タイトル:龍と一息
作家 :平良 志季
画廊 :靖雅堂夏目美術店
展示会 :平良志季 龍づくし
場所 :西武池袋本店
購入日 :2023年11月19日
サイズ :6号
技法画材:日本画
海北友松、狩野探幽、曽我蕭白、円山応挙、そして葛飾北斎と名だたる画家はみな竜を描いてきました。近代に入っても橋本雅邦《龍虎図》のように竜の人気は衰えることがありません。現代のアーティストも竜を描いています。今回紹介する平良志季さん《龍と一息》も竜が主人公です。でも、随分と可愛らしい竜ですね。人間たちには到底及ばない力や威厳というものは感じられません。むしろ、仔犬のように隣の女性に甘えているように見えます。この可愛らしさはどこから感じられるのでしょうか。
もちろん竜が小さいことも理由の一つですが、それを推し進めると重要なことに気づきました。竜を描く場合、通常は体全体を描くことはしません。ボストン美術館が所蔵する曾我蕭白の《雲竜図》は顔の大きさに圧倒されます。姿全体が見えないことが竜の強さを示していると言って良いでしょう。また、伊藤若冲の奇抜な表情をした竜は掛軸の特徴を活かして、体が画面から出たり入ったりしています。竜が定番のモチーフであり続けるのは、細長い体にヒントがあります。画面から体を消すことで、計り知れない大きさを感じさせることができるのです。さらに、うねうねとした体は鑑賞者の視線を誘導させる効果があります。しかも蛇と違って空も飛べる! 竜は画面のどこにでも自由自在に配置できる画家にとっては嬉しい存在なのです。
個展風景①
それに対して《龍と一息》では、全体が画面下におさまっています。竜の体の特徴である「うねり」も小さく、鑑賞者が竜の体を画面の外に追っていくこともありません。瞬時に竜の姿を捉えることができます。可愛さの秘密は、顔の向きにもあります。竜虎図のように竜は何かを見下ろす構図が多いです。威嚇する効果は抜群。この作品のように真上を見上げる竜は見たことがありません。この竜は飼い主に何か訴えかけているようです。足にも注目してみましょう。地面をバタバタしている感じがありますね。ペタペタ歩いて飼い主のところにやってきたイメージです。敵を叩きつけたり、捕らえたりする武器のような雰囲気は微塵もありません。また、竜は爪の数で位を表すことも有名です。皇帝は5本、王族は4本、その他は3本というものです。ただし、日本ではこのような明確な決まりはなく、時代によって爪の数は違うようです。この竜は3本指と思われますが、死角になっているのか爪は1~2本しか見えません。これも可愛さの秘密でしょう。
竜の姿は、角は鹿、頭は駱駝、目は鬼、項は蛇、腹は蜃、鱗は魚、爪は鷹、掌は虎、耳は牛からなる「九似」という言い伝えがあります。ここでふと疑問に思ったのは背中です。尖った鱗のようにも、ニワトリの鶏冠のようにも見える部分は含まれていません。羽扇のような尻尾も謎です。昔の絵画を見ると、例えば葛飾北斎の東町祭屋台《龍図》の尻尾は、蛇のように萎んでいます。《龍と一息》の竜を観察してみましょう。もし尻尾が蛇のように終わっていれば、物足りない気がしませんか。羽扇の尻尾がぴょんと上がっているのは、頭の動きと連動して愛くるしい感じがします。仔犬が尻尾をふっているようです。また、赤い背中のラインは鮮やかに体の動きを補完してくれます。竜の背中に色彩を施す場合、赤又は黄色が多いようですが、黄色では畳の色に近いので、遠目から見ると存在感が失われかねません。赤と青緑は補色の関係にもあります。体は薄い緑色、鱗は濃い緑ですが、顔や足の要所々々には朱が用いられ、血色のような温かさがあります。平良志季さんの他の作品の竜と比べると、やや血色が強いのも子供らしさを感じる原因かもしれません。
個展風景②
次は竜を操る女性。便宜上ここでは「竜使いの君」と名付けましょう。竜と遊んでいるので普通の人間ではないことは分かりますが、赤い瞳が印象深く、特殊な能力を秘めていることを示唆しています。竜使いの君は、具体的な物語に登場する人物ではなく、平良志季さんが想像する世界のキャラクターと思われます。面長ですらしとした鼻、小さな口は江戸時代の美人画を見るよう。髪は背中を通って、畳の上にまで伸びています。髪は背中に隠れていますが、竜の体のように曲線を描いていることに気づきました。髪の流れと竜を結び付けると、川の流れのように心地の良いリズムになります。頬に近い部分の姫カット、すなわち鬢削ぎは平安時代にまで遡ります。ただし、平安時代の高貴な女性はこのような髪飾りはしません。竜使いの君は遊女の真似事をしているのでしょうか。艶やかな雰囲気を纏って楽しんでいるようにも見えます。さらに、注意深く観察すると、うなじに近い髪は青味が混じっていることがわかりました。女性の黒く艶のある髪を「緑の黒髪」と言うことがあります。単純な黒ではない、生き生きとした美しさの現われでしょう。さすがは竜使いの君、特殊能力だけではなく、美しさも貴族に負けていません。表情も魅力たっぷり。小さな笑い声が聞こえてくるようです。左手の仕草は優雅ですね。長い小指の爪も似合っています。竜を手懐ける妖艶さを兼ね備えています。
