山神 農民の間では、春になると山の神が、山から降りてきて田の神となり、秋には再び山に戻るという
信仰がある。
すなわち、一つの神に、山の神と田の神という二つの霊格を見ていることになる。
景行天皇社
承和4年(837) 斎殿跡の根ノ神に天皇の御名を冠した景行天皇社を建立する
その後社殿は、大久手、秙乎良岐と移り祀られる
安土桃山時代
天正12年(1584) 小牧長久手の戦い
* 徳川家康が戦う勝祈願のため葵紋太刀一振を奉納した
* 徳川家康が御旗山に金扇の馬印を立てた・・「富士浅間社」
慶長9年(1604) 長久手合戦後に現社地に遷座する
【往古は三社明神・三社の森と称し景行天皇社を中心に左に神明社、右に白山社】
* 徳川家康が葵紋太刀一振りを奉納した
江戸時代
元和8年(1622) * 徳川家康が葵紋太刀一振りを奉納した
元禄期(1688~1704) このころより《景行天皇社》と呼ばれる
* 棟札:元禄12年(1699)長駒形480×125×5
明治 5年(1872) 村社に列格される
明治40年(1907) 供進神社の指定を受ける
昭和15年(1940) *神社正面、大鳥居建立
昭和21年(1946) 宗教法人神社となる
昭和22年(1947) 愛知県神社庁九級社となる
平成 6年(1994) 神社本庁へ建物改築承認申請 【新社殿造営委員会】
平成 6年(1994) *神社東西大鳥居建立
平成 9年(1997) 【新社殿・社務所境内完成】
平成16年(2004) 愛知県神社庁七級社となる・・・・・・令和となり現在に至る
富士社の歴史
祭 神 木花開耶姫命 (コノハナノサクヤヒメノミコト)
江戸時代より秋の大祭には、氏神景行天皇社と共に勇壮な駄馬、棒の手が奉納された。
土地の人々に「お富士さん」と親しまれて、厚い信仰を集めている。
又、地域の守護神として、特に虫封じに御神威があるとされている。
(長久手市の神社今昔一文献より)
例 祭 警固祭り「秋季例大祭」
由 緒
元和3年(1617)
昔、富士山信仰が盛んになった頃長湫9区(9島) に其々祠が祀られる。
その後駿府富士浅間神社先達青山重太夫が元和3年に先達島の富士嶺に合祀したとも伝えられ ている。
この山は長久手合戦の御陣場で、徳川家康が御旗(金扇八大馬印)を立てたことから御旗山と呼ばれ、祠(ホコラ)は青山重太夫が代々(明治37年まで)神主を勤た。
明治5年(1872) 村社に列格される
* 長久手市旧五村では旧長湫村以外は氏神1社でしたが、長湫村だけは富士社(先達島)と景行 天皇社(その他の 島)の2社となる。
(長久手市の神社今昔一文献より)
大正14年(1925) 社標、石段等整備される
昭和 3年(1928) 石鳥居寄進される(現階段中段)
昭和14年(1939) *御旗山が長久手合戦史跡、国指定文化財となる
昭和21年(1946) 宗教法人となる(「宗教法人富士社」として神社庁届け)
*昭和30年頃より(1955)
*警固祭りの関連にて景行天皇社1本にまとまる
(長久手市の神社今昔一文献より)
昭和45年(1970) 大改修される
*氏神の摂社である白山社の右社殿を移築し大改修する
昭和60年(1985) 火災により焼失する
平成 2年(1990) 富士社再建委員会発足する
平成 4年(1992) 社殿・拝殿(複殿形式)再建される
*盛大に遷座式10月5日挙行される
平成7年(1995) 石鳥居寄進される(現階段下)
平成12年頃? 富士浦住宅側の桜植栽など公園化(地域住民との会合)
神社庁宗教法人届出「富士社」:神社栞「富士社」創建地域に 一時期「富 士浅間社」、幟旗にも一時期「富士浅間社」
富士社再建経緯
昭和60年(1985) 火災により焼失する
平成 2年(1990) 富士社再建委員会発足する
①平成3、4年氏子総代と区会(行政)が中心となり推進
総工費2千万円の内1割程度寄付 区民(氏子)の賛同協力を回覧にて募る
(区、氏子総代が各自治会長(町内会長)に募金依頼)
②予算は区費より
*①②は当時氏子総代長記録より
平成 4年(1992) 社殿・拝殿(複殿形式)再建される
遷座式10月5日
町長、教育長、町議長、長久手選出町議員、農協組合長、消防団
土地区画整理組合長、(東部、中部、西部) 警察署長、前区三役、
前氏子総代三役、区長以下区議会全員賛列
*(当時氏子総代長記録より)
富士社の歴史及び富士社再建経緯などより考察すると、先達島の氏神様から昭和30年頃より地域、 長湫区の氏神様として(景行天皇社氏子総代の1本化) 守られ、運営されている。