私たちと思いをきょうゆうしませんか?
きょうゆうプロジェクトは、「医療現場にもっと音楽を、もっとあたたかな医療を」という思いを"きょうゆう"していくプロジェクトです。
私たちが、なぜこの思いをみなさんと共有したいのか、ぜひお読みください。
2020年新型コロナ感染症の流行で、私たちは先の見えない不安や普段と違う生活を強いられるストレスにさらされました。当時の生活を思い起こすと、イベントは軒並み中止、長引く外出自粛、これらに閉塞感を抱き、不安な毎日を過ごしていました。みなさんはいかがだったでしょうか?
こうした生活は私たちにどのような影響をおよぼしたのでしょうか。
特定非営利活動法人 あなたのいばしょが行った、約3000人を対象とした全国調査(1) によれば、4割近くの人が孤独感を抱えていました。また、孤独を感じている人は、そうでない人に比べ、うつ状態あるいは不安障害を抱える傾向が約5倍程度であったと報告しています。
また、実際にうつ病の増加を報告する調査もあります。OECDの報告(2) によれば、コロナ禍によってメンタルヘルス疾患の有病率が著しく増加しています。不安やうつ病は世界各国で増加しており、日本におけるうつ病の有病率は、コロナ禍前(2013年)が7.9%だったのに対し、2020年には2倍以上の17.3%に増加しています(図1)。
コロナ禍によってもたらされた孤独感や不安による影響は、これ以外にも多くの調査や研究が報告しています。
図1: コロナ前後におけるうつ病の有病率の変化(図は(2)より引用)
2023年5月より新型コロナウィルス感染症は5類感染症に移行され、社会は徐々に落ち着きを取り戻してきました。しかし、依然として、孤独や不安という感情が大きな問題となっている場所があります。それは病院です。コロナ禍で起こったような問題が、より深刻な問題として医療現場に存在しています。
入院されている患者さんは、病気のこと、今後のこと、経済的なことなど、多くの不安を感じながら病院で過ごされています。そんな不安を抱えながら、いつもとは違う環境で生活を送ることがいかにストレスフルか、想像に難くありません。
患者さん本人だけでなく、そのご家族も不安を感じながら生活されています。自分のことを犠牲にしながら、ご家族の治療に寄り添う方や、病気と闘うご家族の望みをもっと叶えてあげたいと悩む方にこれまで出会ってきました。患者さんにはスポットがあたりやすいですが、ご家族も患者さん同様に、病院で不安を抱えていらっしゃいます。
そして、医療従事者も例外ではありません。医療従事者は、生命に関わるような緊張感のある職場で、日々激務をこなしています。独立行政法人労働政策研究・研修機構が実施した「職場におけるメンタルヘルスケア対策に関する調査」(3) によれば、メンタルヘルス不調者のいる割合を産業別に見ると、「医療・福祉」が76.6%と最多でした(図2)。医師や看護師の過重労働問題は、頻繁に報道されており、みなさんもご覧になったことがあると思います。
図2: メンタルヘルスに問題を抱えている社員(正社員、産業別)(図は(3)より引用)
感情と聞くと、「気の持ちよう」「身体とは無関係」と考える人も多いのではないでしょうか。しかし感情は、生理的な現象であり、身体と密接な関係があります。
R.S.Ulrich (1984)(4) は、術後の回復と病室から見える景色の関係について調べています。胆嚢摘出術を受けた患者さんが入院している部屋で比較すると、病院の外壁しか見えない部屋より、森林が見える部屋で入院している患者さんの方が、術後の入院期間が短く、ネガティブな言動と強力な鎮痛薬の使用が少なかったそうです。Ulrichは、病院の窓からの眺めが患者の感情状態に影響を与え、それに応じて回復に影響を与える可能性があるとしています。
また、W.Kantonら(2007)(5) によれば、慢性疾患(糖尿病、肺疾患、心臓疾患、関節炎)を有した患者のうち、うつ病・不安症を合併している患者は、合併していない患者に比べ、医学的な症状の数が有意に多く、身体症状はうつ病・不安症と強く関連していたそうです。
