父親の存在って……

子供たちはどんなに障害が重くても、その子を取り巻く大人たちの暖かい思いと適切な援助によって、その子なりに成長・発達していきます。この発達保障(障害を理解し支え続ける)の原動力は家庭にあるように思えるのです。つまり「真の療育者は両親である」ということばがありますが、まさにその通りのような気がします。

世間で専門家・支援者といわれる方々は、「単なる側面的な援助者にすぎない」ということば通りだと思います。ここでは療育の片翼を支える「父親の存在」について考察します。

父親の役割

 障害児をもった家族には、何回もの危機が直面していす。それらの危機に、直接的に向かい合うのは母親であることが多いのですが、それらの危機を乗り越えるためには、父親の理解、協力がどうしても必要です。

 最初に訪れる一番目の危機は、自分の子供が、何らかの障害児であるとわかった時です。その時の家族(特に母親)の精神的ショックは想像を絶するものがあります。とても子育てを楽しむどころではないのです。己れを責めたり、運命をのろったり、周囲に気を遣い、先を案じて子供に手をかけてしまうことさえあります。

 現実に手を下さなくても、心の中にわが子殺しを描かなかった母親は皆無といえます。しかし、この時期における父親の大多数は、母親の苦悩に気が付いていないことが多い(重症児や染色体異常児を除けば)のです。

 もし、父親がこの時期に母親の苦悩に気づき、母と子をおおらかに包みこめること、感情的な反応に溺れないように支えてやれること、現実から逃避しないことなどの態度を取ることができたなら、母親の精神的ストレスは軽減でき、良好な母子相互作用が確保でき、子供の成長・発達によい影響を与えられます。そうすれば、第一の危機をうまく乗り越えることができます。

 第二の危機は、第一の危機を乗り越えて、障害をもった子供をわが子として、しっかり育てていこうという決意をして、育てはじめた頃に襲ってきます。もともと「弱い存在」として生まれてきた子供ですから、元気な子供のような、両親が期待する反応が得られないために、どのように育てていいのか、わからないで悩み苦しむ期間が長く続くのです。

 特に、核家族化が進んだ現代においては、母親にかかる負担はたいへんなものです。一方、父親も職場での役割が日増しに増える年齢層になってきており、定時に帰宅できる環境ではなくなってきます。こんな状況下で、「子育てはお前にまかす」といった放棄的な態度をとる父親が多く、母親が子育てに苦しんでいても、無関心を装うことが多くなります。しかし、父親が自分の子供のことをまったく心配していないわけではないのです。心の中では、とても心配しているものなのです。

 具体的に、どのように関わっていいのかわからないで、手を出せないもどかしさのなかで、悶々としているというのが真実です。

 こんな時に、専門家からいろいろな指導・助言を受けている母親が、父親に具体的な関わり方についての手本を示し、子供といっしょに遊んでみる機会を作ること、その積み重ねで、父親の不安はかなり解消されますし、わが子を可愛いと思えるようになるものです。

 この時、母親が父親に言ってはいけない言葉があります。「へたくそね」とか、「~ちゃんは、さっぱり喜んでくれない」などは、絶対に父親に言ってはいけません。

 最初はだれでもうまく関われないのだと思っていただき、父親の子供への関わりについて「おとうさん、じょうずね」、「~ちゃんが、こんなにうれしそうにする、はじめてよ」などと大げさに誉めてあげることで、父親の子育てへの参加がとてもスムーズになるのです。

 このような機会が何回か起これば、障害をもった子供に対する理解も深まり、母親の大変も少しずつ解ってくるようになっていきます。ここまでくると、第二の危機も乗り越えられるようになってきます。そして母親ほど直接的に子育てには参加できなくても、父親が母親の一番のよき理解者になっていきます。その後にも、次から次へと危機が襲ってきますが、第一、二の危機を乗り越えられた夫婦であれば、充分に危機を乗り越えていけます。

 障害児療育における父親の役割は、たいへん重要なものがあります。父親の最大の役割は子育てに前向きに取り組む母親になってもらうよう、経済的・物理的・心理的な諸条件を整えること優先されます。障害をもった子供が、順調に成長・発達するかを左右するのは父親しだいといっても過言ではありません。


トライアングル方式の援助を

 専門機関(通所システムの療育機関を含む)、家庭、学校が有機的に緊密な連携をとってはじめて、障害児の発達保障が可能になります。この3つの場が、有機的に緊密に連携することを障害児療育の「トライアングル方式」といいます。この3つの場が、同じような役割を果たしても意味がないのです。この3つの場は、明らかに違う役割を果たしていく必要があります。