衣装で注目すべきは、赤の濃淡による美しさ。とても華やかで気分が上がります。折り紙が重なるような文様も面白いです。金泥による模様も珍しい。洛中洛外図図屛風などに見られる雲のようにも見えます。竜と雲は相性が良く、偶然かもしれませんが、竜が雲を登るようにも感じられます。おそらく実際にこのような着物をしつらえても違和感があるでしょう。十二単のような絢爛さでありながら、軽やかさも兼ね備えています。色彩は絵画としての直感を意識しているように思いました。ポイントは青。着物は赤が主体であるため、髪留めの青が際立ちます。浮世絵でも青の髪留めは少ないように思います。そもそもリボンのような布地で髪を整えるスタイルがあまり見当たりません。袖口の青へと弓なりに繋がっていくことで、衣装の輪郭が明瞭になり、引き締まった印象を与えてくれます。また、裾は紺色、紫色、黒を配置することで、安定感が生まれます。
個展風景③
竜と一服する場面を描こう、とはなかなか思い浮かぶものではありません。これは平良志季さんのユニークさに由来すると思いますが、アイデアはあっても描くのは難しいと感じました。と言うのは、和室であろうと中国式であろうと普通の部屋にお茶を飲む姿を描いても、どこか違和感が生じてしまうからです。架空の生き物である竜の魅力を損なわずに日常の生活を織り込む、すなわち異界と現世を行き来するような空間を作り出すことが求められるわけです。この作品でカギを握るのは香炉から舞い上がる煙です。画面の右から天井にかけては、ぼんやりとして明瞭には描かれていません。鑑賞者は異界を垣間見るような心地になります。水晶に映る景色を眺めているように感じる人もいるでしょう。私は水やお酒が溜められた壺に映る景色を覗いているような気分がしました。左下に描かれている封じられた壺はそれを暗示していると考えるのも楽しいですね。弧を描くようにぼんやりとした空間が広がるのもポイント。丸みを帯びることで、画面に柔らかさが生まれます。現世と異界は物理的な遠近感はありません。この精神的な遠近感を如何に表現するか、香炉の煙から広がる淡い隔たりは、鑑賞者を心地よく異界に誘ってくれます。
床の間に飾られた掛軸にも注目。朱色の表装は一風変わっていますが、竜使いの君の着物と対をなしていると思いました。表装の薄い朱色は、鮮やかな赤い着物を引き立ててくれます。掛軸に描かれているのは山水画でしょうか。もしかすると竜はこの山水画を棲み処にしているのかもしれません。実は竜もこの山水画に描かれているのですが、竜使いの君はそれを召喚することができるという設定です。想像が広がりますね。もちろん掛軸を薄くぼやかすことで、部屋を窮屈に感じさせないという絵画としての構成も考慮されているでしょう。詳細に掛軸の絵を描いてしまうと、うるさい作品になりかねません。主人公と余白を繋ぐのが掛軸の役割です。なお、掛軸の軸先にぶら下がっているのは風鎮と呼ばれるものです。その名前のとおり風で揺らぐのを防ぐためとされますが、イヤリングのような飾りと考えるべきでしょう。むしろ風鎮は揺らいでいるように見えるのが心地よいのだと思います。天秤のようにバランスをとるものに何故か人は惹かれてしまうのです。
個展風景④
円窓から見える景色も見逃せません。遠くには山の稜線、近くには春の訪れを感じさせるように花が咲き始めています。掛軸と同じように淡い景色のため、鑑賞者は何が描かれているのだろうかと近寄って観察することになります。よく見ると部屋の壁にも白い草花の模様が描かれていることに気づきました。古い日本家屋でもこのような装飾は覚えがないので、作者の遊び心かもしれません。外の景色をイメージさせる効果もあります。円窓は絵画において、とても便利な存在と言って良いでしょう。普遍的な魅力を持つ円という形を自然に取り込むことができるからです。アクセントにも最適。四角い窓に置き換えた場合を想像すると、やや味気ないですね。鑑賞者の視線は、竜の体から竜使いの君、そして背景にある掛軸、円窓の風景と自然に回遊していきます。この仔竜、足をパタパタさせています。もしかすると外で遊びたいのかもしれません。竜使いの君は、お茶を一服するまで待ちなさいと仔竜をあやしているようにも見えてきました。仔竜のお願いは叶うのでしょうか。(2024年1月23日)