みちくさ日和 あえて
性を語る
性を語る
“性”
それは誰にとっても
切っても切れない問題のはずなのに
無縁な人は一人もいないはずなのに
なぜここまで“なかった事?”にされるのか?
性の話題に触れる事すら
まるで“忌むべき事”のようにタブー視されるのはなぜなのか?
そもそも我が熊本県は
人口10万人当たりのラブホテル軒数全国4位❗なのになぜ?
ちなみに
1位 宮崎県
2位 佐賀県
3位 福島県
4位 熊本県
5位 鳥取県
6位 大分県
・
・
と続くそうで
当然、デキ婚率とも比例し、出産年齢も低いらしい...
元々
日本は江戸時代までは混浴も当たり前なおおらか?な社会で
それは葛飾北斎も描いていた過激すぎる春画(蛸と海女など)でも明らかだ。
しかも“男色”(今をときめく?BL)すらも信長や信玄等の有名な戦国武将だけでなく、平安時代からずっと当たり前だったのだから
LGBTQ+だってきっと普通にいただろうし、今よりもずっと当たり前に暮らせていたに違いない。
しかし
“西洋の列強の目”を気にした文明開化路線の明治政府が
早くも明治2年には混浴禁止令を出し
それまで一般的だった銭湯の混浴文化が急速にすたれた辺りから、恐らくはこの“不自然な?空気”が生まれている。
今では“生理”の“せの字”すらも家族で話せなかったり
せっかく“赤飯”を炊いても
その理由すら明かされなかったりもする..
でも水泳の授業を休むと好奇の目で見られ
以前はエロ本やビニ本等がずっと主流?で
雑誌ananのSEX特集も売れてたけれど
今やネットにポルノが溢れ
売春は昔から世界最古の職業と言われ
風俗業界も次々にバリエーションを変えて進化?し
大人向け?の映画は邦洋画問わず
必ずセックスシーン付きで
それが“売り”だったりもする。
女優が脱ぐと話題になり
年々描写も過激になっていき
私達はもっと過激な新たな刺激を求め続けてしまう・・
この構図って
まさに“現実”から目をそらした“究極の裏表”なのではないか?
私達のほとんどがセックスから生まれていながら
うわべでは話す事すらはばかられるような空気を醸し出して...
もしかしたら
お互いを守り合ってる?かばい合ってる?
それって“性の性能差”で傷つかないため?
けれど私達は、生理やオナニーから始まり
セックスレスや性暴力、LGBTQ+等々...果ては“子どものいない人生”やその選択すらも“性”を切り離しては考えられないはず!
70才を過ぎても性犯罪で捕まる輩がいるのは、なかった事にされてきた老春の歪み?
教師による盗撮とか...学校がロリコン達の天国だったって事だよね?
そういえば
守秘義務で表には出せなかったんだけど...
毎年プールの時期になると、水着のデリケートゾーンだけを、男子のも女子も超どアップで撮影してた小学校の教師がいた...
胸のネームがなければ誰かもわからないし
男子なんか誰かすらわからないと思うが
写した本人には、ちゃんとわかっていたのだろうか...
私が関わった老老介護で奥さんを殺した男のプレイヤーには母子相姦のDVDが入っていた...
電話相談窓口の〇〇〇の電話や〇〇〇〇〇ラインをしていた時も、実は性の相談を受けたかったのだが、残念ながら一度も架かってはこなかった...
電話ですら話せないって...いったいどれほどのブレーキやハードルやイメージが刷り込まれている?のか想像すらできない。
けれど
一つだけ確かだと思うのは
もっと自由に話せる世の中だったら
性暴力を受けてもきっと泣き寝入りせずに済むから
若くして(もしかしたら子どもの頃から)人生が暗転したり
一生苦しみ続けるような人達は間違いなく減るだろうし
15才の中学生が赤ちゃんを庭に埋めて逮捕されるような痛ましい事件もなくなるはずだ!
LGBTQ+の人達のカミングアウトも、ぐっとハードルが下がるだろうし、様々なトラブルや行き違いも減るだろう。
同性愛者である事を隠すために“偽装結婚”をしてしまうような不幸な人達も減るだろうし、もちろん“偽装結婚される側の悲劇”も減るはずだ。
セックスレスで人知れず何十年も苦しみ続ける人も減るだろうし
例え親族から「子なし」と罵倒されても、ちゃんと言い返せるだろう。
“夜のあれこれ”を話せずにギクシャクしたり我慢してる夫婦だって減るだろう...
ていうか
セックスしてる夫婦ですらまともに話せないって...いったいどんな世界なんだ?!
たいがいの性的な関係では
なぜか“受け身の側”が立場が弱い...
“与えられる側”だからなのか?
“すべて?が相手次第”だからなのか?
“弱み?”を握られている(見られる側)だからなのか?
“その弱み?”を握ってる(見ている)から相手の方が有利?なのか?
確かに、射精されなければ何も始まらないし、女性は自分の人生を左右される...
なので、心理的・肉体的・本能的な“普通の反応”なのかも知れないけれど
お互いに“与え合っている関係”なのだから
片方だけがいつも気が引けて何も言えなかったり
まるで相手の弱みにつけ込むような舐めた態度はおかしいと思うのだが、どうだろうか?
ちなみに
その“相手を舐めた態度”は普段は顔を出さないが
ここぞ!という場面で突然“本性”を現し?相手に“無言の圧”をかけ、性的な力関係を言外に匂わせ、相手の言動を封殺しようとする👎
ここぞの場面で、普段のセックスを悪用するような卑怯でずる賢い輩と関わると、人生はますます幸せから遠のいてしまう・・
いずれにせよ
混浴風呂が当たり前だった頃の
きっと何だって話せただろう時代とは真逆の世界の中で
どれほどの“不自然さ”を私達は“当たり前”だと刷り込まれているのだろうか・・
それとも“お互いの存在価値”すらも脅かすほどの大問題だと感じて、棚に上げ続けているのだろうか?
という事で
もっと自由に話せる“当たり前の世界”を目指して、ここから小さな一歩を踏み出してみたい。
4月13日(月)
3/20(金)に男女共同参画センターはあもにいで開かれた
くにたち男女平等参画ステーション パラソル
ステーション長 木山直子さんの講演会
『「アウティング」なぜいけないの?~LGBTQの基礎知識と正しい理解~』に参加した際
新聞記者の取材を受けたら
記事の最後に名前入りで載っていた。
罰則規定の質問も私がしたもの。
けっこう質問され、いろんな話をしたが
そのほんの一部が載り、ここのテーマとも重なるので紹介しました。
私個人の考えも知って欲しいので。
当日は定員20名の小さな講演会だったが
最後にグループに分かれての自由なお喋りタイムもあり
自己紹介で“い〇ちの電話”もしてたと話したせいか
テーマとは関係ない普段のお悩みを話す方もいて
即席でしたがお役に立てたと思います。
こんな時にすぐさま“性の悩み”がポンポン出るようになったら
ずいぶん肩の力が抜けた“生きやすい世の中”になるように思うのは、私だけではないと思いますがどうでしょうか?
熊日新聞
(2026年4/6(月) 21面)