終戦の日に際し、戦争について触れてみます。
宮崎県内で戦後に徴収された刀は、現在の宮崎空港に集められ、戦車で踏み潰されたそうです、、、痛々し過ぎて言葉も無い。
全国各地で、ガソリンをかけて燃やされたり、海に捨てられたりしたりしましたが、今回の刀のように、処分される前に米兵に「戦利品=お土産」としてピックアップされ、持ち去られたものも数多くあります。実数は測りようがないのですが、数万口じゃきかないでしょうね。(いわゆる「赤羽刀」)
その事をいまさらとやかく言うつもりはないです。ただ、今回の刀のように、なんとか今でも多くの刀が生き残っていて欲しいと願うばかりです。
(昭和22年頃の赤江飛行場=宮崎空港)
宮崎空港は、戦時中は赤江飛行場と呼ばれていました。考えてみれば当たり前の話なんですが、九州南部のここも特攻基地でした。知覧や鹿屋はすぐに思い浮かぶのですが、迂闊にもここは知りませんでした。あちこちから出撃して、上空で集まってから出撃するんですね。
そしてここは、海軍の特攻「爆撃機」の発信基地でした。特攻機は単座のゼロ戦や隼ばかりをイメージしていましたが、複座以上の爆撃機の出撃も行われていたという当然の認識が抜けていました。
一式陸攻や銀河がここから出撃しています。戦闘機に比べてスピードや旋回性能で劣る爆撃機は目標に到達するのがより厳しいのですが、的が船ですから急降下爆撃や雷撃も作戦に含まれるなんて事は、ちょっと考えれば分かる筈なのに。
一人で出撃するのももちろん厳しいですが、複数の搭乗員で特攻に向かうというのも、よほどの信頼関係が無いと出来ない事であっただろうと想像します。
(一式陸攻(乗員7名)⇒デカいっ!これで特攻に征ったのか...)
宮崎空港滑走路の横に、「宮崎特攻基地慰霊碑」があります。
今回の刀の返還の際には、「戦争が終わって70余年、こうして友好的に刀が帰ってきました」と、多くの英霊と犠牲になった刀に報告したいと思っています。
あくまでも自分個人の気持ちの問題なので、アメリカ人である現持ち主には、話はしますが慰霊などを強要するつもりはありません。彼らがどう思うかは彼らの判断に委ねます。
<参考サイト>
この慰霊碑を詳しくレポートされている方がいるので、上記サイトをじっくりと見ていたら、遺書が石碑になっている方がいました。名前は「伊東勲」。ここにも、伊東の名がっ!?
調べてみると、大分県九重町町者原出身で予科練乙飛18期。多くのメンバーが特攻に散った代です。
どこまで遡って誰に繋がるのか分かりませんが、この方も日向伊東の一族である可能性が高いのではと思います。どなたか、情報をお持ちではないでしょうか?
伊東勲さんは、昭和20年5月11日の菊水6号作戦にて、銀河(乗員3名)の電信兵として出撃されています。そこで、この日の特攻作戦を調べてみて、、、思いっきり唸りました。
多くの特攻の中でも、この日の空母バンカーヒルへの攻撃は最も有名です。なにせ、米海軍の司令官ミッチャーが乗る旗艦空母を、沈没とはいきませんでしたが大破炎上させたんですから。ロバート・ケネディの息子が小説にもしています。
これは、鹿屋から出撃したゼロ戦2機(安則盛三中尉/小川清少尉)の特攻が成功したもの。と、ここまでは自分も知っていました。
(炎上するバンカーヒル ⇒ これで戦線離脱)
ところが、実はゼロ戦2機の前に銀河が体当たりに成功しているというのです。なんでこの話がほぼ黙殺されているんだろう?初めて知ったわ。
機体の残骸から見つかった遺書には「宮崎にて 勲」と。他基地も含めた同日の出撃隊員の中で「勲」の名は「伊東勲」さんただ一人。アナポリス海軍史料館に実物が展示されているそうですが、ずっと別人のものと考えられていたものの、近年間違いが判明しました。史料館のアーカイブを探しましたが、画像は見つからず。絶対に見に行くぞ!⇒というか、他のモンはともかく、遺書は遺族の元に返して欲しいです。
<ご参考サイト>
足の遅いデカい爆撃機で、よくぞ標的にたどり着いたものだと思います。
操縦士の松木学一飛曹は、出撃前日に美保(米子)から宮崎に向かう途中、郷里の愛媛にちょっと回り道して、母親の眼前でマフラーに包んだ遺書を落とすという逸話を残しています。いいパイロットだったんでしょうね。
バンカーヒルはこの攻撃で400名近い戦死者を出しましたが、翌日に米兵戦死者と共に日本兵の遺体も丁寧に礼儀をもって水葬したそうです。
この日から4日間続いた菊水6号作戦においては、他にも空母エンタープライズ、戦艦ニューメキシコ等々、合計19隻も撃破し、特攻史上最大の戦果を挙げています。
伊東の武人としての名がこの成果を導いたのか、、、黙祷、、、合掌、、、
<ご参考サイト>
http://www.warbirds.jp/senri/10kaiko/04furukogi/
http://www.warbirds.jp/senri/08tubasa/06matuki/index.html
(写真は双発爆撃機「銀河」)
【追加情報】
2019/3/2
二人に話をしたら是非にという事で、宮崎空港に着いて直ぐその足で宮崎特攻基地慰霊碑を訪問し、献花しました。ここを訪れたアメリカ人は多分初めてだろうとの事。軍人一家のSam(父親のJeffは陸軍退役軍人)としても、感じるものがあったのかと思います。