以下の話は先走り過ぎているかもしれませんが、大事な気がしてならないのでいまお伝えしておきます。
クリモネは直感の人です。論理や思考の「前に」来る確信が忘れられない性質(たち)なのです。今回も直感的な結論を得ています。
日本の独立は近い、と。
そう思い至ったとき、現在の地政学的状況、時代のサイクルなどの脳内コンピュータがうごめく直前、クリモネの顕在意識に次の「解答」が返ってきました。
米資産売りが真の日本の独立の始まり
回り道をして、これがどういうことか説明します。
人間社会は安泰平穏な状態から生まれ変わった験しがありません。変化は必ず不可抗力によってもたらされます。危機が安定秩序に地殻変動をもたらします。
戦後の世界秩序(グローバリズム)はいま急速に瓦解し、溶解しようとしています。クレジットの増大を繁栄と言い張る驕慢が罰せられようとしています。
危機意識の先端がイスラエルとアメリカの共同戦線、あるいは腐れ縁です。
西洋型の文明は悲しいかな、武力を通じて落とし前をつける暴力に取り憑かれています。この文明の型は今後も変わらないでしょう。ところが彼らは核兵器で手足を縛られています。身動きできません。そこではたと困っては新たな仮想敵を創出し、似たような侵略と屈服の応酬を繰り返すより手立てがありません。己の不利と見れば、EU諸国のように群れをなし、全体主義的結束で立ち向かおうとします。
日本は違います。日本はパッシブな文明です。大地が揺れやすく、天変地異に事欠かないこの国では人為で変えられるものなど大したものではなく、自然が最も怖く畏れるべき対象です。
天(自然)が日本を促すとき、日本人は動きます。眠れる龍が目覚めるのです。
天は武力文明に抗えと言っています。少なからぬ日本人がその促しを受け取っています。それが政治的に発現されるとしたら、国民のデモや反抗をきっかけとしないでしょう。促しというかたちを取ると思われます。
国民の集合意思が政治家をそのような方向に導くのです。今年6月はそれまで分断されていた国民の祈りと天皇の祈りがふたたび糾合し、国民の思いが天皇を突き動かす画期となるそうです。日本の統合意思を受け取った天が政治を促す。そういう日本ならではの仕組みが発動する瞬間が近づいているのをひしひしと感じます。
日本人はにっちもさっちもいかなくなった国情と経済を打開すべく、戦後最大の禁忌を、国内危機対応というかたちで発動することになります。日本の対外資産売りが世界金融に弩級のパニックをもたらします。24年8月の日銀ショックはその前触れに過ぎませんでした。前触れ段階で、あれだけのスピードと規模でマーケットは売り尽くされたのです。本震が来たらその惨状は想像を絶するものとなるでしょう。
戦後日本人は国際平和に貢献する平和国家という大義名分の下、罰ゲームのような戦後秩序(その代表が拒否権のない国連理事待遇)への怒りや恨み、国民的不本意を奥底に溜め込み、静かに微笑んできました。仮初の経済繁栄を心の底から望んでいるかのように、あるいは欧米に追いつき追い越せを本心で求めているかのように「教育指導」され、自分でも信じるふりをしてきました。世界に揶揄されバカにされ騙され毟り取られても寡黙に勤勉を貫いてきました。
1990年代から歯車が狂い始めました。経済成長は止まり、豊かだった家計は貧しくなり、多くの人の心が病み、うつ状態が当たり前になり、諦めることを前提に人生を設計する人が増えました。
限界です。
この80年日本人は "それ" をする権利を保留して来たのです。
原爆投下への復讐を、です。
国民の意識が米追随・支那追随を許さない。国情が逼迫してきた。戦争はしたくないけど余裕がない。このままでは国が滅びてしまう・・・さすがに愚鈍な政治も、今度という今度は対外資産を切り崩す決断を下すでしょう。
金の切れ目が縁の切れ目。アメリカ売りが日本に米国からの独立を強います。
天意に促されるかたちで独立が実現していきます。否が応でも。
独立はけっして簡単に果たせるものではありません。返り血を浴びます。有事を招く危険があります。経済的に塗炭の苦しみを味わうことになる恐れもあります。
でも、これはこの国の天命です(世界の建て替え)。避けられない何かです。
多くの災厄の種は向こう(支配層)がまいたものなのですから悪びれる必要はありません。支配層は驕り高ぶり世界をなめています。間隙を突くには日本人の力が必要です。それ以外に彼らを「瞬時に」ふるい上がらせる機会は存在しないと考えます。
時期的には、2028~2032年のどこかがあやしいと見ています。
パクスアメリカーナの終わりの始まりか。ウクライナからイスラエルを経ても世界の「ノリ」は悪く、米帝は自暴自棄になっているように見える。
人類全体はそんなに愚かではないということだ。集合意思が世界大戦を拒んでいる。
それは政治経済思想の変遷を見れば一目瞭然だ。
18世紀型リベラリズム(右派/保守)
日本では自由主義と訳す。古典派⇨新古典派。発展型が1980年代以降流行ったネオリベラリズム(新自由主義)。
19世紀型リベラリズム(中道)
日本でもリベラリズム。ケインズ主義、社会民主主義。
社会主義/共産主義(左派/革新)
19世紀型リベラリズムの派生物(鬼っ子)。マルクス主義。
21世紀型リベラリズム
19世紀型リベラリズムの発展型。現代の主流。経済学プロパーでは古典派とケインズ主義の折衷。統合政府(中央銀行+政府)の集団指導体制。
人類は右左のイデオロギー対立の不毛をいやというほど味わい卒業した。そして妥協点として21世紀型リベラリズムを発達させ、さまざまな弊害はあるものの、大方の人間が暗黙裡に受け入れている(人類全体のバランス感覚)。もはや世界大戦を引き起こすに足る対立など存在しないし、捏造もできない。
米帝の戦争屋が目指す戦争大戦は世界転戦となる。局地的戦闘の繰り返し。
欧州(ウクライナ)⇨中東(イスラエル)⇨東亜(台湾)?
