開放量子系の局在と普遍性

研究内容で述べたように、開放量子系のダイナミクスをミクロな量子力学から理解するのは重要なテーマだと考えています。我々はこの試みの一つとして、孤立量子系の熱平衡化に対して重要な概念であった多体局在(many-body localization, MBL)と量子カオスの普遍性を、開放量子系を記述する理論であるLindbladマルコフ系や非エルミート系において議論しました。

・非エルミートランダム行列の普遍性

上記の目的のため、まず、エルミートランダム行列の普遍性を非エルミート系に拡張する必要があります。

Dysonはエルミートランダム行列を時間反転対称性(複素共役操作)に関して三種類のクラスに分類し、これに応じて準位間隔分布などの局所スペクトルの統計が三種類の異なる普遍性を持つことを示しました。一方、非エルミートランダム行列理論においては、局所スペクトルの統計の普遍性は時間反転対称性の有無で変化せず、そのため一種類しか知られていませんでした。

そこで、我々は複素共役操作と転置操作が非エルミート系では非等価であることに注目しました。その結果、転置操作に対する対称性に関する非エルミートランダム行列のクラスで新しい普遍的な準位間隔分布が発現することを発見しました。そして、他の対称性を考えたとしても、非エルミートランダム行列の準位間隔分布は右図に与えられた三種類の普遍性のみしか存在しないことを主張しました。

Phys. Rev. Research, 2, 023286 (2020). [arXiv:1904.13082]

異なる普遍性を示す準位間隔分布。従来知られていたクラスAに加え、転置操作に対する対称性に関する、異なる二つの普遍性を発見した。

Lindbladian多体局在

開放量子系の典型的な記述として、マルコフ近似等を施して得られるLindblad方程式があります。こうした散逸を入れた開放量子系におけるMBLも重要な問題として注目されていますが、従来の研究は孤立系のMBLの構造(準局所保存量など)が散逸によりどのように残るかなどに注目しており、開放系特有のシャープな転移が存在するかは明らかになっていませんでした。

我々は、乱れた開放量子系特有の新しい局在転移を発見しました。具体的には、Lindblad方程式で表される乱れたIsingスピン系において、Lindblad超演算子の固有値・固有状態行列の統計が乱れによって転移を起こすことを示しました。特に弱い乱れでは、非エルミートランダム行列理論の普遍的統計が現れ、強い乱れでは、固有状態行列の非対角部分に関する多体局在が起こります。そして、この「Lindbladian MBL」が起こると、ランダム行列相で存在していた多体デコヒーレンスが妨げられ、量子コヒーレンスの減衰率がロバストな値に固定されるという頑健性を発見しました。この転移は、固有値の間隔分布の統計や、固有状態の演算子空間エンタングルメントなどでも特徴付けることができることも明らかにしました。

[arXiv:2206.02984]

乱れの強さ(横軸)に対する複素固有値の割合(縦軸)を、異なる系のサイズについて示す。異なるサイズに対する結果の交差点が相転移点であり、それ以下ではほとんどの固有値が複素に、それ以上ではほとんどの固有値が実になることがわかる。

・非エルミート多体局在

Lindblad系は散逸がコントロールできない場合などに現れますが、連続測定下の開放量子系で、量子ジャンプの起こらない事象を選択することで、非エルミート行列で記述される系が現れます。

通常のエルミートな量子系ではスペクトルの実性が保証されますが、非エルミート系でも固有値が実になる場合があります。我々は、非対称ホッピングを持つ相互作用する乱れた系において乱れを強くすると、ほとんどの固有値から複素から実になるという転移が多体のスペクトルのレベルで起こること、それが系の動的安定性を劇的に変えることを発見しました。そして、この転移が非エルミートに拡張されたMBL転移によって引き起こされることを見出しました。孤立系におけるMBLは強い乱れがETHおよび熱平衡化を妨げる現象ですが、非エルミート系ではそれがスペクトルの実性に大きな影響を及ぼすということです。

Phys. Rev. Lett. 123, 090603 (2019). [arXiv:1811.11319]


・観測下における乱れた量子多体系の局在

連続測定で量子ジャンプも含めて考えると、乱れによる局在の効果にくわえ、測定による波動関数の局在の効果も現れることが知られています。乱れがない場合には、こうした測定による局在は、定常状態のエンタングルメントエントロピーなどで特徴付けられる測定誘起相転移を示すことが知られています。それでは、乱れによる局在と観測による局在が競合する場合は何が起こるでしょうか?我々は観測下の乱れた多体系を、特にその動的性質に着目し調べました。その結果、観測が強いレジームと、観測が弱いが強い乱れが存在するレジームは動的に異なる性質を持つことがわかりました。

すなわち、両者のレジームも定常なエンタングルメントエントロピーは面積則を示しますが、二つの量子トラジェクトリー状態(ランダムな観測の結果を追随して得られる状態)間のフィデリティをとると、後者の場合のみ特徴的なべき的減衰を示すことがわかりました。また、通常、観測誘起相転移の検証には所望の量子トラジェクトリーについての事後選択を行う必要があり、このことは実験的な困難となっていました。一方、我々は今回の系を含む幅広い連続観測下の量子系で、ユニタリーな操作のみを用いることで多くの物理量を事後選択なしに再現できる手法を考案しました。

[arXiv:2301.07290]