大学受験で通っていた予備校の先生だった恩師は、英語の授業で出会いました。大学に入学後の2年間、先生の研究会に通って、そこでドストエフスキイとも出会うことになります。
「言葉にできいないけど学んでいる。」ふとその言葉が思い出されます。問いをも持つということ。わからないけど感じるものがあるという感覚は確かにあるという感覚。その確かさ。
当時の僕は、環境問題が問題関心の中心にあったのですが、その環境問題と、ドストエフスキイの世界で描かれていることが、どこかつながる感じがあって、その感じを持ちながらも、何がどうつながっているのかということがはっきりとわからないままに過ごす期間がありました。
ある時、今僕自身が生きている社会であり世界は、ドストエフスキイが生きていた時代の延長線上にあるのだということを思うに至りました。その瞬間の何とも言えない高鳴る感じは、今でも覚えています。
「環境ってそもそもなんだろう?」。大学のキャンパスを歩いている時、ふと浮かんだ問い。今でもその時の情景が思い出されます。「環境問題」に関心を持っていると言っても、「環境って自分の身の回り」。そうであるなら、自分にとっての環境とは、環境問題とは何であるか。
環境問題ととらえようのない大きな問題に挑んでいると思っていましたが、自分の身の回りすべてなのだと思うに至ってからは、肩の力が抜けた感じがあって、大学のキャンパスから、そのまわりの地域、社会へと意識は具体的なものとして広がっていったように思います。僕にとってのリアリティ。
就職活動に対する違和感を持っていた大学4年生の6月。受けた会社の面接官から「もっとずるがしこく生きた方がいいよ。」と言われ、それ以降は、今だからこそできること。今の自分が関心を持っていることに、とにかく足を突っ込んでみようと思い、環境NGOだったり様々なことに関わるようになっていきました。
そんな思索の礎として、今の自分の思考を形成するに至ったきっかけを与えてくれたのが、恩師であり、ドストエフスキイでした。