旧日本兵 & 遺骨調査

第二次世界大戦で日本軍が作った橋

旧日本兵
戦争博物館(クンユアン)

クンユアンの寺(野戦病院跡地)

旧日本兵が使用していた車の残骸

掘り出された銃

旧日本兵を訪ねて
国境近く・カレンニ村

こんな川を十数回渡った

大木が倒れていた

旧日本兵の住んだ部落

旧日本兵・ウラベ?氏

ウラベ?氏の墓参

桜・植樹

何故遺骨調査なのか?

クンユアンの地は、第二次世界大戦のインパール作戦で、チェンマイからここを通り、ビルマへ侵攻した場所。当時は野戦病院もあり6,000人の日本兵が駐留していた。無謀な作戦で、兵士がビルマから敗退。退却路は、多くの兵士が亡くなり白骨街道と呼ばれた。白骨街道はビルマだけでなく、国境からクンユアンへ通ずる道路にもあった。

我々が現地を訪問し、日本兵のことを聞くと(我々が日本人であることや、タイの子供のために活動していることを知っていることも影響しているとしても)日本兵に、略奪や暴行を受けたという話は聞いたことはない。私は、生か死かという時に、集落の家に押し入り食料を強奪することはあり得ると思っていたし、申し訳ないが已むを得ないとも思っていた。しかし、集落を訪れたときも「スギヤマ、私の家にはサムライ(日本刀)がある。昔日本兵がここを通ったとき、あまり可哀想だったのでバナナをあげた。兵士は何もあげるものはないといって、サムライを置いていった。」と。こんな経験は、1回や2回ではない。日本兵が通ったという集落では、ほとんどサムライが、どこかの家にある。

クンユアンでは、「スギヤマは、〇〇大尉を知っているか? 彼は、とてもいい奴だった。」「おはよう!、こんにちは!、ふじさん、げいしゃ、かいこん・・・」と、突然話しかけられもした。

生か死かという極限状態の中、彼らは日本人としての誇りを持ち、現地の住民との間に、今も残る素晴らしい国際交流の実績を残している。

遺骨調査は、同じ日本人であるからということと、彼らの交流の歴史を我々が引継ぎ、更に日本との交流を強く太くしていきたいと願って、せめてもの思いで実施している。


旧日本兵を訪ねて

 旧日本兵が国境の部落にいると聞き、同じ日本人として放置しておくわけにはいかないと、危険を承知で、クンユアンの友人に無理やり案内をお願いした。

彼とは、2回会った。彼は、最後まで日本語を話さず、旧日本兵(日本人)だとは言わなかった。

ただ、2回目のときは、私が手帳に「身体のことが心配だ」とか「もう戦争はしない」と書いて見せると、それを読んで反応してくれた。

彼とは、心が通ずる関係になったような気がする。それで、もう一度会おうと決め、準備をしているとき彼は亡くなった。

その後、再度訪問し、日本人の彼がここで生きていた証として、彼の住んでいた場所に桜の植樹をした。

旧日本兵の遺骨調査

30mの高さに洞窟
ここに日本への遺骨があると情報が。

現地の人たちが梯子を作ってくれた。

洞窟内に遺骨が散乱

この洞窟では、遺骨が日本兵のものであるという証拠が見つからず、約2000年前のものとされた。                                近くに小さな日本兵のキャンプがあったという情報が入り、そのトウモロコシ畑を調査することに。

遺体が埋めてありそうなところを掘って探す。

ボタンやコインが見つかった。

旧日本兵の遺骨

サムライを手に説明

遺骨についての情報提供

集落にあったサムライ

象で日本軍の物資を運搬中、兵士の埋葬を目撃

地元の県議も協力(右)

数十体埋葬されていると。