 専門機関は、その子の問題点を明確に整理し、今その子が身につけなければならないことを個別的に、系統的に援助していく立場にあります。日常生活習慣、言語・認知などの発達課題の質的発達(たての発達 新しい課題を身につけさせる)を促す場です。これらの発達課題が50~60%以上通過できるように援助しています。1つの課題ができれば、次の課題へと移っていきます。しかし、専門機関で行なわれる対応は、実生活からかけ離れた非現実の空間で行なわれるものです。だから、専門機関で身につけはじめた課題を、実生活の場である家庭で確実なものにしていかなければなりません。

 家庭は専門機関で身につけたものを確実に使えるようにする場です。つまり、量的発達(よこの発達 獲得した課題を確実にする)を促す場です。最近、障害があるとすぐに「集団に入れなさい」と助言されることで、親たちも「集団に入れれば大きく変化する」というよう安易な期待をもっていますが、日本の教育機関の現実は、そんなに甘いものではありません。

近未来に、日本の障害児福祉の考え方が大きく変われば、集団の場にも質的発達を促す場として期待できるようになるかも知れません。しかし、現状は学校はあくまでも集団の場が確保できる程度として、考えておかなければなりません。もちろん、一生懸命、障害児のことを考えてくれる教育機関が増えてきていることも事実です。しかし、親たちの期待度と現実には、まだまだギャップがあることを知っておく必要があります。だから、障害児療育における家庭の役割は、非常に大きいものがあります。専門機関で50~60%身につけた発達課題を、家庭では80~90%に引き上げていく役割があります。そのためにも父親の役割は非常に重大かつ重要なのです・。

 教育機関は、専門機関や家庭で身につけた能力を発揮させる場です。乳児期は少数の人々と緊密な関係をもつことで成長・発達していきますが、多くの友だちとの関わり合い、関係の多様化するなかで子供は伸びていきます。だから障害があっても、集団の場は確保してあげる必要性があります。そのためにも、家庭で発達課題を80~90%身につければ、集団の場でも、その能力を充分に発揮でき、集団の場が子供たちの成長・発達により有効に作用するようになります。

この3つの場が相互に影響しあえる状況が確保できた子供の場合、障害の程度が重くても、その子の成長・発達には目をみはるものがあります。反対に、この3つの場の相互関係が、得られない状況の子供の場合、障害の程度は軽くても、子供の成長・発達には大きな変化がみられないことがしばしばあります。


量的発達(よこの発達)を促す場

 家庭は一種のオアシスであり、リラックスもできる場です。ましてや、母親は子供たち(障害のあるなしに関係なく)にとって、安全度の高い安全基地的存在(基本的信頼感)でなければなりません。安定した家庭における母子相互作用は、成長・発達の原動力となっています。その家庭が、最も緊張する場であり、ストレスの場であってはいけません。母親が、鬼的存在になってしまってはいけないのです。母親が、強制的で猛進的な専門家になってはいけないのです。専門家の代わりは何人もいますが、母親の代理はだれにもできないのです。

 しかし現実に、母親が障害児療育に熱心であればあるほど、冷静で、客観的な判断に欠けた専門家に変身してしまう傾向が多々あります。そのような母親は、質的発達を促すことに捉われてしまい、本来の家庭で、促すべき量的発達に関心を示さなくなる傾向がみられます。そして、障害児の療育の一環として、家庭が質的発達(たての発達)を促す場になった時、障害児にとって、家庭は大きな苦痛の場に変身してしまうのです。

 子供にとっての家庭は「お母さんと一緒にいたい、パパ・ママと一緒に遊びたい」という気持ちをかきたてる場でなければなりません。つまり、家庭は質的発達を促す場ではなく、量的発達を促す場であってほしいのです。


レディメイドの対応よりもオーダーメイドの対応を

 最近のマス・メディアの発達によって、また障害児を抱える親たちの意識レベルが高くなったことがあいまって、障害児をもつ親たちの、障害児に関係する専門的知識、非常に高くなってきています。下手をすれば、専門家といわれる人たちよりも、専門的知識は豊富であることがあります。そのこと自体は、たいへん喜ばしいことですが、それらの専門的知識が適切に障害児への対応に用いられるなら、何も問題はありません。けれどもある一部だけを極端に肥大化し、過大評価してしまったり、反対に過小評価したりする傾向があります。

 日本の障害児療育の問題は、第一義的に、ある欧米の方法論(感覚統合訓練法、ティーチプログラムなど)があって、その方法論に子供合わせようとする傾向があることです。

例えば自閉症児といっても、高発達を示す子から、非常に重い自閉症までさまざまです。また同じ程度の重症度でも、その子単位で症状は千差万別です。それなのに、1つの方法論に子供を当てはめてしまう傾向があります。専門家が、その方法論の理論的背景を充分に理解し、消化し、子供たちに適用することは許されますが、親たちが、その方法論のプログラムだけを取り入れて、子供たちに強要することはたいへん危険です。

