各地の風土に生まれた叡智は、どのように受け継がれているのでしょうか。身体を「メディア」として捉えることで、私たちは遺伝的・文化的・感情的なさまざまな要素を、お互いに継承し合っていることに気づきます。こうした、身体を通じて受け継がれていく叡智やその現象を含めて、私たちは「身体知」=「からだがあることで成り立つ知」と呼んでいます。
つまり、「身体知」とは、「いのち」が私たちの身体を通じて世界と出会い、常に生まれ変わっていくプロセスと言えます。
これからの時代、インターネットやAI技術の利用が当然のように広がるなか、AIの「平均的」な出力に惑わされることなく、私たち一人ひとりの「異なるからだ」から生まれる固有の身体知を認識することがますます重要になります。
COVID-19以降、孤独感や対人コミュニケーション不安が顕在化し、メンタルヘルスケアの需要は高まる一方です。その背景には、社会の加速化があります。推薦アルゴリズムや生成AIが高度化するなかで、私たちは時間と空間の効率ばかりを求め、意識を外側に向け続けてしまいがちです。
かつて日本には、俳句のように「自分を取り巻く世界との相互作用」を内省する文化がありました。しかし現代では、技術革新に伴う時間の加速や効率化によって、自分自身を"ぼーっと"考える機会が激減しています。
「近い将来、アルゴリズムは…私たちが何者で、自分自身について何を知るべきかを決めることになるかもしれない。…この機会を活用したければ、今すぐそうするしかないのだ」(ユヴァル・ノア・ハラリ『21 Lessons』より引用)
この「からだ」と「他者」を結ぶ鍵の一つが、からだを通じたアート表現です。評価から自由なアートの世界で、内なる身体感覚のままに自分を表現することは、社会が求める「何者か」であろうとするプレッシャーから私たちを解き放ち、「その人そのもの」としての自己を体現する道を開きます。
評価社会からの解放 スポーツやアートという言葉から何を連想するでしょうか。幼いころには誰もが、身体を動かす喜びや自由な表現を思う存分楽しんでいたはず。しかし成長するにつれて、評価によって善し悪しが決まる能力主義の影響で、多くの人が表現をためらうようになります。
人と関わり、体を動かし、こころから楽しむことで生きる喜びを再確認する——スポーツやアートには、古代から続くそうした「いのちを豊かにする知恵」が息づいています。
静かに目を閉じて自身のからだやこころを観察すると、無数の身体感覚が生まれては消え、生まれては消える様子に気づきます。意識は無意識を含めて眠っている間も働き続けており、それは「わたし」の所有物というよりは「いのち」そのものの営みであると理解できます。
仏教的に言う「無常・無我」を体感するこの気づきが深まると、身体は「うつわ」として他のいのちと密接につながっているのだと改めて思い出します。そして、自然に他者への思いやりや慈しみの心が育まれていきます。
仏教には、聞・思・修という三つの段階で知恵を深める考え方があります。本研究室では、文献を読んで得る知識(聞)や論理的に理解する知恵(思)だけでなく、実践を通じて体感的に得られる知恵(修)を重視し、自らの身体を使って探究を深めることを推奨しています。
たとえば、「海で泳げるようになりたい」と望むとき、泳ぎ方の教科書を読んだり、水泳選手の解析データを見たりするだけでは、真に泳げるようにはなりません。実際に水に入り、何度も試行錯誤しながら身体で覚えていく過程こそが不可欠だからです。
その継続的な実践のなかで、身体感覚やそれを捉える視点が少しずつ変容し、ある瞬間に「ここだ!」という感覚が先に立ち上がってくる瞬間に出会います。これは理論だけでは決して得ることのできない、身体が先行する直観的な気づきです。
こうした「体験した者だけが得られる現象」を研究対象にする場合、客観的・三人称的な観察だけでは不十分です。脳波や生体信号を分析しても、言葉にしづらい感覚まで捉えられるとは限りません。熟達者のインタビューなどで言語化してもらうことも一つの方法ですが、言葉では伝えきれない「身体感覚」は必ず残ります。だからこそ、研究者自身が実践者となって主観的・一人称的な観察を行うフェーズが必要なのです。
身体知は「一期一会の連続のなかで、一人ひとりが異なる身体をもち、各自の内側の感覚を通して立ち上がる現象」であり、再現性・普遍性・客観性を重視する従来の科学的アプローチだけでは捉えきれない部分が多くあります。
採用する研究手法:
一人称研究
アートベース・リサーチ
オートエスノグラフィー
当事者研究
アクションリサーチ
これらの手法は、「身体性」「グラウンドレス」「リフレキシヴィティ」「構成的デザイン」「観想的アプローチ」など、それぞれ異なる強みや文脈をもっています。
こうした背景・問題意識のもと、からだを通じたアート表現による意識変容の現象を、自分自身が実践者として探究し、研究論文だけでなく、ナラティブやアート作品、型、ボディワーク、教育プログラムの開発や場づくりなど多面的な活動を通じて社会へ還元していきます。
私たちは、一人ひとりが「その人そのもの」になるための可能性を切り拓くと同時に、現代社会が見過ごしがちな「身体レベルでのつながり」を再発見する場を提供していきたいと考えています。
自分自身の価値基準が何であるのか、あるいは自分がどう在りたいかを見極めるためには、他者との相互依存性や共通する人間性への気づきが大きな手がかりとなります。
そして、テクノロジーの進歩が人間の存在感を脅かすのではなく、むしろ私たちの身体知をより深く理解し、豊かにする道具として活用される——そんな未来の創造に貢献していきたいと考えています。