タイトル:おとろしの神社守り
作家 :平良 志季
画廊 :靖雅堂夏目美術店
展示会 :アートフェア東京2019 Love×2 妖怪 SHOW! -THE SECOND- 日本妖シばなし
購入日 :2019年3月8日
サイズ :6
技法画材:日本画
妖怪好きなら「おとろし」の名前は聞いたことがあるでしょう。江戸時代の書籍や絵巻物で取り上げられていますが、鳥山石燕の「画図百鬼夜行 前篇風」に登場するものが有名です。川崎市民ミュージアムの版本詳細検索にて、画像を見ることができますので、おとろしを知らないという方は、まずこちらを検索してみてください[1] 。如何でしたでしょうか。子供が見たらトラウマになりそうな怖さがありますよね。他にも「化物尽絵巻」 [2]や「十界双六」 [3]にも登場します。ただ、コトバンクでは「日本の妖怪。そもそもは姿形のはっきりと伝えられている妖怪ではない」 [4]と述べられているように、巨大な頭部と長い髪を持つこと、胴体部分は不明というぼんやりした共通点はあるものの、人間に危害を加えるのか、どこに潜んでいるのかなど具体的なことはわかりません。名前も「おとろし」のほか、「おどろおどろ」、「毛一杯」と呼ばれることもあります。
[1] 川崎市民ミュージアム 版本詳細検索
[2] 国際日本文化研究センター 怪異・妖怪画像データベース
https://lapis.nichibun.ac.jp/ema/Detail?tid=12&sid=01&did=01
[3] 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1310585
[4] https://kotobank.jp/word/%E3%81%8A%E3%81%A8%E3%82%8D%E3%81%97-1695027
今回ご紹介する「おとろしの神社守り」は解説文が添付されていました。「おとろしは神社の門番のような妖怪です。鬼の首に異変を感じ取り現れたおとろしに、鬼の首をとった鐘馗さんが、『鬼ではない、やっつけたので首だけだ、お邪魔します』と挨拶しているところです。」という内容です。おとろしが鳥居に乗っかっているのは、「画図百鬼夜行」に由来するものでしょう。また、近年では、神社で不心得者や悪戯をする者を見つけると突然上から落ちてくる妖怪というイメージも強いようです[5] 。平良さんが描くおとろしも善良な人間をとって喰うような姿ではなく、知性を持ち、人間を審判するような門番という雰囲気ですね。江戸時代に描かれたおとろしに比べると、頭部は小ぶりで、髪が逆だったり、地面を覆ってしまうことはありません。目の焦点は鍾馗に合い、心の内を推し量っているように見えます。
[5]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%A8%E3%82%8D%E3%81%97
鍾馗は、古来より疫病や魔除けに効果があると崇められ、コロナ禍ではアマビエに次いで有名になった神様ではないでしょうか。中国は唐の時代、玄宗皇帝はマラリアにかかり床に臥していました。夢のなかで、小鬼に悪戯をされ苦しめられていると、どこからともなく大鬼が現れ、小鬼を退治したので、皇帝が名を尋ねると鍾馗と名乗りました。自分は科挙を落第させられ、憂き目を見たが、高祖帝(唐の初代皇帝)に手厚く葬られたので、その恩を返しに来たというのです。驚いた玄宗皇帝が夢から覚めると、病は治っていたという逸話です。鍾馗は破魔の剣を持つことが多く、十二神将のような迫力があります。髭を蓄え、中国風の被り物をしていることから、閻魔様と間違われることもあるようです。日本には平安時代に伝わったらしく、端午の節句で絵や人形が飾られることもあります。中国の道教系の神様である鍾馗と日本古来の妖怪であるおとろしの組み合わせは珍しいと思いますが、どちらもメジャーなキャラクターですので、おとろしは、あっさりと鍾馗に鳥居をくぐらせるのか、今後の展開がどうなるのか想像が膨らむ場面ですね。
おまけシール
それでは「おとろしの神社守り」の絵画としてのポイントを探っていきましょう。特筆すべきは物語性を高める画面構成です。妖怪図鑑の類では、おとろしは一般的に大きく描かれます。「画図百鬼夜行」のように体の一部が見切れることで、異様な姿の全貌をとらえさせず、恐ろしさを高める手段も多用されます。また、見上げるアングルにすれば、おとろしが落ちてくる生態?を活かすことができます。しかし、おとろしに力点を置きすぎると鍾馗の存在が薄まってしまいます。この作品の見所は、おとろしと鍾馗の対峙にあることを忘れてはいけません。
真横から二人を眺めるのはどうでしょうか。それではお芝居を鑑賞しているようで、動きにかけた退屈な場面になってしまいます。鑑賞者が鍾馗と同じ目線になってしまうと、鍾馗がちょっと強い武士くらいに見られかねません。また、おとろしを横から描くと、特徴のある大きな目や牙が隠れてしまうので、できるだけ正面を向かせたい。そこで、この作品では大胆にも鑑賞者の視点をおとろしより高い位置に上げ、二人を見下ろす構図に仕立てています。鑑賞者は木の上から二人の行く末を見守る感じになります。さらに、鬼の首を掲げる鍾馗の天を仰ぐような姿勢が誇張されます。堂々した鍾馗のポーズは、上から見下ろす構図を逆手にとった上手い描き方だと感心しました。おとろしと鍾馗が画面左に寄っているのもポイントです。絵巻物を手繰るような感覚になりませんか。この後はどうなるのか、鑑賞者は考えずにはいられません。いわば物語性を重視した構図と言えるでしょう。
