました。玉鋼や和銑について説明して頂いた後、いつもは弟子がやる相槌をこの日は松葉氏が自ら打ってみせてくれました。
そして、真剣による青竹斬りに挑戦。Samはブラジリアン柔術をやっているので、力はあるのですが、何故か斬れない。10回位トライした後ようやく成功し、斬った竹に松葉氏の記念署名を頂きました。Allieも細い青竹で挑戦したところ、2回目で斬れたのはいいのですが、そのまま刀を地面のアスファルトに当てて、刃先が少しこぼれてしまいました。泣きそうになるAllieでしたが、程度は軽く、弟子の富岡さんが直ぐに研ぎ直してくれました。
その後、母屋に上がらせて頂き、新作名刀展で第一席を受賞した刀などを見せて頂きました。
昼食に地元名物蒟蒻ラーメンをご馳走になり、地元の大御神社や鵜戸神社、日向岬の馬ケ背などを案内して頂きました。
失敗x10
(成功時の写真は無し)
松葉先生は一刀両断
堂に入った風情のAllie
海に喜ぶ二人
(ミネソタに海は無い)
3/6
アメリカへのお土産を買いに日本橋へ。友人達にばらまけるキャンディーが欲しいというので、榮太樓本店で沢山の飴を買い、自分が土産に持たせた日本酒(五箇山の三笑楽)の縁で富山県のパイロットショップに寄って、スズ紙や米などを買いました。昼食は、リクエストのあった寿司という事で、庶民的な「寿司貞」で上握りを堪能(但しワサビ抜き)。ミネソタでは新鮮な海の魚は食べられないので、たいそう喜んでいました。
同日、午後4時25発のデルタ120便で帰国しました。ここでも、真剣の持ち出しに多少てこずりましたが、松葉氏に用意して頂いた書類で、なんとか無事にチェックイン出来ました。
(画像は「輸出監査証明書」。国宝とかだと輸出が出来ない。⇒ 将来はアメリカ側で国宝みたいなものになるかも...)
「今回の来日でお世話になった全ての皆様に本当に感謝している。是非、ミネソタに来て欲しい。」と言って旅立って行きました。思いっきり手を振っていたんですが、こちらも同じにしてたので、良い写真が撮れませんでした...