開放量子系のダイナミクスと定常状態

ETHを満たす孤立量子系および詳細釣り合いの原理が成り立つような量子開放系では非平衡状態は時間とともに熱平衡状態に緩和します。一方、詳細釣り合いを満たさない開放量子系は一般には非自明な非平衡状態を定常状態として持つため、近年の実験技術(観測技術・散逸の制御技術など)にも触発され、理論的研究が急速に発展しています。

非ユニタリーボゾンサンプリングにおける新規な転移

非エルミート量子力学は開放量子系の記述の一つとしてここ数年盛んに研究がなされており、光学系などをはじめ多くの実験も存在しています。しかし、非エルミート量子力学、あるいは非ユニタリーダイナミクスがどれほど量子的な性質を持っているか、という基本的な問いはこれまでほとんど議論されてきませんでした。

ユニタリーな場合においては、量子的な性質は計算複雑性の観点で議論できます。特にボゾンサンプリングの問題では、量子光学系に入射したボゾンのアウトプットの分布を考えます。この分布が量子的にはサンプルでき、古典的には効率よくサンプルできない場合には、ある種の量子超越性を意味します。

我々は、非ユニタリーな量子光学系でのボゾンサンプリングを考え、計算複雑性に関する新奇な転移とともに、非ユニタリー性が古典的な性質を強固にすることを見出しました。特に、非エルミート性に特有のPT対称性の破れが、計算効率の転移と大きく関わります。まず、PT対称性が保たれているときは、光子分布が独立な粒子の分布と同一視でき、そのため古典的に効率よくサンプル可能な相から、ある時間スケールでそのアルゴリズムによる効率的な計算が不可能になる相にうつるという、一つの動的転移があります。一方、PT対称性が破れると、上記の転移の時間スケールが急激に伸びます。さらに、長時間後で再び古典的に効率よくサンプル可能な相へとうつる二つ目の動的転移が現れることを発見しました。

K. Mochizuki and R. Hamazaki, Phys. Rev. Research 5, 013177 (2023). [arXiv:2207.12624]

デコヒーレンスを記述する「準粒子」インコヒーレントン

開放量子多体系の非平衡ダイナミクスは、ハミルトニアンによるコヒーレントな寄与と散逸によるデコヒーレンスの競合により、複雑なものとなります。我々は、こうした系のデコヒーレンスなどを記述する「準粒子」(インコヒーレントン)を導入しました。

インコヒーレントンは開放系のLindblad方程式に関するLiouville演算子の固有状態に現れます。こうした固有状態はbra空間とket空間の直積の上で定義されますが、インコヒーレントンはその二つの空間の束縛状態で、その存在はコヒーレンスが小さいことを意味します。散逸の強さを強くしていくと、インコヒーレントンが構成される束縛転移が起きます。この時、ダイナミクスに関し、コヒーレントな寄与が支配的なレジームからインコヒーレントな寄与が支配的なレジームに変化します。さらにこの時、通常の孤立系の量子相転移で固有値ギャップが閉じるのと同様、Liouville演算子の固有値の構造にも変化が現れることを発見しました。すなわち、インコヒーレントンの生成に伴い、(定常状態付近には限らず)固有値スペクトルにギャップがあらわれます。こうしたギャップ構造やインコヒーレントンの生成過程は、ダイナミクスの段階的緩和を理解することにつながることも議論しました。

T. Haga, M. Nakagawa, R. Hamazaki, and M. Ueda [arXiv:2211.14991]

開放量子系、特にCavity QED系とCircuit QED系における離散時間結晶。原子数が多い前者のような場合には、スピンなどの振動が長時間安定化する相が現れうる。後者のような原子数が少ない場合にも、短時間ではその傾向が残る。

・開放量子系における離散時間結晶

周期Tで駆動されているにもかかわらず、多体効果によって周期nT(n=2,3,...)を持つ物理量の振動が安定化されるような量子多体系を離散時間結晶と言います。離散時間結晶はこれまで孤立量子系でのみ実現されており、開放系では不安定になると考えられていました。

我々は、cavity QEDなどで実現されているopen Dicke modelを周期的に駆動した場合の時間発展を調べました。その結果、原子数が非常に多い場合は半古典的な分岐を反映して、異なる幾つかの離散時間結晶の相が安定化されることを発見しました。また、原子数が有限で量子効果が強い場合でも、相互作用が強い場合に限り、離散時間結晶の相が散逸によって指数的に長い時間まで安定化されることを見出しました。

Z. Gong, R. Hamazaki, and M. Ueda. Phys. Rev. Lett. 120, 040404 (2018). [arXiv:1708.01472]

・ニューラルネット状態による量子開放系の定常状態の記述

開放量子多体系の数値計算は孤立系よりもさらに難しく、一般の系に対する有効な計算方法が古くから模索されています。我々は、最近の機械学習技術の孤立量子多体系への応用を踏まえ、ニューラルネット状態を用いて開放量子系の定常状態の記述ができることを実証しました。Cost functionの性質上、通常の多体系の基底状態探索に比べ、我々の方法は定常状態への最適化が行われているかの判別が容易です。我々の方法を用いて一次元や二次元の量子散逸スピン模型の定常状態が記述できること、特に厳密な方法であるLanczos法よりも効率よく定常状態を求められることを確かめました。

N. Yoshioka and R. Hamazaki. Phys. Rev. B 99, 214306 (2019). [arXiv:1902.07006]

研究室の扉「ニューラルネットワークでみる量子の世界」(YouTubeでの解説)

UTokyoFOCUSでのプレスリリース 「無限時間経過後の量子状態を表すニューラルネットワークの構築に成功」

ニューラルネットワークで「開いた量子系」を学習する – 機械学習と量子物理学の融合(アカデミストジャーナルの解説記事)

開放量子系の密度行列をベクトル表記に直し、それをニューラルネット状態(制限ボルツマンマシン)で表すことに成功した。

・Liouvillian表皮効果下でのスペクトルギャップと緩和時間の関係

孤立した系の緩和時間がスペクトルギャップの逆数で与えられることはよく知られています。開放系においても同様に、ダイナミクスの生成子であるLiouvillianのギャップが緩和時間の逆数で与えられると信じられてきました。我々は、粒子が系の端に局在するような「表皮効果」が起きている開放系では(開放系特有の非エルミート性のために)この関係が破れること、従来の関係式が系の局在長を用いて一般化できることを示しました。

T. Haga, M. Nakagawa, R. Hamazaki, and M. Ueda. Phys. Rev. Lett. 127, 070402 (2021). [arXiv:2005.00824]