タイトル:紅華と小鬼~鮮やかな影に~
作家 :べにしき(丁子紅子・平良志季)
画廊 :八犬堂
展示会 :べにしき 平良志季・丁子紅子 二人展
購入日 :2021年6月1日
サイズ :WSM
技法画材:日本画
「べにしき」は、丁子紅子さんと平良志季さんの二人展ですが、グループ展とは異なり、合作という珍しいスタイルになっています。ひとつの画面に一緒に描くのは、お互いに頑張ってきたことをよく知っているから挑戦できたのでしょう。『紅華と小鬼~鮮やかな影に~』は、二人の魅力がぎっしりつまっています。
平良さんは、壱目様 のようなユーモラスな妖怪を描くのが得意です[1]。一方、丁子さんのように凛々しい女性を描ける作家はそうはお目にかかれません。一輪の花に小鬼が隠れるというシーンは、平良さんの作品に出てきそうです。でも、平良さんが花を描けば、山本梅逸や椿椿山のような花鳥画の雰囲気になったでしょう。そうすると、花と小鬼の一体感は強まりますが、やはり隠れている鬼に注目が集まってしまいます。ところが、丁子さんが描く花は、鬼に負けない力に満ち溢れているではありませんか。この作品をみたとき、最初にインパクトのある紅色の花が目に飛び込んできます。太陽のような花に目を奪われてしまう。それがとても大切。そのあとに鬼がいるじゃないか、という鑑賞の流れが生まれるわけですね。
[1] MY ART ROOMでは『壱目様と吸血鬼』を紹介しています。
では、じっくりとこの作品を堪能しましょう。まずは小鬼を観察。鬼だけあって角も牙もありますが、どこか滑稽で弱々しい。そのくせ悪知恵は働かせそうな手下感が半端ない。しかも、曖昧模糊とした表情が謎めいています。願い事をしているようにも、隠れているようにも見えます。鍾馗に成敗されそうになって逃げているのかもしれません[2] 。想像は膨らみます。一体どんな場面なのか考えていると、あることに気がつきました。そもそも小鬼の位置からこの花は見えるのでしょうか。我々は花と正面から向かい合っていますが、茎にしがみつく小鬼からは、がく片が邪魔して花弁はよく見えないはずです。小鬼は花が咲いているようだ、くらいにしか思っていないのかもしれません。正面に回れば美しい花を見ることができますが、ここから動けば鍾馗に捕まってしまう。動くべきか動かざるべきか。花に隠れたまま花の美しさを知ることはできるのか。ちょっとした禅問答のようです。ご利益なければ信仰なし、という鬼の格言が聞こえてきそうです。
[2] 渡辺省亭の「鍾馗に鯉」作品に描かれる、鍾馗に蹴られて鞠のように丸まってしまう小鬼の絵が思い浮かびました。「渡辺省亭-欧米を魅了した花鳥画-」(小学館発行、東京藝術大学大学美術館編)参照。
狩野派の技法をまとめた「画巧潜覧」という書物には、急波点や暗過点などの描き方が紹介されているそうです[3] 。墨を使った線といっても、強弱、濃淡、太さや細さ、遅速など様々な筆致によって、無限の可能性があるわけです。この小鬼の輪郭は、波打つ細い線によって描かれています。いくら鬼といっても、こんなプルプルした肉付きはしないでしょう。でも、人間よりはるかに長生きしてきた下っ端の小鬼という雰囲気が伝わってきます。もし閻魔大王のようなボスキャラであれば、より太く力強い筆致が似合うと思います。また、小鬼の肘や膝といった関節は赤みを帯び誇張して描くことで、茎に掴まる姿勢が強調されているのも巧みですね。髪は墨のぼかしと線で丁寧に描かれているのも見逃せません。肌の要所々々に微妙に変化させながら色をつけているのも上手い。伝統的な日本画の技法を、現代人の嗜好にアレンジされた風合いが素敵です。
さらに、小鬼が纏う天衣が凄くいい。典型的な鬼の衣装といえば、トラ柄のパンツですが、幾らなんでも趣が無くなってしまいます。服を着せては肌の露出が減って、鬼のイメージからずれてしまいます。菩薩が身に付けるような細長い布は、鬼にも似合うとは驚きました。そう言えば、風神雷神も天衣を纏っていますね。天衣は、動きを補完したり、立体感を強めたり、色彩のアクセントにも効果を発揮します。平良さんの作品で描かれる登場人物は天衣を纏うことが多いですが、いつもより大きく派手に舞っています。鬼の重みで茎が揺れる印象を強めてくれます。
[3] 日文研データベース 外像
https://sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/en/detail/?gid=GJ019242&hid=770
https://sekiei.nichibun.ac.jp/GAI/en/detail/?gid=GJ019245&hid=770
次に、菩薩のような主人公たる花を鑑賞してみましょう。圧倒的な花弁の力強さに魅了されます。コミカルな小鬼とは対極的な美しさなのですが、これがこの作品の最大の魅力だと思います。花のみでは美しさに気後れしてしまい、鬼のみでは絵物語の世界を抜け出せなかったかもしれません。二人の合作によって何か飛び越えた感じがします。