 親たちは既存の方法論をただ単に取り入れていくレディメイド的な対応ではなく、個々の子供の症状・状態に合わせた、オーダーメイド的な対応をしていかなければなりません。特に、家庭とは、量的発達を促す場ですから、担当の専門家と自分の子供のことについて充分に話し合う機会を常にもち、具体的に、どのように関わっていけばいいのかについて、指導・助言をもらわなければなりません。


横(親同志)のつながりを大切に

 専門機関(外来システム)に通っている親たちにとっては、時間指定で訓練・指導を受けるために、同じ障害をもった親たちに出会い、ゆっくり子供のことで話し合う機会はほとんどありません。そのために、母親たちは、「どうして、うちの子はしゃべれないのだろう?」、「どうして、自分たちの家庭だけ、こんなに不幸なの?」、「こんなに重い子供は、他にいないだろう」などと自分1人で悩んでいることが多いのです。

 ある時、同じような悩みをもった親たちと知り合いになり、お互いの子供のことを話し合えるようになり、自分だけでなく他にも同じような境遇にある人たちがたくさんいることがわかり、その親たちが、とても生き生きと生活していることを知り、悶々と悩んでいたことが、嘘のように晴れ渡ったと、回想してくれる人もいました。

 母親と専門家という縦の関係での、障害をもった子供の障害受容は、ある程度可能であり、信頼関係も時間の経過とともに深くなっていきます。その結果、子供たちの成長・発達に良い影響を与えることができます。

 そのもう一方で、親同志の横の関係による仲間づくりが、母親の精神状態を安定させ、見通しをもった、子供への関わりへと変化させていきます。そのことが、さらに子供たちの成長・発達に良い影響を与えることができるようになります。


困った時に助けてもらえる人と場所を作っておくこと

 母親が悶々と日々、悩むということは一種の限界にきていると考えられます。1人で悩まないで、信頼できる人に相談してみると、意外と簡単に問題解決できることがしばしばあります。「どうしたこんなことで悩んでいたのだろう」と思うことがよくあります。ただし、障害児への関わりについては、だれかれに相談するわけにはいきません。子供たちの成長・発達のそれぞれの過程で、子供たちを担ってくれる専門家に、いつ何時でも相談にのってもらえる人と場所を常に確保しておく必要があります。また父親は最も身近な相談役であるべき存在です。子育ての重責を負う母親としての悩みと苦しみを打ち明け、共有してもらうことで、肩の荷を少しは軽減できるはずです。

両親が悩み、苦しんでいたのでは、子供たちは伸びることができません。両親が安全度の高い安全基地にならないといけません。そのためには、助けてもらえる人と場所を、確実に作っておくことです。


プラス思考を

 「うちの子供はこんなこともまだできない」とか、「そんなことやらせたって、どうせできっこない」などいうことばを、親たちが口にしているのをよく耳にします。とかく、障害児をもった親たちは、子供たちの動きを、マイナスにみてしまう傾向が強いようです。

たしかに、大きなマイルストーン(発達指標)で、障害をもった子供たちをみると、できないことがとても多いのも事実です。しかし、小さなマイルストーン(発達指標)で、子供たちの動きをみてみると、確実に変化しているし、成長・発達しています。

 「できないから、叱る、諦める」というマイナス思考から、「できないから、工夫する、誉める」というプラス思考に、発想の転換をしていく必要があります。実際、このような発想の転換をして関わっていくと、「できること」の多いことに驚かされるものです。その結果、「叱ること」が減り、「誉めること」が多くなるという、良循環的な関わりに変化していくものなのです。やはり、人間は「叱られる」より「誉められる」ほうが、やる気が起こります。特に、障害児療育においては、「7 誉めて、3 叱れ」といわれていますが、現実の生活場面では「3 誉められ、7 叱られる」というのが現実のようです。これでは、障害児の成長・発達は望めません。「誉める」ためには、その子を取り巻く大人たちが、常にプラス思考をしていないと、誉められるものではありません。とにかく、マイナス思考をやめて、プラス思考を日々の生活のなかに取り入れていきましょう。


おわりに

 障害児と関わりをもつ大人たち(親たちを含む)がやらなければならないことは、その子がもっている能力を最大限に引き出すことです(能力の顕在化)。そのための一番重要な役割をもっているのが家庭です。安全度の高い安全基地としての役割を、家庭が担わなければなりません。家庭がオアシスであり、安らぎの場であれば、障害児の成長・発達を充分に促すことができると確信しています。

そして、障害児療育において、家庭という土台がしっかりしてこそ、専門機関および教育機関との緊密な連携が取れ始め、障害児の成長・発達を促すことができるといっても過言ではないと思います。土台をガッシリと支え続けるお父さん! であってください。