明治24年11月に西潟為蔵は、小柳卯三郎と関矢伝三郎らと新潟日報社を創設し、理事となった。当時の新聞は政党の機関新聞的傾向が強かった。発起者らの名前から見ても自由党色が強かったことが考えられる。
明治38年12月に専務理事となり経営の一切の責任を負うようになった。政党色の強い紙面上に社寺欄を設け、宗教拡張の便宣に供したことは特筆すべき経営振りとして注目された。
時代が変わるにつれ新潟日報社の経営も次第に苦しくなった。明治44年6月に佐藤友衛門が経営していた新潟毎日新聞社に合併を提唱し、合併執行委員の選挙にて、西潟為蔵、加藤勝弥、小池新三郎の3氏が当選した。合併の全ての業務を担当し円満な合併を完了させた。
明治24年秋に創設してから20年、幾多の犠牲と苦難を乗り越えながら経営を続けてきた西潟らはこの合併には感無量であったであろう。新潟毎日新聞は新潟県に於ける最初の輪転印刷を行った新聞であって、今日の新潟日報の前身でもある。