さて、タイトルは、「紅華と小鬼」ですが、この花はアネモネをイメージして描いたそうです[4] 。試しに花の種類を認識するスマホアプリ[5] をかざしたところ、アネモネと判定されました! アネモネは、中心にある多数の雄しべと黒紫色の柱頭に特徴があり、この作品でも的確に捉えられています。近づいて観察すると、柱頭の中心は青、その周辺を黒と塗り分けられ、離れて眺めると黒紫色に見えます。また、柱頭の金泥による縁どりと丁寧に描かれた雄しべが立体感を与えてくれます。花脈として金色の筋を入れているのが、実に効果的で美しい。花弁も金色で縁どりすることで、重なり合いが強調され、肉厚の花びらの瑞々しさが伝わってきます。花占いをするように、花弁を一枚掴んで取ってみたくなりませんか。実際にはありえない金色なのにリアリティが生まれるのが不思議ですね。
[4] アネモネの植物学上の構造としては、花弁に見えるのはがく片で、がく片に見えるのは葉になります。この鑑賞文では、一般的な見た目から花弁、がく片と表記しています。
[5] 千葉工業大学 人工知能花分類システム「ハナノナ」 https://flowers.stair.center/ja/
花も素晴らしいですが、茎を忘れてはいけません。この作品の良さを知るには茎を観察することが大切なのです。当然ながら植物の茎は緑色ですが、画面左の葉先や根元など赤い部分が多いことには直ぐに気が付くでしょう。近づいて観察しても緑というより青みがかったり、金色の筋や金粉が目立ちます。花に負けないくらい燦然と「鉱物的」な輝きを茎が放っているのです。よく見てください。金色で描かれたがく片もあります。植物学的なリアリティとは乖離しているのに、違和感を覚えるどころか、写実的にすら感じてしまう。それは我々が抱く花の心理的な美しさと合致しているからでしょう。記憶というのは写実的ではなく多分に印象的な要素を含んでいると思います。
つぶさに茎を眺めていると、なんだか子供の頃に道端に生えているエノコログサ[6] やカヤツリグサ [7]などの雑草を引っこ抜いたときの感覚が甦ってきました。雑草の茎は意外に硬く、抜けなかったり、手に傷ができたりと懐かしい記憶です。絵画を鑑賞して何を思うかは人それぞれですが、魅力的な作品は一人ひとりの感情に働きかける力があります。その力によって、もっと作品を眺めていたい気持ちに駆られ、鑑賞者のなかで物語が生まれるわけです。
もう少しこの紅華を考察してみましょう。小鬼の雰囲気と相まって、人格が宿っているように感じませんか。茎から伸びる二本の葉は、腕のように見えます。鬼の重みで揺れる体のバランスをとっているようです。アネモネはこのように葉を伸ばすことはないので、意図して描かれたものでしょう。画面右に伸びた葉は、少しだけ見切れることで、揺れが強調されます。先っぽが水色になっているのも一旦気づくと思いのほか目立ち、細長い画面に動きが生まれます。曲がった茎も良いですね。鬼の茎を掴む腕、足裏をつけて落ちないようにする姿と呼応するような茎の曲がり方です。アネモネは、がく片(正確には葉)が大ぶりなのですが、にょきにょき伸びて小鬼を捕まえそうな気がしてきました。
あらためて全体を眺めてみましょう。画面全体に小さな花びらのようなものが舞っています。これは丁子さんの作品でよく描かれており、作者にお伺いしたところ、時間を意識させるモチーフということでした。主には赤と白ですが、微妙に色彩を変化させています。また、画面上にある花びらは垂直で勢いを感じるのに対し、画面中央に舞う花びらはゆったり空気に乗っている雰囲気になっています。向きや形を変えることで、より時間を意識させてくれる仕掛けだと思います。余白の所々にある茶色いシミのような文様は古文書をイメージしているようです。単なる画面ではなく、古文書に封印された紅華と小鬼と解釈し、鑑賞者が物語を想像していくのも一興かと。
ところで、この作品は鬼の後に花を描いたそうです。おそらく皆さん逆に思ったことでしょう。鬼の隙間を縫うように花を描いた丁子さん、お疲れ様です。もちろん花が通ることを念頭に鬼を描いた平良さんの腕前にも感服です。また、丁子さんは普段は和紙を用いています。いつもと違う絹本に描くのは苦労されたと思いますが、上手く馴染んでいますね。また二人の合作をお目にする機会があると嬉しいです。(2021年7月3日)
[6] https://kids.yahoo.co.jp/zukan/plant/main_season/summer/0088.html
[7] https://kids.yahoo.co.jp/zukan/plant/main_season/summer/0093.html