自覚と知識のギャップ

自覚と知識のギャップ

みなさん、物知りですか?

私は物知り で し た 。

なぜ過去形なのかというと自信を失ったからです。


よく知識について、

「初心者は自信がとてもあり、中級者は自信が無く、上級者も少ししか自信がない」

と云われることがあります。

ネットではかんたんに情報で目立つことができるため、

一昔前から「にわか」が台頭し、問題になっています。

その昔、にわかの意味を間違えて喧嘩をしたことがある

あまり知らないのに、自分の知識について過剰な自信があり、

ネットで軽々と自慢することですぐに注目を浴びることができるのです。


この過剰な自信は、向上心よりも自意識のほうが上回っているときに生まれます。

「目立ちたい」初心者はなるべく多くの容易な説明を受け、受け売りの説明を生み出す。

「興味がある」中級者は説明を受けてもっと深く知りたくなり、わからなければ基礎を固める。

レベルの低い、質の悪いコンテンツが大量に生み出されるのはこのような構造があるからだと思います。


初心者と中級者の自信の差は 発展版ソクラテスの「無知の知」を自覚するかどうかだと思います。

発展版とは何かというと、「まったく知らない~歴史・背景などを詳しく説明できる」のレベルの中で、

自分がどのくらいかを把握できているかどうかということです。

すべて知っているという人は原則、存在しません。それは妄想です。

「知っている/知らない」の線引きは非常に個人差があり曖昧です。


あることについて知りたての人は確かな「知る」実感があるので「知っている」側に入ろうとします。

中級者は上を見ているので、自分のことが低く見え「知らない」側と感じます。


これがギャップです。

先程の「自信を失った」は、知識における自分の立ち位置が高くないと悟ったからと言えます。

初心者は出しゃばらないように、中級者は誇りを持って向上できれば、精神に負担がかからないと思います。

ほのめかすだけで情報の5割は伝わる

さっきとほぼ逆のことを行っているとも思えますが、

知ると言うのは基本的に戻せない行動です。

わざと忘れようとして忘れることができたためしがない

言うというのも戻せません。撤回しても、言ったという事実は残ります。


唐突に話を始める際、あまたある話題の中からその話題が出てきた理由がまず気になります。

詳細な話をしないとなおさら気になります。

話すことによって、そのことについて「知っている」ことを同時に発信しています。

「知っている/知っていない」の差は非常に大きく、次回以降の話題展開に影響します。

それだけでなく、その人のイメージも更新されます。

「やっぱやめた」では、そのことが真である疑いが強くなり、一方的に印象だけ変化し、かえって内容が気になるため、多くの情報が不本意に渡されてしまうのです。


質問や話題に対し「無視」が一番有効ではないかという風潮もありますが、かえって誤解、思い込みを生みかねません。しかも誤解を感知できないということにも繋がります。

情報戦は非常にリスクが高い上に、不可避な事なのです。


「エロゲ何が好き?」から始まる心理戦は「俺は知らないんだけどさ、なんか聞きたかっただけ」でEnd.

説明は同じ板の上で

1 + 4 - 7 = 0 って正しいよね?


はい。 5 = 7 の世界では正しいです。

しかし、一般的な算数の加算ではそのような定義はないため正しくありません。


もう眠いので文が壊れてる感も否めないのですが、このように説明は前提条件が必須です。

それを省略する便利な言葉、常識。

あなたの常識が通じない可能性だってあります。価値観の押し付けは好まれるものではありません。

いきなり話題を振られた時、それが何を指すのかか当てるところから入るため、不要な労力が必要になります

言いたいことがあるのなら、一旦整理して話の流れを作ってその内容に誘導するのが良いでしょう


長い付き合いでこれくらいはわかるだろうという場合を除きますが。

頭痛い。