行事の歴史及び内容
馬の塔(オマント)は、かつて尾張・西三河で行われた代表的祭礼習俗のひとつで、標具(ダシ)と呼ばれる札や御幣を立て、豪華な馬具で飾った馬を社寺へ奉献するものです。
神輿や山車と比較すると、道路の狭さや悪路を気にすることなく村のすみずみまで巡行でき、長距離移動が可能でした。この特性により、多くの村々が連合して行う形式がとられ、合宿(合属ガッシュク・カシク・ガッショク)と称して数10か村が連合して信仰圏の広い社寺に献馬されるようになりました。
本市の馬の塔には、馬を警固する棒の手隊と火縄銃を持った鉄砲隊が加わり「警固祭り」と呼ばれています。
警固祭りの運営は、神社を中心に3つの地区に分かれて実施されています。そのうち、「長湫の警固祭り」は、長湫地区を練り歩きながら、火縄銃を発泡し、氏神である景行天皇社へ豪華な馬具で飾った馬を奉納する勇壮な祭礼です。
祭礼当日は、早朝に垢離(こり)取り(清めの儀式)を行い、東切、西切の二地区のわかれ、各々の集合地点(馬宿)から隊列を組んで出発、地域を練り歩き、所々で火縄銃を一斉に発砲します。その後、神社前で東西が出会いの挨拶を交わして合流し、神社へ向かい、境内へ登ります。
そして、馬とともに境内をまわり、奉納の立てこみで境内を疾走します。しばらくして棒の手が奉納され、奉納が終わると隊列はそれぞれの地域をまわり馬宿に戻って祭りは終了となります。