もしかしたら“この物語”は、飛び降り自殺を図った若い女性とその夜に対面した奇跡の瞬間から、もう始まっていたのかも知れません...
交通事故で家族を亡くした20歳の男性は、突然誰もいなくなった家の中で、言葉にできないくらい寂しそうでした...
幼い頃から近親相姦されていた女性の一人娘も、前夫の元で同じ目にあっていました。
だが、まだ小学生だったその子を救い出そうとした時
私を止めたのは、なんと母親の彼女自身...
別れたDV夫からの仕返しを恐れ、彼女は娘よりも自分を選び、その子は見捨てられました・・
3歳の娘が川で死んだ翌朝、店長から神妙な顔つきで5000円貰った男が、私の前ではヘラヘラ笑って喜んでいたのも忘れられません。
まだ20代の頃のバイト先での出来事でしたが、その娘が家でどんな扱いを受けていたのかが目に浮かぶようで“いったい何のために生まれてきたのだろう...”と、その幼子の無念さと寂しさを思うと、胸が張り裂けそうでした...
ずっとオール5の優等生だった50代の人は「実は教育虐待を受けていた」そうで、ずっと毒親に“支配”されたままで苦しんでいました...
“その悲劇を防ぐヒント”が欲しくて、奥さんを殺した介護殺人犯と3年関わりましたが、彼は“表の顔”ばかり私に見せ続け、危うく最後まで煙に巻かれるところでした...
50歳で発達障害の女性と出会うまで、私は“発達障害”という言葉すら知りませんでしたので、当事者の皆さんと関わり合うきっかけになりました。
ただ...その彼女が浮気をして出て行き、その3年後に飛び降り自殺を図りました。
幸い助かりましたが、出会ってからそこまでの彼女の精神状態も、悲惨な育成環境も知っており、それは冒頭の女性ともかなり似かよっていました...
期せずして、自殺を図った女性に今度は“内側”からも関わった事になり...まるでこれは冒頭でお話した“30年以上前の奇跡”と“対”になっていたかのようにさえ...今は感じています。
幾つもの“偶然”が重なっての...別れて1年後の“奇跡のような再会”がなければ、知り得ない事でした...
現・日本傾聴ボランティア協会理事長の鈴木絹英先生の講演会に初めて行った時に、そこでのワークショップで見出されたのが、私が傾聴を始めたきっかけです。
講演会の終了後に、直接、鈴木先生に呼び止められ、熱心にお誘い頂いたのですが...
“あの時の出会い”がなければ、今の私もこの会もありませんし、人生の大きな転機となった出来事でした。
まだお名前すら知らずに参加した講演会でしたが、鈴木先生はNHKのクローズアップ現代等にも出ておられ、後の311の際には、自衛隊と一緒に現地に入られ、誰よりも早く被災者の皆さんのお相手をされた日本の傾聴ボランティアの第一人者でした。
元々、私は毒親から精神的虐待を受けて育ち、死にたくてたまらないくらい...何十年も苦しみ続けていた人間ですが、そんな中で“人間とは何か?”“人は何のために生まれてくるのか?”を考える人になりました。
ですので、毒親も含め、いろんな出会いを点と線で全部結ぶと、真っ直ぐ“今の私”に繋がる不思議には“運命”すら感じています。
妹が重度の知的障害者でしたので、どんな人とも“フラット”に関われる人になれましたし“あんな家”に生まれたのも、すべては“今の私”になるための“準備”だったのではないかと...
“いのちの電話”でも“チャイルドライン”でもエース相談員だった今の私なら、包帯だらけだった彼女とも、20歳の彼とも、もっと関われたし、もっと支える事ができたでしょう...
いろんな人と出会い
いろんな時を過ごし
愚かさや醜さに触れ
“不幸の世代間連鎖”におののき
“幸せ”について考え
ようやく“自分なりの答え”にたどり着けた今
“本当に幸せになりたい人”のために私は生まれ
“傾聴の誠(真)”も誕生したと信じています。
傾聴の誠(真)代表 中村雅孝