近畿民俗学会  はじまりは昭和9年11月11日

    近畿民俗学会の前身は「大阪民俗談話会」です。大阪民俗談話会の最初の集まりは、小谷方明氏が主催者となり、1934年11月11日に大阪府堺市の浜寺公園の海の家で開催されました。『旅と伝説』第85号掲載の「大阪民俗談話会の記録」(宮本常一記)によれば、出席者は沢田四郎作(大和)・南要(阿波)・桜田勝徳(陸前)・宮本常一(周防)・岩倉市郎(喜界島)・鈴木東一(和泉)・杉浦瓢(河内)・小谷方明(和泉)の8名でした〔( )内は出身地〕。

   その後、『近畿民俗』を刊行するため「近畿民俗刊行会」が発足し、1936年1月に『近畿民俗』第1巻第1号が刊行されました。このことに関して、「大阪民俗談話会報」13(1936年1月11日、謄写版印刷)には、1935年12月8日の第12回例会(於:染料会館、出席者:25名)において、太田・河本・水木・藪・平山・玉岡の6人が委員となって別室にて雑誌『近畿民俗』の発刊についての協議がなされ、その結果「兵庫県民俗資料を拡充して近畿民俗とし、全関西(箱根山から西)の民間伝承報告誌たらしめる。而して大阪民俗談話会も、京大民俗学会も全面的に之を支持す。即ち京阪神の三団体が経済的にも責任を持つ」ことなどが決まった旨の内容が記載されています。

『近畿民俗』第1巻第1号、第1巻第2号を刊行した「近畿民俗刊行会」は、同年5月に「近畿民俗学会」と名前を変えることとなり、6月には『近畿民俗』第1巻第3号が近畿民俗学会によって刊行されました。会名の変更については、『近畿民俗』第1巻第3号の25頁に「会告」が掲載されており、「事由」として「 従来の名称ハ単ニ雑誌刊行ノミヲ事業トスルノ感アリ、依テ変更ス」と記されています(沢田四郎作「地方別調査研究 大阪府」『日本民俗学大系』第11巻、平凡社、1958年)。

   大阪民俗談話会は、近畿民俗学会成立後も例会を継続し、1941年6月には大阪民俗学会と改称して毎月例会を開催していましたが、太田・沢田・小島・岸田・持田・玉岡・岡見の召集によって1941年12月の例会でいったん活動を停止しました。しかし、宮本の帰阪によって1944年7月から例会が再開され、同年8月まで3回開催していたようです(佐藤健二「付表4  大阪民俗談話会の記録」『柳田国男の歴史社会学-続・読書空間の近代-』せりか書房、2015年)。

   このように、近畿民俗学会は戦前にはじまる歴史の長い民間の研究団体です。近年は会員数が70名を下回り、活動の低迷が続いておりますが、社会人・研究者・学生など民俗学に関心をもつさまざまな人たちが集い、肩書き・経歴にこだわることなく、自由に語り合い、意見交換をおこなう場をめざしています。

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 事務局 kinkiminzoku@gmail.com (このホームページは、近畿民俗学会の活動を発信する私設のホームページです。)