私たちの生活を豊かにもしてくれる感情ですが、このようにネガティブな感情にさらされ続けると、血圧や血糖の上昇、痛みの増強、動悸など、全身にさまざまな影響がでてくるのです。また、当然、こころの健康も損なわれ、意欲の低下や人間関係の悪化などが起こることも容易に想像できます。
こうした問題は、病気の悪化や、治療の長期化、さらなる病気の発症につながる可能性もあります。そしてこれは、患者さんだけでなく、患者さんのご家族や、そこで働く医療従事者全員に起きうる問題でもあるのです。ストレスや心理的余裕のなさは、治療に悪影響を及ぼすだけでなく、患者・スタッフ間やスタッフ同士の良好な信頼関係を構築する上で、大きな障壁となります。
音楽が医療現場にもたらす効果は数多くあると考えており、現に、音楽の医学的な効果を証明した論文が多数存在しています。例えば、音楽療法による介入によって、不安の抑制(6)(7) 、術後疼痛の抑制(7) 、入院期間の短縮(7) のほか、睡眠障害(8) 、うつ病をはじめとした精神疾患(9) への効果も示唆されています。質が高いと定評のある、医学論文のシステマティック・レビューを行う国際団体コクランが作成するコクラン・レビューにも、うつ病や自閉症以外に、がんなど、16の日本語のレビューが公開されています(くわしくはこちら)。
また、音楽の医学的効果のほかにも、労働環境に与える影響もあります。近年、従業員の健康管理を経営的視点から戦略的に取り組む「健康経営」の視点が広まり、その効果は確かな経済的な効果をもたらしています。例えば、Johnson&Johnson社が1979年より、従業員の健康教育、行動変容、疾病マネジメントに取り組み、投資額1ドルに対して、2〜4倍のリターンがもたらされたという報告(10) があります。また、モチベーションの向上、人材の定着率の向上、企業の業績や企業価値の向上といった指標も含めればリターンはもっと大きくなる可能性があります。国も健康経営を積極的に推進しており、経済産業省は、健康経営を支える、職場の活性化に関するサービスとして、音楽を挙げています(11) 。
そして、何より、音楽には副作用がありません。すべての薬剤には副作用が生じ得ますが、音楽にはそれがありません。さらに音楽は、自身の記憶と結びつけることで、ひとりひとり異なった意味合いを持って聴き手に届きます。不安の原因は十人十色でも、音楽は形を自在に変え、聴き手それぞれにぴったりはまることでこころを支えると、これまでの活動で感じています。
こころを支えるために音楽を用いるのは、こうした客観的なメリットの他にも、私たち個人的な思いもあります。
私たちは、音楽を専門的に学んできましたが、芸術として音楽を追究するだけでなく、社会において音楽を実践したい思いがありました。こころを支える方法として対話がありますが、治療を優先し、十分な時間が取れない現実があります。ここにこそ、「社会の中で音楽を実践する」場があると私たちは考えました。もちろん、音楽以外でもこころを支えることはできますが、自分たちの得意なことである音楽でこの課題に挑戦したいと決意し、きょうゆうプロジェクトを立ち上げました。
また、実力社会の中で働いていくにつれ、自分の代わりはたくさんいるという現実に直面し、自分が音楽をやる意味を見失う音楽家を数多く見てきました。「自分が必要とされている」感覚は、生きがいを構成する一要素だと言われています。そして、「自分の専門性を発揮できる」ことも重要です。音楽家と医療従事者が在籍するきょうゆうプロジェクトが両者を結びつけ、音楽家が活躍する場も同時に作っていきたいと考えています。
図3: ただ訪問して演奏するだけでない活動を目指して
私たちは、芸術としての音楽と、科学としての医学、双方の良さを取り入れた音楽会を制作していきます。具体的には、「音楽には力がある」という前提を取り払い、これまで先人たちが積み上げてきたエビデンスを土台として、よりこころを支えられる音楽会を目指します(図4)。そのために私たちは次の4つの音楽の特徴に着目します。
図4: 音楽会で参考にする指標の例
選曲・曲順に先行研究を利用しています
音楽は、さまざまな感情を呼び起こすことができる
自らの感情に気づき、言語化できることのは、不安を解消する手段のひとつとして、医学や心理学においてこれまで多くの指摘がなされています。また、共感性の醸成にもつながります。