そうこうしてるうちにガラガラポンになるのでは?
問題は人為的に引き起こされる金融システム破壊後、人類がどう動くかだ。
お金は現代の神に昇格した。
街の中心を見ればわかる。
中世なら街の中心は教会だった。
いまは銀行である。
お金は天からの預かりものにすぎない。
人生は所有できない。実のところ財産すら所有できない。子孫に引き継ぐことはできるが、それだって永遠ではない。所有は今生の使用権に過ぎない。
では所有を仲立ちするお金とは何なのか?
請求権である。債務に対する弁済の請求権である。モノやサービスに対する請求権である。
だが、より本質的には時間に対する請求権である。他人の時間を所有できるのである。
請求権の獲得競争を人生と呼ぶなら、請求対象であるはずの時間を使わないと請求権が手に入らないのは何とも皮肉な現実だ。
ずる賢いやつがレバレッジということを思いついた。金融界のデリバティブが好例だ。時間をお金にかえる悪巧みである。先物は儲かるとき半端ない時給をくれる。一足飛びに請求権が手に入るわけだ。
だが・・・しょせんは預かりものである。
人間にとってホントの富はお金でも請求権でもない。あきらかに時間である。
悲しいことに時間に恵まれた若いうちはお金のマジックが解けない。
自由のない専制主義だと社会が発展しない。かといって本気で民主主義をやれば衆愚政治に堕してしまう。だったら最良の政治形態は何か?
表向き民主主義国家を演じつつ、国家中枢は選良(秘密結社的結束)が運営するというやり方だろう。アメリカとは、つまりそういう方式で覇権国に登りつめた国家なのだ。
陰謀論者のようにフリーメイソン、ユダヤ人、オプス・デイなど持ち出す必要はない。2017年に亡くなったデイヴィッド・ロックフェラー(以下、Dロック)を中心に、シンクタンクや一流大学の教授、テクノクラート、財界の大物、高級軍人、メディア幹部、法曹界幹部、大宗教家などが結びついたエリートの世界ネットワークがあり、彼らが全世界の司令塔を務めてきた(陰謀論業界ではこのエリート集団をイルミナティと命名した)。ダボス会議でパネルディスカッションしているような連中である。
2016年に非エスタブリッシュメントのトランプが大統領になれたのは、Dロック総帥が死にかけてエリートのネットワークが機能不全に陥っていたからだ。エリートたちがトランプや彼を支持するアンチインテリ庶民の結束力を舐めていたせいもある。
Dロックは自伝で、自分が関わった国際資本家による世界的枠組み作りを「誇りにしている」と堂々と述べている。大所高所でものを考え実行してきた大物ならではの自信というのか余裕というのか、自らの政治力、金融力の巨大さを隠しもしないのだ。
Dロックの大学の恩師は創造的破壊で有名な経済学者ヨーゼフ・シュンペーターだ。シュンペーターをイノベーションだけで読むのはもったいない。むしろ民主主義を制度的枠組み以上とは見ない多国間協調主義者たちの到来を予測した預言者として読むほうが役に立つ。
現代を仕切る多国間協調主義者たちは国民(愚民)の意見など聞く耳を持たない。自分たちのネットワークとしての力(優秀さ)を信じていて、国民が気まぐれでどんな大統領を選ぼうと、自分たち秘密結社(イルミナティ)の仲間から実務を仕切る者を選ぶ。
多国間協調主義とは突出しないということであり、アメリカ一極支配と矛盾する。でも本人たちの中では矛盾しない。彼らはシュンペーターの予測通り、資本主義はその成功ゆえに滅びる運命にあり、早晩、社会主義に行き着くことを知っているのだ。
シュンペーターは資本主義がイノベーションによる前進駆動力にあると断じたが、同時に、そんなドライブが永続しないことも見切っていた。
なぜなら資本は独占寡占を志向し、富を集中偏在させる。独占が生むパワー、その結実としての巨大企業なくしてイノベーションは現実化しえないからだ。ところが、ビジネスを独占し巨大化した企業には先がない。最悪の場合、ゾンビ化する。いまのアップルにすでにその兆候が見られる。
