!:「デアデビル・カートウィール」既読前提/時系列は続編「デアデビル・ヒーローズ」の後です
「今からデートしない?」
「ハ?」
火事場からの帰り、黒い煤にまみれたままの男は突然木陰に車椅子を停め、膝をついてしゃがみ、俺の手をとって言った。俺は反射的に燃えるように熱い手を冷やしてやりながら、妙な台詞を吐いた男の顔色を伺った。いつも通りに見えるが、ふと毎日公安仕込みの医療知識やレスキュー術を叩きこまれている俺の脳裏にある言葉がひらめいた。
「あァ……熱せん妄か」
「違います」
ホークスが眉根を寄せ、口を尖らせた。
「俺の厚意を高熱での異常行動扱いするのやめてくれるかな。今日、誕生日だろ」
スマホを片手にぶらぶらと揺らすので、一昨年の誕生日を思い出した。
その日、俺はホークスから「依頼人が資産家で」と説明を受け何の疑問も抱かずに高級ホテルの最上階、ふかふかのベッドに横たわっていた。すると日付が変わった瞬間、目の前にバカでかい三段ケーキが運ばれてきて、「何のサービスだよ、病人に食べろってか?」と鼻で笑ってやろうとした瞬間、「これには全然深い意味はないんだけど、エンゲリョクの向上訓練になるしヨウイにソシャクできるから」と早口で謎の呪文を唱えだした。一通り詠唱が終わった後、刀というべきだろうか、妙に長いナイフを持たされ、なぜかホークスと一緒にケーキを真っ二つにし、フォークを一度も持つことなく欠片を食べさせられた。味はなかなか美味かったと思うが、途中から百面相をするホークスがあんまり笑えたので覚えていない。「何のつもりだ?」と尋ねると、ホークスは「誕生日パーティってこうでしょ?」と言った。
ついでに去年の誕生日はといえば、バカでかい船を借りてきた。「お前がのんびり航海したいって言ってたからさ」とにっこりして言われたが、俺は全く覚えがなかった。百人ぐらい収容できそうな船で、中へ入るとほぼホテルのような室内が広がり、乗組員が客の倍以上いた。お節介な男が焦凍とその友達まで連れてきていたからだ。焦凍はわざわざ石川まで出向いて作ったという桶のようなバカでかいお椀をくれた。一応次の現場で鉢合わせしたため、「あれ使ってる」と礼を短く述べ、ホークスは「焦凍くんセンスいいね。便利だし、嬉しいよ、ありがとう!」などと褒めたため焦凍は嬉しそうにしていたが、そのお椀は足湯に使っている。
嬉しいと言えば嬉しい。俺が人前に出られず目立ってはいけない立場なのをホークスが考慮するせいで、毎回妙なスケールの大きさと小ささが同居する謎イベントが開催されるのも分かっている。ただ。
「毎回たった今思いついたみてえに言うんじゃねえよ」
「こういうのはサプライズだろ。何してほしい?って聞きながら俺に何もかもやらせるお前とは違うんです」
「仕方ねえだろ、お前がやってほしいこ」
急にマスクごと口を塞がれ、射殺すような視線を向けられて黙り込む。
「じゃあ今回は何だよ、スーパーヒーロー。ジェットか別荘かテーマパークどれを貸し切った?」
「決まってない!」
反射的に「ハ?」と返しそうになったのを飲み込む。ホークスは俺の手を大事そうに両手で持つと、明るくにこっと笑った。
「お前がいつも聞いてくれるから、俺もそうしようかなって」
どきりとした。やっぱりこの男は剛翼がなくても異常に察しがいい。俺は確かに、そうしてほしい。高価なものは何もいらない。ただ金を積み上げられて放っておかれても、何一つ嬉しくなかったからだ。
俺が黙っていると、ホークスの視線は少し揺れた。不安そうな色がよぎったかと思うと、とびきりの営業スマイルを浮かべる。
「ごめん、バレた?」
「あ?」
「本当はさ、準備が間に合わなかったんだよね。最近依頼が増えてきたし、長距離移動が多かったから予定も立てにくいし、お前も去年船酔いしてたしさ、俺一人で考えるより行き当たりばったりでいいかと思って。お前が今行きたい場所どこ? どこでも連れてってあげるから許してよ。あっ、ヨリトミだめ? 久しぶりに行きたくない?」
公安どもにプレゼンでもするように流暢に話す男は、明るい笑顔だった。もし連合にいた頃なら、俺は間違いなく鼻で笑った。何を隠してやがるんだ、としばらく表情を観察し、それでも全く読み取れずに飽きて放置した。でも、今は違う。
男の手はずっと熱いままだ。俺がどれだけ〝氷結〟を込めて冷やしても、いつもならすぐに冷めるのになかなか戻らない。男はまだ明るい調子で話し続けている。何がいい、蕎麦がよかったら今からでも行こうよ、そう言ってさりげなく熱のおさまらない手を離し、スマホを素早くタップして嬉しそうにしてみせる。
「ホークス」
俺は左腕を伸ばして男の手を掴んだ。
「いつから考えてた」
「……え? あ、一週間ぐらい前かな。ごめんってば、怒んないでよ」
ホークスはずっと笑顔を貼り付けている。笑い声をあげて、すっかり誕生日を忘れられていたことに俺が拗ねるのを待っている。その方がマシだからだ、考え抜いた上での提案に呆れて落胆されるよりも。
男の手を強く引けば、ホークスはまた屈んでくれる。この男はいつでもそうだ。平和なんて実体のないクソみてえな夢のためなら手段は選ばないくせに、自分の心はすべて後回しにして隠してしまう。そうして、その火が消えるのをただ待つ。
耐火ゴーグルの人工的なイエローの奥の、イルミネーションよりも輝く檸檬色の瞳を覗き込めば、そこには俺がはっきりと映っていた。路地裏で交わした約束はお互い一つも守らなかったが、セントラルの一室で交わした約束は、海辺の事務所で指を絡めて誓い合った約束は、ずっと守られている。
「……ァ、嬉しい」
必死に喉から絞り出した声でも、ホークスの目は見開かれた。
「お前が――ずっと俺のことを考えてくれるのが一番嬉しい」
じわ、と目の奥が熱くなってくるのが分かる。この間やっと治療したばかりの涙腺が、結局何の意味もなく熱だけを目尻に送っているのを感じる。
「特別なことなんかいらねえ。場所はどこでもいい。お前の行きたいところに行きたい」
ホークスは口を開いて何かを言おうとしたが、その唇が少し震えていた。俺たちはお互いを見つめあい、どちらともなく軽く唇を食んで、すぐに離れた。
ホークスは点いたままだったスマホ画面をオフにし、ようやく肩をすくめてにっこりした。
「たまにはお前が考えてよ、燈矢」