芸術には、個性を尊重する文化がある
音楽を聴いて、何を感じても間違いではありません。芸術には、それを個性として尊重する文化があります。自分と違う個性に出会うことが、他者受容に繋がります。
音楽は場所や人数を選ばない、また、空間を演出できる
ひとりの聴き手、ひとりの弾き手がいれば、コンサートは成立します。さらに、聴き手の人数には限りがありません。また音楽は、日常的、非日常的な空間を演出でき、その雰囲気は、音が届くところに広がります。そして、体験の共有が人間関係の構築に繋がります。
音楽は、時空を超えることができる
ベートヴェンやモーツァルトが200年以上前に作った曲を、今ここに再現することができます。また、ご夫婦で映画を見たときのこと、若かった頃のこと、当時聴いた曲を生演奏すれば、思い出を再体験することができます。
音楽療法のエビデンスは徐々に増えてきていますが、普及しているとはまだまだ言えない状況です。私たちは、医療行為として音楽を行うのではなく、医療関連施設を訪問して音楽会を開催することで、まずは「医療現場には音楽が必要だよね、なくてはならないよね」と感じてくださる方を増やしていくことを目指しています。
また、これまでよくある訪問演奏では、音楽家がこれが気に入るであろうと予想してプログラムを決め、そこに職員は関与せず、フィードバックもないというものでした。私たちは、音楽会を制作していく過程で、職員と綿密なコミュニケーションをとり、その施設にぴったりなオーダーメイドの音楽会を作っていきます。具体的には、患者さんや職員からリクエストを募集し、出演可能な場合は、患者さんや職員にも一緒に演奏していただきます。また、ただ演奏するだけでなく、リクエストに込めた思い、この曲を贈りたい相手への思いを聴き手に共有することで、人と人とのやり取りを生み、そのことでこころを支えていけると考えています。そして、私たちからも、みなさんに贈りたい曲を1曲プレゼントするようにしています。
科学と芸術は、ときに相反することがありますが、その双方の長所をうまく取り合わせた道を私たちは目指していきます(図5)。プロの音楽家と医療従事者をメンバーに有するきょうゆうプロジェクトであれば、それができると信じています。しかし、あくまで私たちが主役なのではなく、その施設で過ごされる方にスポットを当て、音楽をきっかけとして生まれた経験によって、こころを支えていきます。そのきっかけが、私たちきょうゆうプロジェクトの音楽会であれば幸いです。
みなさまからの応援を力に変えて、医療施設に音楽を届けて参ります。温かいご支援をお願い申し上げます。
図5: きょうゆうプロジェクトの目指す活動
参考文献
特定非営利活動法人あなたのいばしょ. "コロナ下での人々の孤独に関する調査を実施~若い世代とコロナで暮らし向きの影響を受けた人の孤独感が特に高いことが明らかに~". 国立研究開発機構科学技術振興機構. 2022-2-24.
https://www.jst.go.jp/pr/announce/20220224/index.html, (参照2024-03-19)
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https://www.oecd.org/coronavirus/policy-responses/tackling-the-mental-health-impact-of-thecovid-19-crisis-an-integrated-whole-of-society-response-0ccafa0b/, (参照2024-03-19)
独立行政法人労働政策研究・研修機構. "調査シリーズ No.100 職場におけるメンタルヘルス対策に関する調査". 独立行政法人労働政策研究・研修機構. 2012-03-30.
https://www.jil.go.jp/institute/research/2012/documents/0100.pdf, (参照2024-03-19)
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