成功企業は現状に満足し安泰を続けようとする人々を増やし、社会から起業家精神(アントレプレナーシップ)を奪っていく。社会は停滞する。停滞した社会は残された資本の奪い合いとなる。資本は集中偏在から再配分の方向へ解体される。こうして成功した資本主義社会は徐々に社会主義に取って変わられるのである。いまの先進諸国、アメリカや日本を見れば誰も否定できないところではないか。
イルミナティの思想的系譜は秘密でもなんでもない。大英帝国からアメリカへと着実に受け継がれてきた覇権国家のDNAみたいなものだ。それはロックフェラー回顧録やシュンペーターの著作にあらわれている。
惜しむらくはDロック亡き後、アメリカエリート集団には大物が存在しないことか。億万長者のIT長者たちの間には人類存続というスケールでものを考え行動できるDロックの後継者が見当たらない。劣悪な環境主義や薄っぺらい社会正義しか時代精神の表面に浮上してこない所以である。
何かというと「移民反対」を唱えるきょうびの自称保守。保守を名乗るなら、まずこの国の成り立ちを認識すべきだろう。
一大転機は白村江の敗戦にあった。朝廷は急速に国防意識を高めた。独立を維持すべく中央集権を志向し「日本」と名乗り始めた。法体系を整備し税制を整え、国史を編纂し、壮麗な首都を建設した。巨額の建造費用を捻出すべく朝廷は国家通貨(銅貨)を発行した(失敗したが)。
激動の時代、大陸や朝鮮半島の政情不安で、貴賤入り混じった大量の難民が日本に流入した。渡来人エリートは彼らの宗教・仏教を日本に広めた。神道にない世界観・哲学に感化された日本人(聖徳太子一派、現代風にいえばリベラル)は渡来人エリートに与し、神道を奉ずる排外派・民族主義者(物部派)と対立、激しい内戦になった。
リベラル派が勝利し、仏教が国教となった。神道は修験道などの在来信仰とともに、神仏習合というかたちで共存を許された。それでも日本の国柄は様変わりしていたはずだ。
聖徳太子の十七条憲法は今日のヘイト規制法に近い。冒頭に異質な者の和を説くこと自体、いかに対立・不和が根深かったかを物語る。二条以下は統治の要諦を示す。仏教に基づき皇室中心の政を行うという内容だ。内戦の混乱、対立・不和が収束するには平安時代を待たなければならない。
乙巳の変:抵抗勢力(中大兄皇子と藤原鎌足)によるクーデター。渡来系の頭目蘇我氏の排除。
白村江の戦い:渡来系が中大兄皇子を祭り上げ、悲願である百済復興を目指し朝鮮出兵。敗戦後、渡来系リーダーたちは復興を諦め、日本人に同化する道を選ぶ。唐や新羅の侵攻を恐れた中大兄皇子(天智天皇)は急速に防衛体制を固め、天皇中心の中央集権体制に作り替える。
壬申の乱:中大兄皇子と大海人皇子による内戦。勝利した大海人は天武天皇として即位。天智の敷いた政の骨格を受け継ぎ、律令体制を確立した。
日本は現代にも似た「国際化」の荒波に揉まれ、ネイティブと移民(渡来帰化人)の統合によって誕生した。この事実を直視しない(認識していない)保守は保守と呼ぶに値しない。在来文化の承継といっても、飛鳥から奈良時代の内乱期にその大半は消滅したか変容を余儀なくなされたはずだ。いったい何を承継するというのか。
自由主義=所得格差の拡大!社会主義=再配分による格差是正!
左巻きが好きな、この手の議論はいかがわしい。嘘っぱち。
格差拡大は負債ベースの金融システムの宿命だ。
自由主義と称して露骨に収奪するか、社会主義と称してソフトに収奪するか。その違い。
目立つネガティブイベントを待望し、趣味のように暴落暴落唱える信者が後を絶たない。斜に構え、眉をひそめるフィアモンガー(fear monger)はそれだけでIQが高いと誤認されるのか、とくに日本で人気が高い。
アホか。わかりやすいかたちでシステム危機が表面化するのは大相場の最終局面だけだ。それ以外の膨大な時間、相場はジャイレーションを繰り返してるだけ。都度ロングで取りショートで取りするしかないものを。