額裏のサイン
全体像としては、石畳の効果も見逃せません。手前は薄くやや大きめに、鳥居を抜けて奥に行くと濃い目にはっきりと描かれています。しかも石畳だけをみると真上から見ているような感じがします。鑑賞者のおとろしと鍾馗を見る角度と石畳を見る角度を比較したときに、写真に撮った場合と齟齬が生じているように思えます。石畳をなくして、砂利が敷き詰められているような道にした場合を想像してみましょう。淡い墨の道をでも構いません。ちょっと物足りない気がしませんか。鳥居は結界を守る門であり、この作品では鳥居と平行して赤い柵が描かれています。おとろしの奥と手前では世界が違うわけですね。石畳によって道の存在を強調することで、その結界を通過しようとする鍾馗の意味合いが深まるわけです。石畳はデザインとしても面白みがあり、作品のアクセントになっています。墨の濃淡を上手く利用して描かれていますね。
個々のモチーフを観察してきましょう。まずは神社の門番たるおとろし。初期のゲゲゲの鬼太郎に出てくるような強烈なおぞましさはありませんが、じっと眺めていると泣く子も黙る不気味さを漂わせています。おとろしの特徴である大きな目は赤く縁どられ、鋭い牙が剥いています。緑色の顔が異形なるもの示し、鳥居を掴む爪にも迫力がありますね。おとろしは顔のインパクトが強すぎるので気付きにくいのですが、立派な爪を持っており、「画図百鬼夜行」では鳥を握り締めています。また、乱れた長い髪を白で描くことで宵の中で怖さを引き立たせています。おとろしは何らかの布を纏っているようですが、太めに力強く描かれており、鍾馗の服と比べれば筆致の違いは一目瞭然でしょう。微妙に鳥居の左手に裾が流れているのに気が付きました。完全に画中に収めるのではなく、少しでも見切れることで、その姿について解釈の余地を残すことが重要なのかもしれません。
おとろしの背後にある満月も目を引きます。月を描くことで、夜の出来事と示すだけでなく、満月とすることで淡い明かりに照らされていることがわかります。みなさん昼間とは思わないでしょうが、夜だからといって画面を暗くするとどんよりとした絵になってしまいます。また、画面構成のバランスとしては、右側に満月を持ってくることも考えられたでしょう。鑑賞者の視線を散らす効果もあります。しかし、窮屈になっても、おとろしの背後にあえて満月を描いたのは、おとろしの存在感を高めるためではないでしょうか。満月は妖力を増幅させる不可思議な力を持っていますので、おとろしと満月を密接させることで、容易に鳥居は通さないぞ、という凄味が出てくるわけです。
続いては、おとろしになんぞに驚かんと言わんばかりの鍾馗に注目しましょう。鬼の首を掲げる姿勢に気迫が漲っています。描きにくいポーズと思いますが、それだけに躍動感があり、この作品の見所ですね。剣の代わりに鬼の首を持ち、角のような襞がついた帽子、尖った靴に立派な髭など鍾馗の特徴を捉えています。また、天衣で動きを補完するのは平良さんの得意技です。この作品では、鍾馗の右足と沿って天衣が舞うことで、勢いが増しています。どんと構えるおとろしとの対比も光りますね。
平良さんの作品はユーモラスな雰囲気が特徴です。この作品では、鍾馗に引っ張られる怯えた馬がその役目を果たしています。仔犬のように怯えていますが、鍾馗に守られているためか、可哀想というより少し笑える存在になっています。へっぴり腰で、後ろ足は完全に引き気味です。一見するとさらりと描いているように見えますが、馬の首やおしりの濃淡はさじ加減が難しかったでしょう。蹄や尻尾まで丁寧に描かれているのも見逃せません。馬の鞍に描かれている家紋は五三桐です。もともと桐紋は皇族や将軍家などが用いていいましたが、時代が下るにつれて庶民でも用いるようになりました。中国において、桐は鳳凰を連想させる縁起の良い植物とされるため、鍾馗の乗る馬として五三桐は相応しいと言えるでしょう。
展覧会図録
鳥居は形や色彩においてこの作品の要になっているのは言うまでもありません。今回、注目したいのは背景に連なる山々です。参道から鳥居に向かって歩く場面を想像してください。周囲は竹やぶや雑木林が思い浮かびませんか。神社を描く場合、遠景に山々を配置するのは珍しいように思います。平良さんは、画中の見晴らしを良くするが好みなのかもしれません。当サイトで紹介している「壱目様と吸血鬼」 でも遠景は蕭々八景を思わせる景色になっています。竹やぶや雑木林を描くことで、画面が暗い印象になるのを避けたとも考えられます。開放感のある遠景にすることで、結果的に飾りやすい絵になっていると思います。そして、この作品をじっくり鑑賞していると気が付きました。山の稜線に沿って鳥、おそらくはカラスが描かれていたのです。しかも10羽くらい。おそらく画廊で眺めるだけでは発見できなかったでしょう。芸の細やかさに感心しました。
右側の樹木は、署名と落款に相まって鑑賞者の視線を画中に引き戻す効果があります。もし右側が空白であれば、左側に重心が偏り、間が抜けた印象になってしまうでしょう。また、樹木が大きすぎると、せっかくの遠景の山々が見渡しにくくなります。所々に赤い実をつけているのもアクセントになります。
最後に、鍾馗は病魔や悪霊を対峙する神様ですので、今後の平良さんにもしばしば描かれると思います。一方、おとろしの容貌は本当に不気味で怖いですよね。ゆえに、おとろしが描かれるのは稀ではないでしょうか。おとろしは貴重なレアキャラだと思います。妖怪好きなら是非とも手にしたい秀作です。(2021年8月17日)